1-15『ミキと凛音2』

 ミキたちはテーブルに着き、志穂が紅茶を入れ直すのを待った。

 普段ならこのくらいの待ち時間はすぐなのに今日ばかりは長く感じる。


 綾乃から紅茶を差し出されると、ミキはまず落ち着いて一口すすった。

 紅茶の深みと砂糖の甘さがじんわりと口いっぱいに広がる。

 少しでもリラックスしてほしいという志穂の心遣いが感じられた。


 志穂自身も紅茶を一口飲み、それから彼女は語り始めた。


「ミキさんもお気づきかもしれませんが、綾乃の生まれた宇佐見家は一般的な家庭ではありません。秋津国の政府から軍事を任された『五将家』と呼ばれるうちの一つで、綾乃は宇佐見家の跡取りとして軍人になる定めでした」


 お金を持ってるからいいところの生まれだろう、というミキのおおざっぱな予測は一応当たっていた。もちろん、軍人家系の跡取り娘であるとまでは分からなかった。そもそも、綾乃の素性や生い立ちについては全然教えられていないのだ。


「私の雨宮家は宇佐見家に代々お仕えしている家系で、私は幼い頃から綾乃のお世話係をしていました。綾乃は私を友達として受け入れてくれて、今では親友とすら呼んでくれています。本当に……小さな頃から優しいお方でした」

「月兎隊に来る前からメイドだったんだ!」


 雇われ家政婦にしては綾乃さんと仲良し過ぎるな、とはミキも思っていた。

 友達というよりも、むしろ姉妹のようにすら感じられたくらいだ。


「全てが変わってしまったのはやはり10年前のことです」


 志穂の表情が一転して険しくなる。

 12歳のミキは覚えていない10年前の大事件。

 それが志穂の口から語られる。


「魔力爆弾が落とされたとき、宇佐見家の人間は大半が首都に残っていました。海外に出兵されていた方々も、ことごとく戦死されたか、敗戦を知って自刃されたと聞いています。宇佐見家で唯一生き残ったのは、私と一緒に学童疎開で首都を離れていた綾乃だけでした」

「それじゃあ、綾乃さんの家族は誰も……」

「はい。かなりの遠縁の方を除くと、残念ながら宇佐見家の方々は……」


 ミキには分からなかった。

 綾乃がそんなに大きな寂しさを抱えていたなんて……。


「私が寂しくて、一緒の布団で寝てもらったとき、綾乃さんはすごく優しかった。まるで寂しさなんて言葉を知らないみたいに暖かくて、野良戦車と戦ったときも頼もしくて……でも、それは私の間違いだったんだね」

「そう思ってもらえて、綾乃だって嬉しかったはずですよ」


 自分のことのように嬉しそうな表情をする志穂。


「生き残りである綾乃には、宇佐見家と関係深かった人たちから、一族再興の願いが託されていました……いや、あれは幼かった綾乃にとっては単なる圧力でしかありませんでした。それでも、綾乃は重苦しいプレッシャーにも負けず、立派な女性として成長しました」

「それなら……綾乃さんは秋津国の軍隊に?」


 ミキの質問に対して、志穂は静かに首を横に振った。


「綾乃が参加させられたのは解放軍でした」

「解放軍!? それじゃあ、まさか……」

「……はい、ゼロ部隊です。配属されたのは今から2年前のことでした」


 秋津人の孤児であり、魔力爆弾の影響で高い魔力を持つ。

 改めて考えてみると、綾乃はゼロ部隊としての条件を完全に満たしていた。


 宇佐見綾乃、烏丸凛音、マグノリア・メイフィールド。

 この三人のつながりが、ようやくミキにも見えてきた。


「それなら、綾乃さんはゼロ部隊で凛音と出会ったの?」

「いいえ、宇佐見家と烏丸家は同じ五将家としてつながりがあり、綾乃と凛音は……もちろん私も昔から面識がありました。綾乃と私が全寮制の女学校に入っていたときは交流が途絶えてしまっていたので、ゼロ部隊で再会するまでに三年ほど空白がありましたが……」

「二人は仲が良かったの?」

「それはもちろん!」


 志穂の表情がこのときだけは明るく戻った。


「凛音さんは綾乃のことを実の姉のように慕ってました! それなのに……」


 彼女の表情が再び暗くなる。


「凛音さんの烏丸家は魔力爆弾の被害には遭わなかったものの、そのほとんどが戦争犯罪者として今も投獄されています。秋津国は先の世界大戦を引き起こしたアーケシア帝国と強い同盟関係にありましたが、その同盟締結に深く関わったのが烏丸家だったのです」

「そんなっ……戦争なんてどっちが勝つのか分からないのに!」


 ミキには未だに戦争のことが分からない。


 どちらが勝つか、どちらが正義かも分からない戦いで、勝ったものが正義で、負けたものが悪だという理屈に誰が納得する?

