1-13『基礎訓練と入隊試験6』
野良戦車を落とし穴に落としたあと、ミキたちは戦場からの脱出を試みた。
崩れた廃墟を乗り越えて、絶壁に近い急斜面をよじ登る。
その間、あの野良戦車が穴から出てくる気配はなかった。
野良戦車の動力を司る『動力炉』と呼ばれる魔法板が壊れていれば、問答無用で行動不能になってくれるのだが……そうなってくれたのかは定かでない。けれども、脱出するのに十分な時間を稼げたのは間違いなく、一同の心には余裕が戻ってきていた。
「それにしても素晴らしい走りっぷりでしたわ」
「な、なんか全身が痛い……」
ミキは三人の手を借りて、どうにかこうにか急斜面をのぼっている。千歳とジェシカに両手を引っ張られて、綾乃に下から押し上げられるというおんぶにだっこ状態だ。それでも、うっかりすると落ちてしまいそうなくらい全身が痛い。
「身体強化の魔法は便利なんだけど、あとから筋肉痛が酷いのよね……」
千歳も経験したことがあるらしく、思い出してうんざりした顔をしている。
「そもそも、身体能力を強化してるのにどうして筋肉痛になるわけ?」
「仕方のないことですわ」
しれっと言ってのけるジェシカ。
「身体強化の魔法はあくまで、体のリミッターを外す魔法ですもの。全身に魔力を纏わせてパワーアップさせる魔法とは別物……というか、そっちの魔法はわたくしの魔力の強さから考えて、あまり効率が良くありませんわ」
「とりあえず、練習だけでもしておいてよ」
「まあ、考えておきますわ。わたくしもミキさんに負けていられませんもの」
「わ、私!?」
ジェシカから名前を挙げられて驚いてしまうミキ。
そんな彼女に向かって、ジェシカが優しく微笑みかけた。
「あなたのような新人が入ってきたんですもの。わたくしだって張り合いたくなりますわ」
「そうなの?」
「それはきっと、綾乃さんも千歳さんも同じことですわ」
ジェシカにそう言われて、ミキは二人の顔を交互に見やる。
「そうね。私も剣術と魔法の腕前をもっと磨きたい気持ちだわ」
「私も無事に事務所まで帰ったら、新しい魔動機械を早速作るつもりかな」
「み、みんな……」
自分の行動が仲間に影響を与えたかと思うと、ミキはなんだか恥ずかしくなってくる。
(これで綾乃さんは私と隊員として認めてくれるかな?)
自分でもよくやれたんじゃないかと、ちょっぴり自画自賛してしまう。
それから、四人はようやく崖を登り切る。
野良戦車が穴から這い出てきたのはそのときだった。
ミキたちのことを見失い、満身創痍の体で戦場をうろうろしている。砲塔がひしゃげて、蜘蛛のような脚部も折れてしまい、落下の衝撃が相当なものだったと分かった。しかし、動力炉の魔法板を破壊するには至らなかったようである。
「ま、まだ生きてる……」
予想以上のしぶとさに身震いするミキ。
ボス級の野良戦車を倒すのはやはり容易ではないらしい。
「こちらからも手出しできない距離ね。ここは一度引き上げましょう」
そうして、綾乃が帰還の判断を下したときだった。
周囲から人の気配。
帰り道を塞ぐようにして、瓦礫の陰から複数の人影が姿を現した。
藤堂組の三人が引き返してきた……という楽観的な考えは打ち砕かれる。制帽、詰め襟、プリーツスカート、腰から提げられた対野良戦車用の魔法板。
解放軍のエリート部隊、ゼロ部隊の少女たちである。
その小隊を率いているのは、もちろんあの烏丸凛音だった。
凛音は相変わらず感情の乏しい目をこちらに向けている。
(どうして、ゼロ部隊がこんなところに?)
