1-20『最終決戦3』

 ミキの目の前に立っている凛音が口からマウスピースを離す。

 彼女は真っ直ぐにミキを見ているが、注射を打たれたときと変わらず目はうつろだ。


 凛音の綺麗な瞳に映り込む自分の姿がミキには見える。

 映っているだけなのか、見えているだけなのか、それが分からない怖さがあった。


(それにしても、どうして助かって……あっ、重力弾か!)


 ミキは少し考えて思い当たる。

 凛音が使っていたのは重力弾の魔法板だ。

 弱めの重力弾をぶつけることで、ミキの落下速度を遅くしてくれたらしい。


(それじゃあ、凛音さんは自分の意思で……)


 ミキは嬉しくなって思わず凛音の手を握る。

 凛音の手は幽霊のように冷たいが、むしろ暖め甲斐があるように感じられた。


「ありがとう、凛音さん。もう洗脳は解けて――」

「……凛音、上手くやれた?」


 ミキの楽観的な予測はたやすく打ち砕かれる。

 凛音の背後から現れたのはマグノリアだった。

 彼女はこの激しい戦場にいるとは思えないほど小綺麗に見える。


「野良戦車に誰か吹っ飛ばされたと思ったら……なんだ、月兎隊のミキちゃんじゃないの。うちの子じゃないなら、そのまま見殺しにしちゃってもよかったのに、最近の凛音はすっかり忠実になっちゃったんだから」


 マグノリアが凛音の首筋を爪でなぞる。

 ミキの拳に思わず力がこもった。


「忠実になった……だなんて、おかしな注射を打ったのはあなただよね?」

「おお、こわっ! スラム街育ちは目が怖いんだから」


 おどけてからかってくるマグノリア。


「これは盗みだけじゃなく、何人か殺してる目ね……間違いないわあ!」

「凛音さんを帰してっ!!」


 ミキは我慢できずに飛びつこうとしてしまう。

 寸前、


「ミキ、危ないっ!!」


 背後から千歳の声が聞こえるや否や、後ろに向かって体が引っ張られる。

 その直後、目と鼻の先を野良戦車が通り過ぎていった。

 凛音にばかり気を取られて、野良戦車の爆音すら聞き逃していたらしい。


 すぐさま魔力防壁を展開し、ミキは自分と千歳の身を守った。

 野良戦車の乱れ撃った波動弾が魔力防壁に命中する。

 殴られるような衝撃が右胸を襲って、ミキは歯を食いしばってこらえた。


 凛音とマグノリアはすでに姿を消している。

 おそらく他の仲間と合流しに行ったのだろう。


「……あ、ありがとう、千歳さん!」

「こっちこそ合流できて助かった」


 ホッとため息をついている千歳。

 ミキは魔力防壁を解除し、魔力と体力の回復を試みる。


「綾乃さんとジェシカさんは?」

「私も見てない。でも、綾乃のことだからジェシカと怪我人は守ってくれてるはず。そうだとすると向こうは動けないから、こっちから探すしかないかな」

「携帯ライトで合図を送るのは駄目みたい。野良戦車にも見つかっちゃう。大声を出したりしたら、それこそ野良戦車に位置を知らせちゃうようなものだし……」


 荒くなった呼吸を整えつつ、ミキはどうにか頭を働かせようとする。


「でも、視界拡張の魔法を使えるのは綾乃さんだけで――」

「私にも使える索敵の魔法があるのよね、これが!」


 千歳がマウスピースを口にくわえて、背中のパンドラに魔力を送り込む。

 途端、パンドラから耳鳴りのような高音が鳴り響いた。

 ミキが耳を塞いで顔をしかめている一方、千歳は目を閉じて集中している。


「……こっちかな」


 数秒後、千歳が真正面を指さした。

 ミキはひとまず彼女に続いて歩き出す。


「今のはどんな魔法を使ったの?」

「簡単に説明するなら、コウモリの超音波って感じかな」


 千歳が歩きながら説明してくれる。


「周囲に微弱な魔力波を撃ち出して、その反射具合から周囲の地形を確認するわけ。視界拡張の魔法とは違って、そんな詳細には分からないんだけど、その代わりに魔力をあまり必要としないのよね」