 アーケシア帝国とつながっていた烏丸家を悪だとしたら、魔力爆弾を落としたアドリオ・マドガルドが正義になってしまうのではないか?


 でも、分かることは一つだけある。

 それは凛音もきっと孤独だろうということだ。


「それに凛音さんは綾乃さんと会えたけど解放軍は……」

「二人が再会したのは一年前です。そのとき、綾乃はすでに解放軍の悪事に気づいており、すぐさま一緒に凛音さんも辞めさせようとしましたが……それはもう手遅れでした。凛音さんはマグノリア・メイフィールドの言いなりだったと綾乃は言っています」


 先日の出来事が思い出される。

 凛音はマグノリアの命令で、あやうく綾乃を殺めるところだった。

 命令に対してあらがった結果も悲惨なものである。

 彼女は強固な洗脳状態にあると言えるだろう。


「マグノリアはタイラン合衆国軍から送られてきた将校で、ゼロ部隊の担当官として大きな権力を与えられていました。凛音さんを説得できるまで、綾乃はゼロ部隊に残る決意をしましたが、彼女はマグノリアの企みによって除隊させられてしまったのです。あれから一年、凛音さんは綾乃とすれ違っても目すら遭わせない」


 アスカを見送った日のことをミキは思い出す。

 あの日、街角で凛音と遭遇した綾乃は、きっと言いたいことがたくさんあったのだろう。あのときは事情を何も知らなかったとはいえ、マグノリアに邪魔されない貴重な時間だったことを考えると、今になって悔しい気持ちになってくる。


「凛音さんを連れ出せなかったことを綾乃は後悔し続けている。彼女にとっては唯一、妹のような存在でしたもの。マグノリアの命を狙ったのは最後の手段だったのでしょうね。凛音さんを説得できないなら、残された方法はそれしかないから……」

「でも、それはやっぱり間違ってる!」


 ミキは思わず立ち上がって力説する。


「人を殺すなんて、そんなこと……」


 瓦礫街では何度も見てきたことだ。

 闇市で賑わっており、スラム街にしては秩序立っていた瓦礫街だが、凶悪な犯罪が起こらないわけではない。盗みくらいなら日常茶飯事で、目の前で人の命が奪われることもあった。

 人間の命を手にかけた人々は、悲しんでいたり、怒り狂っていたり、無表情だったり……表情こそ千差万別でも、人間として大切な何かを同時に失っているように見えた。


 命を奪ったあとでも人生は続く。

 それなら、やはり……綾乃には誰の命も奪ってほしくない。


(これがやはり私の答えなんだ)


 ミキはその場の仲間たちに告げる。


「私、綾乃さんを説得してみる」

「ミキさん……」


 すがるような目を向ける志穂。

 彼女の気持ちはミキも痛いほど分かる。


「私は綾乃と長く一緒にいすぎました。正直なところ、綾乃が深く傷つくくらいなら、彼女と一緒に遠くまで逃げてしまいたい……そう思っている自分もいます。でも、ミキさんなら綾乃に……もしかしたら、凛音さんにも声が届くかもしれません」

「はい!」


 ミキはそれから千歳とジェシカに目を向ける。

 成り行きを見守っていた二人は、志穂と同様に期待を寄せてくれているようだった。


「わたくしも綾乃さんと話してみようと思いますわ」


 自らを省みるジェシカ。


「わたくしは解放軍の横暴を止めたいと考えながら、どこか自分は自分、綾乃さんは綾乃さんだと、不必要に割り切っていたところがあったかもしれません。綾乃さんを傷つけまいと臆病になるあまりに……」

