1-7『月兎隊4』

「は、はい!」


 話をしようと言ってきた綾乃に、ミキは緊張しながらも返事をする。

 それから、ミキと綾乃の二人はようやくテーブルに着いた。

 志穂がちょうどよく台所からお茶を持ってきてくれる。

 テーブルにティーカップが二つ並べられた。


「どうぞ、ジェシカさんが買ってきてくれた紅茶です」


 ミキは湯気を立ち上らせる飴色の飲み物を覗き込む。


(いい匂いの元はこれだったのか!)


 紅茶を飲むのはもちろん初めてなのでドキドキする。


「綾乃はお砂糖一杯、ミキさんは……」

「お砂糖、お願いしますっ!」

「はい、かしこまりました」


 志穂が紅茶に砂糖をたっぷりと入れてくれる。

 瓦礫街でアスカと暮らしていたときは、徹底した節約生活で甘いものなんて全然食べたことがなかった。最後に甘いものを食べたのはいつだったか……おそらく、アスカが胸の病を患う前のことだ。


 ミキは砂糖たっぷりの紅茶を一口すする。

 瞬間、甘さという幸せが全身に行き渡った。


「おーいーしーいーっ!」


 嬉しさのあまり、ついつい声をあげてしまう。

 綾乃と志穂の二人は嬉しそうにニコニコとしていた。


「私はお夕食の準備をしていますね」

「ありがとう、志穂。いつも助かるわ」


 志穂がぺこりと一礼して台所に姿を消す。

 紅茶で落ち着いたのもつかの間、綾乃と二人きりになった途端、真剣な空気が立ちこめるのをミキは感じた。でも、紅茶の美味しそうな香りと砂糖の甘さは、ミキの緊張を優しくほぐしてくれている。おかげでちゃんと話はできそうだ。


「本題に入るのだけど……」

「は、はいっ!」

「あなたには入隊試験を受けてもらうわ」

「入隊試験!?」


 いきなりいやーな言葉を聞かされる。

 生まれてこの方、ミキは勉強なんてしたことがない。正直なところ、自分の名前も漢字で書けないくらいだ。魔法の方だって全然自信がなくて、よくもまあ「野良戦車と戦う!」なんて決意できたものだと自分でもあきれてくる。


「安心してちょうだい。いきなり入隊試験を受けさせるつもりはないわ」

「そ、そっかぁ……よかったぁ……」


 危うく野良戦車と戦う前に門前払いを食らうところだった。


「これからミキには私立討伐隊の隊員になるための訓練を受けてもらうわ。一連の訓練を受け終えたら、私たちと一緒に機械迷宮で戦ってもらう。それを何回か繰り返して、私を納得させられたら月兎隊の一員として認めるわ」

「はいっ!」


 ミキは長い挑戦になりそうな予感を覚える。

 それでも練習なしの一発勝負よりはマシだ。


「ただし、私が不適正と判断した場合、あなたにはお姉さんの元に向かってもらうわ。当面の生活費も都合するし、入院費の頭金についても気にしなくていい。田舎町でも瓦礫街よりは真っ当な仕事が見つかるはずよ」

「……わ、分かったよ」


 条件は理解したものの、ミキは困惑してしまう。


「でも……どうして、そんなに親切にしてくれるの?」

「これでもお金には多少の余裕があるの。半壊した建物を改修して事務所にしたり、解放軍しか使っていない対野良戦車装備を揃えたり、偶然出会った不幸な女の子を応援したりできるくらいにはね」


 優雅に微笑んでいる綾乃。

 自分には想像もつかない世界があるのだろう、とミキはひとまず納得する。

 不合格になったあとも手助けしてもらえるなんてありがたい話だ。

 もちろん、保険があるからって気を抜くつもりはない。


「ありがとう、綾乃さん! 私、絶対に入隊試験を突破するね!」


 ミキは立ち上がって、綾乃の手をぎゅっと握りしめる。

 野良戦車を秋津刀で切り伏せるほどなのに彼女の手はとても柔らかかった。


「これから一緒に頑張りましょうね、ミキ」


 ×


 真面目な話を終えたあと、ミキは月兎隊の面々と夕食をご馳走になった。


 志穂の作ってくれた夕食は、真っ白なご飯とお味噌汁、それから焼き魚におひたしと……いわゆる『お母さんの味』と呼びたくなる料理で、ミキは夢中になって食べたうえにご飯をおかわりしてしまった。


