1-23『訪れた平和な日々』

 凛音を助け出してから一週間が経過した。


 火薬拳銃で撃たれた綾乃も、日常生活を送れるレベルに回復している。野良戦車と戦えるレベルに回復するまで、それほど時間はかからないだろう。綾乃本人も体を動かしてうずうずしているようだった。


 千歳は日がな一日、ガレージで魔動機械をいじり回している。機械迷宮の第二階層から脱出する際、魔法板や魔動機械のパーツをちゃっかり拾っていたらしい。それらをパンドラに組み込んでパワーアップさせようと試行錯誤を繰り返しているようだ。


 ジェシカはいつか自分で言っていたように翻訳の仕事を始めていた。リビングのテーブルで紅茶を味わいながら、優雅に万年筆を走らせている。そして、千歳がガレージで魔動機械をひっくり返すと、嬉々としてそちらを手伝いに行くのだった。


 志穂に至っては最初こそ、見ている側が不安になるくらい綾乃を心配していたが、彼女が回復するにつれて「綾乃をお世話できる口実ができたわ」とノリノリで看病するようになった。綾乃が遠慮しているというのに、ご飯まで食べさせてあげている始末である。


 そういったわけで、月兎隊の仲間たちは穏やかな日常を送っていた。


 ミキ自身について言うと、朝から晩まで勉強漬けの毎日である……というのも、アスカに手紙の返事を出すためだった。

 彼女は何しろ文字が全然書けない。せっかくだから漢字くらい書けるようになって、アスカを驚かしてみたいと思ったのだが、それを知った月兎隊の仲間たちがよってたかって色々と教えてくるのだ。


 仲間たちによる徹底レクチャーは、ミキが手紙を出してからも続いた。文字の書き方から計算の仕方、医学の知識に魔動機械の仕組み、炊事に洗濯に掃除に裁縫と……それぞれの得意なことを教えてもらうのだ。おかげさまでミキは学校に通っているような気分である。


 ただ、月兎隊が日常を謳歌している一方で世間は大騒ぎになっていた。

 機械迷宮で起こった事件が大きく公表されたのである。


 マグノリアが非道な手段でゼロ部隊の少女たちを従えていたこと、タイラン合衆国からの命令で魔力爆弾を回収しようとしていたこと、機械迷宮の地下には幻の第二階層が存在していたこと……どれも解放軍ならもみ消しそうなものだが、それらの事実は意外にも秋津国どころか全世界に知れ渡ることになった。


 これについて綾乃が言うことには「シヴァレル連邦の仕業かしら?」とのことである。

 タイラン合衆国の暴挙と失態を公表すれば、その力を大きく削ぐことができる。タイラン合衆国と対立しているシヴァレル連邦としては利用しない手はない。


 ただし、それは解放軍全体の立場を危うくする諸刃の剣だ。

 現に秋津国では解放軍に対する反発が強くなり、自国民の力で機械迷宮を攻略しようという機運が高まっている。第二階層という未踏破の区域が見つかったのも理由の一つだろう。

 これからは私立討伐隊が一気に増えるかもしれないわ、と綾乃が嬉しそうに語っていた。


 ちなみに月兎隊の活躍については、幸か不幸か世間には一切知られていない。ゼロ部隊の小隊一つを(間接的にであるとはいえ)私立討伐隊に壊滅させられたわけで、解放軍としても公表するメリットはないのだろう。


 時代の流れは確実に動き出している。

 でも、それをミキが感じ取れるには至っていなかった。


 ×


「終わったぁーっ!」

 鉛筆をテーブルに置き、ミキは大きく背伸びをする。


 日課である漢字の書き取りを終えて、テーブルに広げてあるノートを閉じた。


「今日もよく頑張ったわね」


 隣で見守っていた綾乃が微笑む。

 彼女もすっかり家庭教師が板についていた。


「えへへ、綾乃さんが嬉しそうにしてくれるから頑張れるのかも!」

「私もミキがしっかりとお勉強してくれて嬉しいわ」


 綾乃が満足げにニッコリとする。


「宇佐見家を再興させるため、立派な軍人にならないと……と思って、小さな頃は勉強漬けで辛かったけど、こうしてミキに教えられることが今は本当に幸せだわ」

「綾乃さんは先生に向いてると思うよ!」


 家の中でする勉強も、裏庭でする戦闘訓練も、一番熱心に教えてくれるのは綾乃だ。説明も分かりやすいし、ミキが何度失敗しても根気強く付き合ってくれる。ジェシカや千歳が教え方に困って、綾乃に聞きに行くなんてこともあった。


「あら……それじゃあ、少し考えてみようかしら?」


 満更でもなさそうにしている綾乃。


「でも、その前に私自身の勉強を済ませないとね」

「綾乃さんのお勉強?」


 よくよく見てみると、綾乃の手には一冊の本が握られていた。

 ミキの使っている小学生用の教科書とは比べものにならない分厚さである。


「魔動戦車のマニュアルよ。これから機械迷宮の第一階層が縮小されていくと、私たちの魔力が強化される範囲も狭くなっていくわ。そうなると私たちの事務所近の近くや、瓦礫街では生身で戦えなくなってしまうの」