ミキが不思議に思っていると、
「まさか、あそこまで龍の巣の主を弱らせてくれるとはね……」
少女たちの背後から、一人だけ異質な女性が姿を現した。
金髪を短いポニーテールにした二十代後半の外国人女性である。
話した言葉は秋津人かと思うほどしっかりした秋津語だ。
機械迷宮に似合わないパンツスーツを着ているが、羽織っている軍用ベストには解放軍のエンブレムが刺繍されていた。あの時雨にも匹敵する長身で、しっかりとした立ち姿から骨太な印象を受ける。
黒眼鏡をかけているので表情は分からないが、唇には真っ赤なルージュが塗られており、あからさまなまでの大人の色気が全身から滲み出ていた。
(なんだろう……この人は注意しなくちゃいけない気がする)
得体の知れない危機感。
ミキが自然と警戒していると、
「マグノリア・メイフィールド……ゼロ部隊の担当官よ」
綾乃が恐ろしく低い声音で教えてくれた。
彼女は憎悪の眼差しを女性軍人のマグノリアに向けている。
綾乃がこれほどハッキリと負の感情を露わにするのは初めてだった。
横目で見ているミキは、近くにいるだけで怖くなってくる。隣にいるのは綾乃ではなく、同じ姿をしているだけの別人ではないか……そんなあり得ない想像が浮かんでくるほどだ。それとも、この明確な憎悪すらも綾乃の一部だというのだろうか?
「ここは大人しくしておくべきですわ」
マグノリアの危険性についてはジェシカも知っているらしい。
同感ね、と千歳も大きくうなずいた。
「綾乃、我慢してよ……」
我慢してとはどういうことなのか。
ミキが考えているうちに、綾乃はすでに一歩前に踏み出していた。
「あなたたちがどうしてこんなところに?」
「あらら、そんなに怖い目をしちゃって……美人が台無しになるわ」
マグノリアが煙草を取り出して吸い始める。
煙たい匂いがミキのところまで漂ってきた。
「そもそも、この場所に野良戦車が出ると情報を探したのは私なのよ」
マグノリアの口から明らかになる事実。
予想外のことにミキは声を上げそうになる。
声を上げるのを我慢できたわけではない。マグノリアの不気味な笑みを見ていると、安易に声を発することすらためらわれたのだ。それは猛獣から隠れた小動物が、必死に息を潜める感覚に似ていた。
「この場所を調査する予定があったけど、ここのところゼロ部隊は出動しっぱなしでね。戦力の消耗を防ぐため、他の誰かを野良戦車にぶつけさせたかったのだけど……それでちょうどよく、あなたたち月兎隊のことを思い出したというわけね」
マグノリアが意気揚々と語り続ける。
「私立討伐隊はいくつかあるけど、出張ってくるならあなたたちだと思ってたわ。まあ、本当に倒しちゃうとまでは予想してなかったし、なんだったらくたばってもらった方がありがたかったんだけどねえ……」
何でもないことのように物騒な言葉を吐いてくるマグノリア。
彼女は吸いかけの煙草を綾乃に向かって投げ捨てる。
瞬間、綾乃の抜いた愛刀『三日月』が吸いかけの煙草を一刀両断した。
「あなたはやはり生かしておけないっ!!」
綾乃はそのまま一足飛びでマグノリアに斬りかかる。
彼女の声から感じ取れる明確な殺意。
(あの優しくて、正義感があって、冷静沈着な綾乃が?)
ミキはあっけにとられてその場に立ち尽くす。
このままだと、本当に綾乃はマグノリアを斬り殺してしまう。
けれども、そんなミキの予感は幸か不幸か外れることになった。
「ぐっ――」
突如、斬りかかろうとした綾乃が地面に倒れ伏す。
周囲の空間が歪んで見えたかと思うと、何かに押しつぶされたように落下したのだ。
「綾乃さんっ!!」
ミキはとっさに駆け出そうとするが、千歳から羽交い締めにされてしまう。
「バカっ! あなたまで巻き込まれるわっ!」
「で、でも……」
「あれはゼロ部隊の主武装……重力魔法ですわ」
ジェシカが震える声で教えてくれる。
「重力を操ることによって、野良戦車の動きを封じ込めて、さらには分厚い装甲をねじ切ると言われている魔法でしてよ。そんなものを生身の人間に使ったらどうなるか……」
「それなら、やっぱり綾乃さんを助けないと!」
綾乃に重力魔法をかけているのは、他でもない隊長の凛音である。
マウスピースを口にくわえて、彼女は生気のない視線を綾乃に向けていた。
「凛音さん、その魔法をやめてっ! このままだと綾乃さんが――」
「そこ、外野は黙っておいてくれる?」
マグノリアがミキの言葉を遮ってくる。
彼女は地面に落ちた三日月を蹴り飛ばし、さらに綾乃の頭を乱暴に踏みつけた。
「私が指示をとせば、この子は今すぐにでもこいつをぺしゃんこにできる。あなたたちのだーいすきな綾乃さんが、ミンチになっちゃうところを見たくなかったら、そこで大人しくしておくことね。マグノリアお姉さんとのお約束よ?」
「外道、ね……あなた、は……」
綾乃は必死に起き上がろうとするが、指先がわずかに地面から浮くだけだ。
それでもなお、彼女は殺意に満ちた視線をマグノリアに向け続けている。
ミキには分からない。
綾乃がそれほどまでにマグノリアを憎む理由が……。
千歳とジェシカは綾乃を止めようとしていない。それどころか、綾乃の自由にやらせるしかないと諦めてすらいるようにも見えた。月兎隊に入隊してから短くない時間を過ごし、その間に綾乃の秘密を知って、何かを納得させられてしまったのだろう。
(知らないのは私だけだ!)