「それで綾乃さんとジェシカさんの場所が分かったんだ!」


 素直に感心するミキ。

 切羽詰まった状況でも、魔法の解説にはついつい聞き入ってしまう。


「でも、ちょっとまずいかも……」

「えっ……まずいって?」


 千歳のつぶやきに対して聞き返すミキ。

 綾乃たちの姿を見つけたのはそのときだった。


「ミキに千歳、無事だったのね!」


 巨木のような魔動機械の陰から綾乃が飛び出してくる。

 見たところ彼女も無事なようだった。


 綾乃に手を引かれて、ミキと千歳も魔動機械の陰に隠れる。

 負傷した少女の姿は見当たらない。


「あれ……あの子は?」

「他のゼロ部隊の子が連れて行ってしまいましたわ」


 ジェシカがあきれて肩をすくめる。

 疲れてこそいるが、彼女も怪我はなかった。


「歩けるようになっていましたけど心配ですわね」

「そうだ。それがちょっとまずい!」


 千歳が早口で言った。


「魔力音波の魔法で位置を探ったんだけど、マグノリアとゼロ部隊の集まった位置が、私たちのいるところから結構離れてる……というか、位置的には反対側ってくらい。合流するまでかなり時間がかかる」


 合流に時間がかかるとはつまり、それだけ野良戦車から攻撃されるということだ。

 ここまで防戦一方で一矢報いることもできていない。


(本当に倒せるのかな、あんな怪物を……)


 ミキは圧倒的な脅威に背筋を振るわせる。

 その一方、綾乃が即座に指示を飛ばした。


「千歳、無線をお願い。電波はゼロ部隊が勝手に拾ってくれるわ」

「勝算があるわけね……よし、了解!」


 マウスピースを口にくわえて、千歳が背負っているパンドラを起動する。


 綾乃ならきっと状況を打開してくれるはず!

 そんな期待通りの行動に、ミキは否応なしに胸が高鳴る。


 パンドラの内臓スピーカーから、砂嵐のような音が聞こえたかと思うと、


『月兎隊か……そちらから無線なんてどうしたのかな?』


 マグノリアの憎たらしい声が聞こえてきた。


「協力しましょう。私たちだけでも、あなたたちだけでもアレは倒せない」


 綾乃が単刀直入に本題を切り出す。


「あなたたちの使っている重力弾……あの空間跳躍と根本は同じものと見たわ」

『ほほう、それはどういう根拠で?』

「空間の歪み……随分と似ているように見えるわ」


 綾乃にそう言われてから、ミキもようやく気づかされる。

 重力弾を使ったときも、野良戦車が空間跳躍をしたときも、必ず同じように空間の歪みが発生していた。

 不思議な魔法もあるものだ……とミキが普通に驚いていた一方で、隊長である綾乃はしっかりと分析していたらしい。


『それは私も同意するね』


 マグノリアが珍しく素直な反応をする。


『ゼロ部隊の使っている重力弾は、秋津国軍の研究所から資料を回収し、タイラン合衆国軍が完成させたものでね……まさか、その発展系が空間跳躍になるとは思いもしなかったな。せっかくだから回収しておきたいが……いや、冗談だよ』


 案の定、こんな状況でも軽口が飛び出してくる。

 綾乃はそれを無視して、自ら考えた作戦を伝えた。


「重力弾には野良戦車の突進を止められるだけの力はない。でも――」

『……なるほど、上手く考えたね』


 マグノリアが上から目線で言ってくる。


『最初のところはうちが請け負うとして、それからはどうするつもりかな?』

「私とミキがやるわ」

「わ、私も一緒に!?」


 綾乃の発言にミキは思わず驚かされる。

 両肩にのしかかってくる鉛のような重圧。

 それを取り払うように、綾乃の手がミキの肩に触れた。


「気負うことはないわ、ミキ」

「あ、綾乃さん!」

「あなたはいつものように自分の得意なことをすればいいわ。魔力を圧縮して、右手から放つ……それ以外のことは全て、私を信じて任せてほしいの。それこそ、恐怖することすら忘れてもらえると嬉しいわね」


 優しく微笑みかけてくれる綾乃。

 恐怖を忘れるほど仲間を信じる。

 それが自分にできるかと、ミキは自問自答した。


(……いや、できるかどうかじゃない。やってみせるんだ!)


 野良戦車を倒さなければ、凛音を取り返すことも、魔力爆弾の回収を阻止することもできない。あらゆる回避策はすでに失われているのだ。今この瞬間こそが、自分にとっての正念場なのだと確信する。


「綾乃さん、私は大丈夫だよ!」

「……その答えを待っていたわ」


 綾乃がパンドラの無線機能でマグノリアに伝える。


「索敵を!」

『任された……重力弾、発射!』


 マグノリアの出した指示がパンドラのスピーカーから聞こえてくる。

 それから、重力弾の一斉に放たれる音が響いてきた。


 しかし、それは野良戦車を攻撃するためのものではない。放たれた重力弾も威力が抑えられており、その代わりとして可能な限り広範囲に届くように工夫されている。重力弾でミキの落下速度を抑えたように、絶妙なテクニックによって調整されていた。


 そのとき、乱立する魔動機械の間に空間の歪みが出現する。

 ミキたちの後方、わずか10メートルにも満たない位置だった。


(綾乃さんの予想通り!)