「それじゃあ、もしかして魔動戦車を買っちゃったり……」

「ふふふ、なんだか面白そうでしょう?」


 どんなときでも綾乃は遊び心を忘れない。

 そんな彼女のことがミキはやっぱり好きだった。


 そのとき、ガレージから千歳とジェシカが事務所のリビングに入ってくる。二人とも不自然なくらいにニコニコしていた。


「またパンドラに新機能を追加したわ!」


 千歳がマウスピースを口にくわえて、いつものごとく背負ったパンドラに魔力を送る。それから、バレリーナのごとくポーズを決めたジェシカに両手をかざした。


 両手から放たれた魔力の光が、彼女の全身を優しく包み込む。

 瞬間、ジェシカの金髪がネオンサインのような蛍光ピンク色に早変わりした。


「よーし、成功ね!」


 ガッツポーズをしている千歳。

 ジェシカはうっとりと自分の髪を触っている。


「わたくしの新たな魅力が引き出されてしまいましたわね……」

「あの……この魔法は?」

「髪の毛の色を変える魔法に決まってるじゃない!」


 ミキが尋ねると、千歳が嬉々として説明を始めた。


「本当は透明人間になる魔法を作ってたはずなんだけど、どういうわけかこんな感じになっちゃったのよね。まあ、失敗は成功の母とも言うし、これからの改良次第ってところね。体のいい実験台も近くにいることだし……」

「髪の色を気軽に変えられるとなると、今後のおしゃれもはかどりますわ!」


 実験台にされていることに気づいていないジェシカ。

 蛍光ピンクになった髪の毛は、それから数分で元に戻った。


(やっぱり、二人ともすごく仲良しだなぁ……)


 千歳とジェシカが楽しそうにしていると、ミキはいつもうらやましくなってしまう。生まれる国が違っても、生い立ちが正反対でも、こんなに仲良くなれるものかと感心する。自分にもそんな関係の相手がいたらな……とは思わざるを得なかった。


「おしゃれと言えば――」


 綾乃が連想して何かを思い出す。

 すると、


「みなさーん! できましたよーっ!」


 ちょうど事務所の二階から志穂の声が聞こえてきた。

 階段の方に注目する一同。

 すると、ニコニコの志穂に付き添われて、凛音が二階から階段を降りてきた。


 凛音はゼロ部隊の軍服ではなく、月兎隊のセーラー服を着ている。

 左腕にはしっかりと月兎隊の腕章をつけていた。

 慣れない格好で恥ずかしいのか、彼女は珍しく頬を赤く染めている。


「……似合うかしら?」

「似合うよーっ!!」


 ミキは真っ先に駆け出し、恥ずかしがる凛音の手を握った。

 四方八方から彼女のセーラー服姿を観察する。


「ゼロ部隊の軍服も格好良かったけど、こっちのセーラー服もすごく可愛いね!」

「か、可愛い? 冗談はやめてほしいわ……」

「冗談じゃないよ、本当に可愛いもん! お人形さんみたい!」

「そ、そう……」


 千歳とジェシカの二人も、ミキに続いて凛音のセーラー服姿を眺める。


「ふーん、似合ってるじゃない! 志穂さんのおかげで丈もばっちりよ!」

「あふれ出す気品を感じますわ。流石は名家の生まれといったところですかしら」


 凛音はすっかり動物園の看板動物のような状態だ。

 助けを求めるように綾乃を見るが、


「この服のデザインにした甲斐があったわ。とってもお似合いよ」


 綾乃もすっかり見とれていて、助け船を出してくれるどころではなかった。


「これは新しい制服のアイディアがわいてきそうだわ」

「綾乃ったら、またそんなことを言って……」


 ミキが「また?」と首をかしげると、志穂はあきれた顔をして教えてくれた。


「月兎隊の制服を考えるためと言って、綾乃は秋津国中の学校から制服を取り寄せているの。おかげで綾乃の部屋にあるクローゼットは制服でパンパンになっているわ。私に仕立てを手伝わせることもあるし……まあ、手伝うのは構わないのだけど……」


 困ったわ、と言いながらも何故か嬉しそうな志穂。

 彼女がとにかく綾乃に甘いのは、ミキもすでによーく知っていた。


「なんにせよ、凛音さんが月兎隊に入ってくれて嬉しいよ!」


 ミキは凛音とつないだ手をぶんぶんと振る。

 気恥ずかしそうに視線をそらす凛音。


 凛音が月兎隊に加わったのは、機械迷宮の一件が終わったすぐあとだった。

 担当官であるマグノリアが死亡したことで、彼女の担当するゼロ部隊の小隊は解散することになった……らしい。

 あくまで想像なのはミキたちには内情を知る術がないからだ。解放軍が凛音を呼び戻さない以上、そのように判断するしかない。


 遠い親戚や知人を頼り、凛音は戦いから離れることもできたのだが、彼女はここに残って月兎隊に入ることを選んだ。

 綾乃は最初こそあまり賛成していなかったが、凛音の覚悟を受け止めて、月兎隊に加わることを許可してくれた。


「このまま自分だけ安全な場所に逃げるつもりはないわ。マグノリアの担当している部隊がなくなっただけで、解放軍にはゼロ部隊が今も残っている。解放軍の惨状はよく知っているし、放っておくことなんてできないわ」


