1-22『最終決戦5』

「凛音さん!?」


 予想だにしない行動にミキは驚かされる。


 顔のない少女の手をつかみながらも、凛音の目はこちらを見ていない。

 マグノリアに打たれた薬物の効果は続いているのだ。

 彼女がどうして助けてくれたのかは分からない。

 でも、もしかしたら気持ちが届いたのかもしれない……そう思えるだけでも今のミキには心強かった。


 顔のない少女の手から血にまみれた秋津刀が落ちる。

 秋津刀を打ち合ったときの力から考えると、彼女にとって凛音の手をふりほどくことは容易いはずだった。


(私の言葉が通じた……のかな?)


 希望混じりの推測なのは自覚している。

 それでもミキは願わずにいられない。


 戦争が終わったあとも戦い続けるなんて、そんな悲しいことは他にない。必要に迫られてのことなら早く終わらせるに限るし、望まぬ戦いに巻き込まれるのは理不尽だ。戦争が終わったあとも戦うなんてことは、覚悟や志を持っている人だけの行いなのだ。


(私とか、月兎隊のみんなみたいに……戦う理由のある人だけでいい)


 顔のない少女が大きく飛び退く。

 彼女は人間離れした動きで、機械迷宮の闇の中に消えていった。


 周囲に静寂が満ちる。

 魔力爆弾を処分することはできなかった。

 それでも、望まぬ戦いを避けることはできた気がする。


(あとは凛音さんを連れて帰って……)


 そのときだった。

 凛音が突如として地面に倒れる。

 ミキは立ち上がることができず、彼女のそばまで這って移動した。


「……凛音さん、大丈夫!?」


 凛音は宙を見つめるばかりで、声をかけても微動だにしない。


 月兎隊の入隊試験を受けるため、一般的な怪我や病気の対処法はミキも教わった。しかし、人間を操り人形にしてしまう危険な薬物についてまでは教えられていない。凛音の状態が危険なのかどうかすら、知識のないミキには分からないのだ。


 凛音を連れた帰りたい。

 でも、立ち上がる力が残っていない。


(それなら体力が回復するまで休んで……いや、一刻を争う状態かも!)


 頭の中で考えがグルグルしている。

 ミキの頭がパンク寸前になったところで、


「そこにいたのか、来栖ミキ!」


 頼もしさの塊のような声が背後から聞こえてきた。

 ミキの元に駆けつけてくれたのは、私立討伐隊『藤堂組』の三人である。

 隊長である長身の少女、藤堂時雨が膝をついてミキの手を握った。


「到着が遅れて済まなかったな」

「時雨さん、どうしてここに……」

「宇佐見綾乃が伝言を残しておいてくれたのさ。解放軍とことを構えるというものだから、私たちも大急ぎで出動したのだが……まさか、このような事態になっているとはな。うち以外の私立討伐隊にも伝えてあるから、しばらくしたら応援に駆けつけるだろう」

「よ、よかった……これで少し安心できる」


 仲間が多いということは本当に心強い、とミキはしみじみと感じ入る。

 ここまで本当に生きた心地がしなかった。


「ともかく、宇佐見綾乃たちのいるところに戻ろうか」

「綾乃さんは無事だったの!?」


 ミキの問いかけに対して、時雨は力強く笑顔を返した。


「あぁ、心配するな。ジェシカ・ローソンと似鳥千歳の二人が、的確な応急処置を済ませていたよ。本当は先に帰らせたかったが、きみたちを待つと言って聞かなくてな。本当に優しい女性だよな、彼女は……」

 時雨がそう言いながら、倒れている凛音を軽々と背負った。

「……髪モフの子だわ」

「……肩を貸しなさい」


 時雨の使用人であり、藤堂組の隊員でもある双子、きららとひかるの二人がミキの体を左右から支えてくれる。この前はもみくちゃにされて大変だったが、今日に限っては二人とも真面目にしてくれていた。


 時雨を先頭にして一同は道を戻る。

 周囲から野良戦車の気配は感じられない。顔のない少女が逃げていったからだろうか……とミキは考えてみたが、いくら考えても答えが出そうにないので、今は歩くことだけに集中することにした。


 野良戦車とは結局遭遇せず、ミキと藤堂組の三人は魔動機械の森まで戻ってくる。

 綾乃たちの待っているはずの場所には、大きな魔力のドームが存在していた。


「あれは……魔力防壁?」

「ではなくて、野良戦車から感知されなくなる結界魔法だ。あの魔法は使うためにはそれなりの準備が必要で、戦闘中にはもちろん展開している暇なんかないが、怪我人を寝かせておいたりするにはうってつけだ」