 野良戦車が空間跳躍をして出てくるとき、その出口になる空間があらかじめ歪んで見える。

 ただし、薄暗いこの場所では空間の歪みも見えにくく、これまでは発見するのが遅れて奇襲を受けっぱなしだった。


 そこで綾乃が目をつけたのが重力弾である。

 空間跳躍にも重力が関わっているなら、重力弾を干渉させることで、空間の歪みを大きく浮き上がらせられる……すなわち、野良戦車が出現する位置を素早く発見できるようになると、彼女は予測したのだった。


「こちらは出現位置を確認! そちらは万が一の援護に!」


 パンドラの無線機能で状況を伝える千歳。


「お二人にわたくしの魔力を託しますわ」


 ジェシカが両手をかざし、ミキと綾乃に魔法をかける。

 彼女の両手から放たれた魔力が、二人の体を優しく包み込んだ。

 全身にたまった疲労が和らぎ、体が軽くなったのをミキは感じる。


「これは……身体強化の魔法?」

「今度はちゃんとした方の身体強化ですわ。運動能力の限界を取り払うのではなく、純粋にわたくしの魔力でアシストしていますから、反動を気にせず全力を出せるはずですわ。ただし、長時間は保たないのでご注意くださいまし!」

「ありがとう、ジェシカさん。本当に練習してたんだね!」


 ミキが軽くジャンプしてみると、自分の腰くらいの高さまで跳ぶことができた。

 全身が軽く感じられ、ぐっと力を込めることができる。

 これなら全力の一撃を放つことができそうだ。


「さあ、乾坤一擲の大勝負よ!」


 綾乃が深く腰を落として、愛刀『三日月』を真一文字に構える。

 彼女のやや後方に移動し、ミキも波動弾の発射準備に入った。


 マウスピースを噛みしめて、第二の心臓に意識を集中させると、真っ直ぐに伸ばした右手に魔力が集まり始める。それは手のひらの前で圧縮され、太陽のように光り輝く魔力の弾丸を形成していった。


 綾乃の構えた三日月もまた、ありったけの魔力を注ぎ込まれて青白く輝いている。目にも止まらぬ速度で刀身が振動し、それが周囲の空気を振るわせて、辺りに漂っている砂やほこりを一気に吹き飛ばした。


 人間の悲鳴にも似た野良戦車の駆動音が聞こえてくる。

 直後、その巨体が空間の歪みから姿を現した。


「ミキ、波動弾を!」

「はいっ!」


 ミキは最大まで圧縮した波動弾を放つ。

 綾乃が真一文字に構えた三日月に向かって!


「いっけええええっ!!」


 雄叫びを上げるミキ。

 波動弾が三日月に衝突した瞬間、増幅された魔力が視界を埋め尽くす。


 弾かれるように飛び出した綾乃が、


「これで終わりよ」


 突進してくる野良戦車を目にも止まらぬ速度で一閃した。


 鋼鉄の装甲に守られた巨体が、空間の歪みから現れるなり真っ二つになる。切り離された車体の上部と下部は、突進の勢いのままに別々の方向へ飛んでいった。

 魔動機械が巻き添えになり、次々となぎ倒される光景は圧巻である。


(……や、やった!)


 ミキの体に解放感と達成感が同時に押し寄せてくる。

 会心の魔法を撃てた瞬間の気持ちよさはやはりたとえようもない。

 それも作戦が成功したとなったら格別だ。


「最高の一撃だったわ、ミキ」


 綾乃がこちらに振り返る。

 濡れ羽色の黒髪がふわりと軽やかに舞った。


「私のことを信じてくれて本当にありがとう」

「綾乃さんが励ましてくれたから……それから、千歳さんもジェシカさんも!」


 ミキは照れくさくなって、いつもより乱れている髪をくしくしする。


 仲間たちの力が一つになったのを確かに感じた。

 千歳に助けてもらわなければ、みんなで集まることはできなかったし、ゼロ部隊と連絡も取れずに作戦を実行できなかった。

 ジェシカに身体強化の魔法をかけてもらわなかったら、最高の一撃を放てずに野良戦車を倒すことができなかった。

 それから……。


(あれ? 凛音たちはどこだろう?)


 ミキはようやく冷静さを取り戻す。


(作戦が失敗したときのために動いてくれていたはずだけど――)


 考え始めたときには全てが遅かった。

 魔動機械の森に響き渡る一発の銃声。

 火薬の独特な焦げ臭い匂いが漂ってきた。


「あらら、隙を見せちゃったね?」


 マグノリアが魔動機械の陰から姿を現す。

 彼女は右手に火薬式の回転拳銃を握りしめていた。


「えっ……」


 綾乃は自分の身に起こったことを理解できていない。

 彼女の右胸からは真っ赤な血がどくどくと流れ落ちている。

 それを目の当たりにした途端、綾乃の体は膝から地面にくずおれた。

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