ミキは野良戦車と戦ったとき以上に自分の無力を感じる。
「凛音……どうか話を聞いて……」
綾乃が不意に語りかける。
二人に面識があることも、ミキは今になって知った。
「あなたが苦しむ必要なんてない……あなたは今すぐにでも自由に……」
「あーあ、余計なことを言ったね。お仕置きだね、これは」
おどけたような言い方をするマグノリア。
凛音の制帽を取って、彼女の頭にぽんと手をのせた。
「……凛音、こいつの右腕を潰しなさい」
ミキは残酷な命令に耳を疑う。
それは凛音も同じらしくて、彼女は無言でマグノリアを見上げていた。
恐怖に震えている二つの瞳。
マグノリアの浮かべる笑みは、目を背けたくなるほどのまがまがしさに満ちている。
身動きの取れない弱者を痛めつける愉悦がそこには明らかに存在していた。
「あれ? 凛音、聞こえてなかった?」
「あ、あの……その……」
「こいつの右腕を潰せって言ったの。あなたの魔法でね」
「う、う……」
色白な凛音の顔色がますます青白くなる。
額には脂汗が滲み出て、綺麗な白髪が肌に貼り付いていた。
マグノリアが凛音の耳元で囁く。
「何をためらってるの? 人殺しなんて何度も平気でしてきたことでしょう?」
「うっ……」
途端、その場から凛音が駆け出す。
彼女は道の脇に膝をつくと、胃の中のものを戻してしまった。
そんな光景を目の当たりにして、マグノリアが高らかに笑い声を上げる。
「冗談よ、冗談! 意気地なしの凛音ちゃんは、自分の手で人を殺せたことなんてないものね……ははっ、本当に大事なときは使えないんだから。ここから帰ったら、凛音はお仕置きだから覚悟しておくようにね? ほら、さっさと進む!」
「は、はい……」
涙で濡れた顔を上げて、凛音がマグノリアの元に戻ろうとする。
「凛音……行ったら駄目……」
重力魔法から解放されてもなお、綾乃は起き上がることができない。
ミキたちはその場に立ち尽くし、マグノリア率いるゼロ部隊が立ち去るのを眺めているしかなかった。それがミキにはこの上なく悔しかったが、戦力の差はあまりにも明らかで、理不尽な思いを嫌と言うほど噛みしめさせられた。
(こんなことってない……)
ミキは悔しくて唇を噛む。
解放軍の横暴にあらがいたかった。
困っている人たちを助けたかった。
目の前にいる誰かを守りたかった。
(このままでは……こんなことでは終われない)
ミキは自分を奮い立たせ、遠ざかる凛音に向かって呼びかける。
「お願いっ! 綾乃さんの話を聞いてっ!」
自分は何も知らない。
綾乃と凛音の関係も、マグノリアの企みについても……。
それでも、この気持ちは伝えられずにいられない。
「綾乃さんはあなたを助けたいと思ってる。だからっ――」
凛音は答えない。
悲しげな目でこちらを見つめるだけだ。
結局、マグノリアとゼロ部隊はミキたちの前から姿を消した。
ミキたちには大きな……そして深々とした心の傷が残った。
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