「私だって同じだったよ」


 千歳もまた申し訳なさそうに言った。


「機械をいじりたいだけだから……なんてドライを気取って、綾乃の苦しみをちゃんと理解しようとすらしなかった。綾乃が刀で斬りかかろうとしたときも、こうするしかないんだと最初から諦めていた。でも、こうしてみんなで力を合わせたら――」


 仲間たちの気持ちが一つになり、新しい希望が見えてくる。

 ミキには明るい光が確かに感じられていた。

 感じられたはずなのだが、


「……それは無理よ」


 寒気のするほど冷え切った声がリビングの空気を凍らせた。

 ミキたちは声のした方に振り返る。

 事務所の二階に通じる階段から綾乃が姿を現した。


「綾乃さん……」


 ミキは自分の目を疑いたくなる。

 綾乃は部屋着の白いワンピースを着ており、美しかった黒髪は乱れてしまっていて、彼女の姿を幽霊のごとく不気味に見せていた。仲間たちを立派に率いていた……あの優しくも頼もしい綾乃とは似ても似つかない。


「凛音の説得は無理なのよ」


 階段を降りてきた綾乃が壁を背にして立ち止まった。

 自分の力で立つことすら苦しいように見える。


「私だって何度も説得を試みたわ……でも、そのたびにあのマグノリア・メイフィールドが障害として立ちはだかった。あの女が生きている限り、凛音が目を覚ますことはないの。それはどうしようもないことなのよ!」

「本当にそれでいいの?」

「いいもなにも……」


 ミキが駆け寄ろうとすると、綾乃は刃物を向けられたかのように身をすくめた。

 誰にも触れられたくない。自分だけの問題にしてほしい。

 そんな彼女の想いを容易に汲み取ることができた。


「綾乃さん、考え直していただけませんこと?」


 ジェシカも続いて訴えかける。


「凛音さんを助けたいという気持ち……それは正しいことですわ。でも、だからといって人を殺めようとするのは正義と言えませんわ。綾乃さんはもしかして……ご自身が人の道から外れても構わないと考えておりますの?」

「……凛音を救うためなら安い代償だわ」

「無理だって! やめておいた方がいいわ!」


 千歳も心配そうな顔をして言った。


「綾乃はリーダーとしては優秀よ。私立討伐隊を結成して解放軍と張り合うなんて、勇気と正義感にあふれてないとできないことだもの。でも、やっぱり悪いことするのには向いてない。綾乃はちゃんと綾乃らしい方法を探すべきよ!」

「千歳まで……」


 ジェシカと千歳に続き、ミキもさらに訴え続ける。


「綾乃さんは無理だって言うけど、凛音さんはものすごく悩んでたよ。マグノリアから命令されても、綾乃さんに怪我をさせないようにしてた。諦めずに話しかけ続けたら、綾乃さんの言葉にだってきっと――」

「……ごめんなさい、みんな」


 綾乃はきびすを返して、階段を駆け上がっていってしまう。

 彼女を追いかけようとはミキも考えていた。

 でも、これ以上のかける言葉が思いつかない。


「私が行くわ。きっと泣いているだろうから……」


 二階に向かう志穂。

 リビングには重苦しくやるせない空気がよどんでいる。


 千歳が深々とため息をついた。


「これなら凛音の方を説得する方が早いくらいかもね」

「ですわね。お互いが歩み寄ることで、初めて希望が見えるのかもしれませんわ」


 今回ばかりは精神的な疲れを見せるジェシカ。


(凛音さん、か……)


 マグノリアの命令を拒んだ彼女の姿。

 あれだけが最後の希望なのかもしれない。


「……私、凛音さんを探してくるっ!」


 思い立ったら即行動。

 壁にかけてある魔動バイクの鍵を手に取り、ミキはそのまま事務所を飛び出した。


「ミキさん、どこに行くおつもりですの!?」

「バイクなんか乗ったことないでしょ、ミキってば!!」


 ジェシカと千歳が止めるのも聞かず、ミキは綾乃の魔動バイクにまたがる。小型のスクータータイプのため、彼女の小柄な体でもどうにか乗ることができた。

 ハンドルの中心につながっているマウスピースを噛む。


(乗り方は一応教わってる。確かここに鍵をさして……)


 エンジンが回り出して、魔動バイクがのろのろと走り出す。

 最初こそふらふらしていたが、次第に慣れて真っ直ぐ走るようになった。

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