「その結界魔法も時雨さんが?」

「それはきららとひかるがやってくれたよ」


 時雨がそう言うと、ミキを左右から支える二人がしたり顔になった。


「……ほめたたえよ」

「……あとでモフらせて」


 これは無事に帰れたら、いくらでも付き合うしかあるまい。

 そんなことをミキが考えているうちに四人は結界魔法まで辿り着いた。


「ミキ! よかった、帰ってきてくれて!」


 千歳がこちらに駆け寄ってきて、無事を確かめるようにミキの顔を触る。

 結界魔法の中には綾乃とジェシカが寝かされていた。


「銃弾は無事に取り出せた。それにジェシカは疲れて寝てるだけだから。あとはゼロ部隊の子たちが全員戻ってきて、あの穴から出てったけど……あの女は?」


 千歳の問いかけにミキは首を横に振る。

 それ以上、千歳は追求しようとしなかった。


「お帰りなさい……ですわ」


 寝ていたはずのジェシカが起き上がる。

 ミキが最後に見たときよりも彼女の顔色はよくなっていた。

 わずかな時間でも一眠りして回復できたらしい。


「凛音……ミキ……」


 綾乃までもが目を覚まし、自力で起き上がろうとする。

 彼女の腹部には包帯が巻かれていて痛々しい。


「綾乃さん、平気なの!?」

「局所麻酔が効いているわ。だから、今のところは……」


 血の気の引いた顔を見れば、平気なはずないのは明らかだった。

 けれども、綾乃がどれだけ凛音を心配しているかを仲間たちは知っている。

 鬼気迫る彼女を止められず、千歳とジェシカが上半身を起こしてやった。


「ミキは……無事だったのね?」

「凛音さんが守ってくれたんだよ! でも、今は……」

「彼女、どうも様子がおかしい」


 時雨がそう言って、背負っていた凛音を地面に寝かせる。

 凛音は意識が混濁したまま、眠るでもなくうつろな目で宙を見ていた。

 ジェシカが近寄って容態を確認する。


「凛音さんは薬物を注射されたと言ってましたわよね?」

「う、うん……マグノリアが注射器で首筋に……」

「そのとき、薬物の種類については何か言ってなかったかしら?」


 ジェシカに言われて、ミキは疲れ切った頭で必死に思い出す。

 マグノリアが注射をするとき、何か自慢げに語っていたような……。


「そ、そうだ! 瓦礫街の闇市で手に入れたものだって!」

「……でしたら、ここが峠ですわ」


 ジェシカがごくりと生唾を飲む。


「それってどういうこと!?」


 信じたくないと言わんばかりの千歳。

 ジェシカが気の遠くなりそうな顔で言った。


「とっくに違法化されている危険な薬物ですわ。子供なんかに使ったら、その日のうちに命を落とすことも……ともかく、意識を失ったら間違いなく危険でしてよ。ここで正気を取り戻させなければチャンスはありませんわ」

「……凛音さんっ!」


 ミキはすぐさま大きな声で凛音に呼びかける。

 呼びかけには千歳とジェシカも加わり、さらには藤堂組の三人も一緒になって凛音の名前を呼び続けた。

 しかし、それでも凛音の正気は戻らないどころか、だんだんと呼吸が弱まってきているようだった。


 マグノリアの呪いから逃れることはできないのか?

 自分たちは少女の一人すら救うことができないのか?


「凛音さん、目を覚ましてっ!」


 ミキは諦めきれずに声をかけ続ける。


「やっと自由になれたんだよ! やっと綾乃さんのところに戻ってこられたんだよ! 仲間を傷つけることも、誰かを見捨てることも、自分を嫌いになることもしなくていい。これからは凛音さんが好きなように生きられるのに……」


 それなのに……自分を案じてくれる人たちの声を聞くことすらできない。

 誰の声も届かない場所をひとりぼっちでさまよい続けている。


 孤児たちを見捨て、仲間たちに罰を与え、その罪悪感を凛音は一人で背負い続けた。そんな孤独な戦いを生き抜いた結末が無慈悲な死だとしたら、この世界にはもう希望なんて一つも残っていない。


(こんなことって……ない)


