1-16『ミキと凛音3』
ミキは魔動バイクに乗って、東武市の町並みを走り回った。
ゼロ部隊の少女たちは非番になると街に繰り出す。そこはやはり軍人といえども、年頃の女の子だろう。
綾乃や凛音のような由緒正しい軍人一族の娘も所属させるくらいだから、給金だってそれなりにもらっているはずだ。もちろん、お金をもらったり外で遊ばせてもらったりしたからって、不本意なことをやらされている埋め合わせにはならないが……。
(ここなら会えるかと思ったけど……そう簡単には見つからないか)
ミキが魔動バイクを止めたのは、ひときわ賑やかな大通りの一角だった。休日のおやつ時ということもあり、周囲はあふれんばかりの人でごった返している。
凛音と再会できた場所がここなので、もしかしたらと思ったのだが……。
(私、なにやってるんだろう?)
ミキは魔動バイクの車体に寄りかかる。
今日が休日だからといって、凛音が非番とは限らないし、彼女が街で遊んでいるかも分からない。
解放軍の基地に行っても門前払いされるだろうし、それならこの方法しかないと走り出したときは思ったが、今になって思うと完全に考えが浅かった。
(綾乃さんのバイクも勝手に乗っちゃったし謝らないと……)
ミキの前を数え切れない人たちが通り過ぎていく。
自分一人で何をしているのか、とむなしい気持ちになってきた。
(……もう帰ろう)
ミキは魔動バイクにまたがろうとする。
そのときだった。
目の前を通り過ぎるリボンだらけの綺麗な白髪。
ミキと背丈も年齢も変わらないのに、軍服を着こなしている大人びた雰囲気。
それでいて迷子の子猫のように寂しげな横顔。
「凛音さんっ!」
ミキは一人で歩いている凛音に呼びかける。
今日はゼロ部隊の仲間と一緒ではないらしい。
凛音はその場で立ち止まったが、こちらに振り返ってはくれなかった。
「あの、綾乃さんのことなんだけど――」
「くっ……」
話を切り出そうとした瞬間に凛音が走り出す。
ミキは凛音の手をつかみ、強引ながらも彼女を引き留めた。
「やっぱり……ゼロ部隊をやめられないの?」
「あなたに話すことではないわ」
とりつく島もない凛音。
軍服の袖を引っ張りすぎて、ちぎれるのではないかと心配になってくるが、ここで手を離すわけにはいかなかった。このチャンスを逃したら最後、凛音は二度と街に姿を現さなくなるかもしれない。綾乃だって私立討伐隊をちゃんと続けられるかどうか……。
「綾乃さんから頼まれたの。あなたの気持ちを確かめてほしいって!」
本当はそんなこと頼まれてない。
でも、綾乃はきっと確かめたがっている。
心が深く傷ついて、確かめる勇気がなくなっているだけだ。
「本当に……本当に駄目なの?」
「……無理よ。今更、絶対に無理」
凛音が振り返らずに答える。
彼女の手は小さく震えて、ふりほどこうとする力も弱まっていた。
聞けたのは否定の言葉だったけど、それでも間違いなく一歩前進している。
(凛音は話したがってる!)
ミキはさらに踏み込んで問いかけた。
「どうして無理なの?」
「私は……もうたくさんの人を殺してる」
マグノリアの言っていたことが思い出される。
自分の手を下したことはない……はずだ。
「たくさんに人って、私みたいな子供たちのこと?」
「ええ……あなたのような瓦礫街の孤児たちが、死んでいくところを何度も何度も見捨ててきたわ。野良戦車に襲われている子も、怪我をして動けなくなっている子も、助けを求めてすがりついてきた子も全て……」
「でも、本当は助けたかったんだよね?」
ミキには分かる。
凛音は冷酷な軍人を演じようとしているだけだ。
そうしないと罪の重さに耐えられないから……。
「凛音さんは悪くないよ! 自分のことを許せなかったとしても、いつかは許せるようになる日が来るよ。綾乃さんだって元々はゼロ部隊だったけど、今は月兎隊のリーダーとして野良戦車をやっつけてる。諦めないで戦ってるんだよ!」
「無理……絶対に無理……」
これまで言ってもなお、凛音を呪縛から解き放つことができない。
彼女に絡みついた鎖は、どれほど頑丈で、どれほど重いのだろうか。
「このままだと、綾乃さんはマグノリアを殺めてしまうかもしれない」
凛音の手がビクッと震える。
綾乃に過ちを犯してほしくないのは彼女も同じらしい。
「それほど綾乃さんは思い詰めてしまっているの。あなたを救い出すにはマグノリアを殺すしかないって、自分のことを顧みようとすらしない。綾乃さんを助けるためにも……お願いだから勇気を出して……」
「綾乃さんの……ために……」
こちらにゆっくりと振り返る凛音。
彼女の頬を一筋の涙が伝っていた。
やっぱり優しい子だ、とミキは内心ホッとする。
彼女は自分を追い詰めてしまうけど、それは優しさの裏返しなのだろう。
でも……だからこそ、こうして助けを求める声には応じてくれる。
「綾乃さんとは仲良しだったんだよね?」
「……私にとっては姉のような人だったわ」
ミキの問いかけに凛音は小さくうなずいた。
「私が物心ついたとき、家族はみんな戦争犯罪者として捕まっていた。両親とは鉄格子越しにしか会ったことがなかったわ。それなのに周りの人たちからは、一族のためだとか、家族のためだとか言われて……でも、生きていくためにはいいなりになるしかなかった」
「すごく大変だったんだね」
「綾乃さんも同じ境遇だったはずなのに、彼女はいつも私を励ましてくれたわ。自分の時間を削ってまで、志穂さんと一緒に会いに来てくれた。そのおかげで、私は押しつぶされずに住んでいたの……そう、あの人に会うまでは……」
凛音の顔が恐怖に歪む。
「……逃げられない」
「えっ?」
彼女の表情はまるで、野良犬に吠えられた幼子のようだ。
「あの人からは逃げられない……」
「逃げられないって……ほら、今は私の他に誰もいないよ?」
「でも、逃げようと考えたら足がすくんで……」
座り込んでしまいそうなほど体を震わせている凛音。
マグノリアから与えられた恐怖はこちらの想像を明らかに超えている。
本人が近くにいなくても、呪いが凛音の心をむしばんでいるのだ。
(それなら、どうやって勇気づけよう?)