 自分なりの戦う理由を語る凛音。

 綾乃もかつてはゼロ部隊に所属していたが、現在のゼロ部隊を知っているのは凛音だけだ。

 彼女の口ぶりから察するに、解放軍の中でゼロ部隊を悪用している人間は、マグノリアだけではないらしい。

 凛音の戦いは終わっていない……否、むしろ今が始まりなのだ。


「あっ!?」


 唐突に驚きの声をあげるミキ。

 仲間たちはむしろ、その声にびっくりさせられていた。


「私、入隊試験を合格してないから、まだ月兎隊じゃなかった……」


 すっかり忘れていた。

 まるで自分が先輩であるかのように、凛音の入隊をお祝いしてしまった。


(は、恥ずかしい……)


 ミキが赤くなった顔を両手で隠していると、


「あなたはもう立派な月兎隊の一員よ」


 綾乃が彼女の肩を軽くぽんと叩いた。


「強敵の野良戦車を倒せたのも、凛音が無事に戻ってきたのも、ミキが大活躍したおかげよ。本当は龍の巣で戦ったあとにでも合格をあげてよかったんだけど、あのときはいつになく落ち込んでいて……ごめんなさい」

「あ、綾乃さんっ!?」


 ミキは嬉しくなって顔を上げる。

 恥ずかしくなっていた赤い顔も、一瞬で晴れやかな表情に様変わりだ。


「ありがとう! 私、みんなのために頑張るから!」


 謝ってもらうことなんてない。

 尊敬する人に認められて、一緒に戦う仲間になれた……それが今は素直に嬉しい。


「おめでとう、ミキさん」


 今度は凛音の方から握手を求めてくれる。

 ミキは彼女の手を握り、嬉しさのあまりぴょんぴょんと飛び跳ねた。

 相変わらず跳ねまくりの髪の毛がリズミカルに揺れる。


「そうですわっ!」


 不意にジェシカが言った。


「ミキさんが12歳、凛音さんが13歳……お二人とも学校なら同じ学年ですわ。ここはお近づきの印として、これまでの『さん付け』ではなくて、お互いにミキちゃん、凛音ちゃんと呼び合うのがジャスティスではないかしら?」

「それはいいかもっ!」

「えっ……」


 正反対の反応をするミキと凛音。

 そんな二人を眺めて、千歳がくすくすと笑っていた。


「いいんじゃないの、友情の証ってことでね。なんかお似合いだし」

「よくないわっ! そんな小学生じゃないんだからっ!」


 凛音がぷくっと頬を膨らませる。

 そんな彼女の頬を綾乃が背後からつっついた。


「面白いからそうしましょうよ、凛音」

「あ、綾乃さん……」

「なんだったら、私のことも昔みたいに『綾乃お姉ちゃん』って呼んでもいいのよ?」

「そ、そんな小さいときのことっ!」


 面白いこと最優先の綾乃に、すっかり翻弄されている凛音。

 ミキは顔を赤くしている彼女に恐る恐る声をかける。


「……凛音、ちゃん?」


 てっきり怒られるかと思っていたが、


「そのうち呼んであげる。でも、条件があるわ」


 凛音の反応は予想外のものだった。


「一つ質問に答えてほしいの。前々から気になっていたことがあって……」

「質問? もちろんいいよ!」


 軽く了解してしまったが、ミキは内心少しだけ困っていた。

 真面目で知的なイメージの凛音だから、どんな難しい質問が飛んでくるか分からない。

 月兎隊の一員になると心に決めてから、それなりに勉強もしてきたし、戦うための心構えもちゃんとしているつもりだが……。


 ごくりと生唾を飲み、ミキは自然と身構える。

 そして、凛音が真剣な眼差しで質問した。


「あなたの髪ってどうしてそんなにモフモフしてるの?」


「……ふぇっ?」


 思ってもいない質問をされて、ミキはぽかーんとしてしまう。

 凛音がクスッとしたのを目の当たりにし、ようやく彼女にからかわれたことに気づいた。


「もーっ! 凛音ちゃん!」


 凛音の胸をポカポカと叩き、ミキは彼女と無邪気に笑い合う。

 二人の笑顔は月兎隊の仲間たちにも伝わり、その場は和気藹々とした空気に包まれた。


 これからどんなことがあっても、この仲間たちと一緒なら乗り越えられる。

 ミキはそんな明るい未来を感じるのだった。



(第一章、完)

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