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 ほとんど機械的に白手袋をはめ、真壁はあらためてビニールシートに近づいた。残った巡査の1人がシートを半分めくり、そのまま端を持って屋根を作った。シートを持っている巡査の歯がカチカチと震えていた。

 真壁が眼を向けると、血の気のひいた青い顔に口元が少し汚れている。

「大丈夫か?」

 巡査が「ええ・・・」とほとんど消え入るような声で答える。もう1人が「こいつ吐いたんですよ、さっき」と言った。

 真壁は眉をひそめ、「名前は?」と聞く。歯を震わせている巡査は「津田です」と応えた。

「次から気を付けろ」真壁はシートの下に頭を突っ込む。「遺体、動かしてないか?」

「はい」

 アタッシェケースを脇に投げ出して、黒いダスターコート姿の中年男が階段の上に仰臥している。右足を膝のところで内側に折ったままだ。折ったその足の靴が脱げかけている。

 津田から懐中電灯を受け取ると、真壁は自分の胸の前で、小さく十字を切った。

 衣服もカバンも靴も、何もかも濡れてビショビショだった。路上に押しつけている頭部も濡れそびれ、凝固しかけた血が洗われて少しずつ流れ出している。ざっと髪を掻き分けると、血の固まった創傷が3つほど見つかった。

 顔面は血まみれだったが、抉られたような深い創傷が数か所、判別できる。鼻は何か食いちぎられたようで、原形を留めていない。右の頬も骨が露出している。真壁は現場にいる2人の制服警官に訊いた。

「この辺りに、野犬がいるんですか?」

 2人ともきょとんとした表情を浮かべる。本庁とは何もかも波長が違うなと思いながら、真壁は遺体の検分を続けた。顔の全面に暗紫色の挫傷が広がっている。首筋に爪痕のような小さい擦過傷が4つ。面積は小さく、鋭く尖ったような物で創った傷だった。

 眼球に懐中電灯の光を当てる。瞳孔は散大しているが、角膜はきれいだった。硬直は顎の辺りで始まっている。死後、数時間というところ。路上で濡れていたために体温はすっかり失われている。着衣に破れ、乱れはなし。

 直接の死因は解剖してみなければ分からないが、暴行されているから事件は事件だ。

 ふと、被害者の右手首に眼が止まった。黒い文字盤の腕時計をつけている。真壁はあまりブランド品に詳しい方ではないが、なんとなく高いものであることは察しがついた。

 ビニール袋の中身をあらためてみる。まず名刺を確認する。勤め先は、京都府下京区の鈴宮重機。肩書は営業一課課長。氏名、諸井邦雄。

 札入れを開ける。運転免許証に貼られた写真の顔は本人に間違いない。所持金は1万円札4枚、1000円札5枚。残りは硬貨で421円。クレジットカード1枚。3月まで有効期限のある新幹線の普通席回数券1枚。東京・京都間。

 青いストラップがついた携帯電話は、会社から支給されたものなのか、電話帳リストは自宅の電話番号の他は、取引先の会社がほとんどだった。個人用にもう1台、持っていたのかもしれない。

 ビニール袋の中のレシートには、九段下のある喫茶店の名前と昨日の日付と、400円の値段が記されている。昨日、九段下でコーヒー1杯を飲んだのだろう。

 真壁は次いでアタッシェケースを開けた。社名入り封筒が多数あり、中身は重機のカタログ。バインダーには、取引先とおぼしき建設会社数社の営業担当者の名刺がはさんである。書類のほかには、シェーバー1つ。ネクタイ1本。クリーニングされたワイシャツ1枚。週刊誌1部。未使用のコンドーム四包。

 脇から覗き込んだもう1人の巡査がいやらしく笑った。真壁も苦笑いが出た。下着の替えがないところからみて1泊の出張らしいが、コンドーム四包とは。

 それらの雑多な中身をあらためて、真壁は目当ての手帳を探し出し、ざっとめくってみる。取引先の電話番号、担当者の名前、商談の日時、場所などが並んでいる。それらを見ると、被害者は昨日の午前10時ごろに東京に着いて、それから新宿、九段下、神田の3か所で3社を訪ねている。

 だが、真壁が探していたものは見つからなかった。宿泊先の名前、住所、電話番号が記したメモ類がない。宿泊先の確保をせずに上京してくる出張者はまずいない。どこかに予約を入れていたはずだ。あと、個人で所有していたかもしれない携帯が見つからない。

 2つとも探さなければならない。

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