 凛音のことが可哀想で、自分のことがふがいなくて、ミキの目から涙があふれてくる。


 ここで泣いてしまったことが悔しい。これではまるで諦めてしまったみたいではないか。

 諦めて座り込み、泣いているだけの子供ではいたくない。月兎隊の一員として、最後まで諦めずに戦いたい。

 そう思っているのに……涙が止まってくれない。


 涙は仲間たちに伝播する。

 己の無力さを痛感させられ、あらがう力を奪われてしまう。


 凛音に呼びかける声も途切れ始め、その場を絶望が支配しようとしていた。

 それでも一人だけ……月兎隊には諦めない人がいてくれた。


「ありがとう、凛音」


 綾乃が消え入りそうな弱々しい声で凛音に語りかけた。

 それは今にも命が燃え尽きような人に対するものではない。久しぶりに再会した家族に対して、これまでの思い出を懐かしむような呼びかけだ。力強いものではないけれど、だからこそ聞くものの胸にじんわりと染み入る。


「凛音がミキを助けてくれたのよね。あなたは小さいときから、強くて、優しくて、責任感があって……私にとっては大切な妹のような存在だったわ。最近は仲良く話すことができなかったけれど、あなたは少しも変わっていなかったのね……」


 綾乃が傷ついた体を引きずって、どうにか凛音のそばに寄り添った。

 ぽたり、と涙のしずくが落ちる。


 綾乃の流した一筋の涙が、凛音の柔らかそうな頬を濡らした。

 それは美しい光景だった……ミキにはそう感じられた。


 命の危機が迫っている状況なのに、美しいだなんてのは場違いで不謹慎なようには思う。けれども、凛音のことを一心に思っている綾乃の姿は、まるで本当のお姉さんのようで……見ていると自分まで励まされているような心地になるのだ。


(届いて……綾乃さんの願い!)


 綾乃と凛音のために、ミキは心を込めて祈る。

 奇跡でもなんでもいい。

 今はただ、二人が失ってしまったもののために――


「……あ、や、の」


 聞こえてきたのは消え入りそうな声だった。

 うつろだった凛音の目がしっかりと綾乃に向けていられる。

 血の気の引いていた肌にうっすらと赤みが差した。


「私、やっと……戻ってこられた……」


 凛音の発する言葉には、弱々しくも間違いなく感情が込められている。

 彼女はマグノリアの残した呪縛を断ち切った。

 ミキたちにもそれが心の底から理解できていた。


「おかえりなさい、凛音」


 綾乃が残りの力を振り絞り、目覚めたばかりの凛音を抱きしめる。

 凛音も力の入らない腕で、けれども力一杯に綾乃の体を抱き寄せた。


「綾乃……お姉ちゃん……」

「……いいのよ、凛音」


 二人の間にそれ以上の言葉は必要なかった。

 ふれあった頬から気持ちが伝わっているようだった。


「危険な状態は脱しましたわ。あとは病院での治療で回復できましてよ」


 ジェシカの言葉を聞いて安心したか、綾乃の体が大きくふらついてしまう。

 危うく倒れそうになったところを千歳と時雨が受け止めてくれた。


 綾乃はホッとした顔をすると、そのまますやすやと寝息を立て始める。

 それは久しぶりに見られた彼女の安堵した姿だった。


「全く……うちの隊長は頑張り屋さんなんだから」

「たいした女だよ、宇佐見綾乃は……」


 二人の言葉にはきららとひかるもうなずいている。

 双子のメイドはお互いの手を取り合って、大粒の涙をぽろぽろと流していた。


 集まった仲間たちを見回して、凛音は目をまん丸にしている。

 それから安心したようで、力が抜けたように目を細めた。


「……凛音さん、よかったね」


 彼女の手を握りしめて、ミキは嬉しくなって顔をほころばせる。

 すると、凛音がぽつりと呟いた。


「私、ずっと見てた……」

「見てた?」

「あなたが戦うところを……私を守ってくれているところを……でも、自分の体が自分のものではなくなっていて、あなたを助けたいのに動けなくて……だけど、最後の最後になって、あなたを守ることができた」


 凛音が弱々しい力でミキの手を握り返す。

 ミキは優しく彼女の手を両手で包み込んだ。


「ありがとう、凛音さん。」


 疲れもあってか凛音の手は酷く冷たい。しかし、感情の失われた冷たさとはもう思えなかった。

 共に戦った仲間のため、苦しんでいる誰かのため、己の熱を全て使ってしまう……そんな彼女の優しさが表れているように思えるのだ。


「あなたのおかげで私は助かった。こうして二人で帰ってくることができたから、綾乃さんを――みんなを悲しませずに済んだ。それが今は心の底から嬉しいよ。だから、もう一度言わせてほしい……本当にありがとう、凛音さん」


 晴れやかな笑みを浮かべるミキ。

 すると、凛音もつられるように破顔した。

 それは出会ってから初めての……彼女の心からの笑顔だった。

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