ミキの知っている方法は一つしかない。
「凛音さん、怖がらないで!」
綾乃からしてもらったときのように、ミキは力一杯に凛音を抱きしめる。
抱きしめられた瞬間こそ、凛音の体はきつくこわばっていたが、次第にリラックスしてきて体を預けてくれるようになった。ミキがさらさらした白髪を撫でると、お母さんにだっこされた赤ちゃんのように、彼女から伝わってくる体温が暖かくなった。
「月兎隊の事務所に行こう。それから綾乃さんと話そうよ」
ミキは凛音の耳元で囁く。
「綾乃さんなら絶対にあなたのことを守ってくれるから……」
「ミキさん、私は――」
直後、
「……はい、そこまでね」
ミキの背後から気味の悪いほど明るい声が聞こえてきた。
人の命をなんとも思っていないような……罪の意識を感じさせない声。
だからこそ、その声の持ち主は何をするか分からない。
ミキは恐る恐る振り返る。
途端、容赦なく顔面を握り拳で殴られた。
建物の壁に背中をぶつけて、そのまま地面にぐったりと倒れ込む。
血の味が口に流れ込んできて、鼻血が出てしまったのだと分かった。
「他人様のものを盗むのはルール違反かな、お嬢ちゃん」
いきなり姿を現したマグノリア。
彼女は煙草を吹かしながら、にやついた顔でミキを見下ろしていた。
その場に居合わせた通行人たちからは悲鳴が上がっている。
普通なら誰かが助けに入ったり、警察を呼んだりしそうなものだが、相手は見るからに解放軍の人間だ。最初はこちらを気にしていた通行人たちも、巻き込まれたくない一心で次第に距離を取るようになった。
「ど、どうして、ここに……」
「どうして?」
ミキの質問をマグノリアが鼻で笑う。
それから、彼女は凛音の体を乱暴に抱き寄せた。
「私がこいつを信用するわけないじゃない」
軽く爪を立てて、凛音の顔を撫でる。
凛音は刃物を突きつけられているかのように顔面蒼白になっていた。
「綾乃と久々に会ってから様子がおかしくて、念のために見張ってたらこれなんだから。あなたって子は本当に心が弱っちいのよね……ああ、またお仕置きをやり直さないと駄目かなあ、これは?」
「……ごめんなさいっ!」
突然、凛音が膝をついてマグノリアにすがりつき始める。
「もう二度と逆らわないからっ……」
「そんなことを言ってさ……んん? 私を裏切るのは何回目だっけ?」
「お願い……みんなだって嫌がるから……」
「私だってやりたくない。こんなことはやりたくないんだよ、凛音」
一つも思っていないことをすらすらとしゃべるマグノリア。
凛音はそんな彼女の戯言を必死に受け止めているのだった。
「でも、やりたくないことでもやらなくちゃいけない。それは凛音……あなたが私に逆らったからいけないんだよ。あなたは外の世界では生きていけない。それくらい理解していていいはずなのに……」
「わ、分かってます……分かってますからぁ……」
「は?」
突如、マグノリアが豹変する。
彼女の目には底の見えない殺意が宿っていた。
「分かってたら、どうして逆らうのかな?」
凛音のほっそりとした首を力一杯につかむマグノリア。
「わ、私が……わ、悪い、からぁ……」
「うん、よく分かってる。凛音、あなたが悪い」
マグノリアがようやく凛音の首から手を離す。
首筋には赤々とした手のあとが残されていた。
「お仕置きを受けて、いい子になろうね?」
「はいっ……う、受けます……いい子になりますっ……」
ぐすぐすとその場に泣き崩れてしまう凛音。
「やっと素直になれたね。おう、よしよし……」
マグノリアは犬でも撫でるように凛音の髪をかき回す。
彼女にとって凛音の価値がいかほどかは、その乱暴な手つきから丸わかりだった。
「おい、そこのやつをつかまえておけ!」
マグノリアが指示を飛ばすと、路地の陰から二人の男たちが姿を現した。
どうやら彼らも解放軍の人間らしく、ミキは無理やり立たされたあと、両手に手錠をかけられてしまう。そのまま路地裏に引きずり込まれると、待機していた自動車の後部座席に放り込まれてしまった。
「凛音さんっ! 凛音さんっ!」
ミキは後部座席の窓に貼り付き、必死になって呼びかけていたのだが、
「静かにしろ、このガキ!!」
後ろから頭を殴られて、一瞬で意識を失ってしまった。
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