 真っ白なご飯を食べられるのは久々のことで、今になって思い返すと瓦礫街での食生活は本当に酷かった。あんなことではお姉ちゃんの病状もよくなるわけがないよなぁ……と、あの環境から脱してみて、ミキはようやく骨身に染みて理解した。


(お姉ちゃんも病院で体にいいものを食べてるのかな?)


 姉から送られてくるはずの手紙が今から待ち遠しい。


「それにしても、こんなに美味しいご飯が食べられるなんて……」

「志穂は料理の腕前も一流よ」


 自分のことのように自慢げな綾乃。

 食器を片付けている志穂が嬉しそうに頬を赤くする。


「もう、綾乃ったら……。ミキちゃんの入隊が決まったらご馳走をするわね」


 これ以上のご馳走!

 想像するだけで嬉しくなってくる一方、ミキはちょっぴり申し訳なくなる。


「毎日こんなに食べていて大丈夫なのかな……」

「なーにを言ってんのよ!」


 千歳が大きな声で笑い飛ばした。


「お腹いっぱい食べられなくちゃ、野良戦車と戦えるわけないじゃない。私たちは命懸けで戦ってるんだから、食事くらいは自由にさせてもらわないと! 活動を始めてから一年も経ってないけど、ちゃんと成果だって上げてるものね」

「それもまたジャスティスですわ」


 ジェシカが行儀良くハンカチで口元を拭う。


「目と鼻の先にスラム街があり、お腹を空かせている人たちが大勢いると思ったら、気が引けてしまうのも仕方ないことですわ。でも、無力な人々を守る立場の人間が飢えていたら本末転倒……騎士の本分を果たせなくなってしまいますわ!」

「食べるのも仕事のうちってこと。分かった?」

「は、はいっ!」


 千歳とジェシカの説明を聞いて、ミキは大きな声で返事をする。

 正式に入隊したわけではないけど、こうして月兎隊の人たちと一緒に美味しいご飯を食べているのだ。これからは美味しいご飯を食べているなりの頑張りを見せないと、と今からやる気が高まってくる。


「ちなみにミキちゃんは好きな食べ物ってあります?」

「えっ? う、うーん……」


 志穂に問いかけられて、ミキは腕組みして考える。


「比較的好きなのは、小麦粉を練って煮たやつとか、お芋の粉を練って焼いたやつとか……」

「ミキさん、割と食べられるものではなくて、好きな食べ物の話でしてよ?」


 困惑しているジェシカ。

 うんうん、と千歳がうなずいた。


「分かる。うちの実家の食事もそんな感じだった」


 綾乃と志穂は顔を見合わせて微笑んでいる。


「ミキには美味しいものをたくさん作ってあげてね?」

「お任せください。腕によりをかけて作りますね!」


 こうして楽しい夕食の時間は過ぎていった。


 食事を終えたあとは入浴の時間である。

 ミキはありがたく一番風呂に入れさせてもらった。


 事務所のお風呂は広々としていて、湯船はミキが脚をまっすぐ伸ばせるくらいに大きい。熱い湯船に肩まで浸かっていると、眠気に襲われてうつらうつらとしてしまう。あまりに気持ちよすぎて、ついつい長風呂をしてしまった。


 ミキはお風呂から上がり、用意してもらった寝間着に着替える。

 それから事務所一階のリビングに戻ると、


「一番風呂はどうだったかしら?」


 テーブルで読書をしていた綾乃が感想を聞いてきた。

 ミキは目をキラキラさせて、その場で小さく飛び跳ねる。


「すっごく気持ちよかったっ!」

「それならよかったわ」


 にっこりとする綾乃。


「お風呂のお湯は魔法で沸かしているのだけど、水を汲んでお湯を沸かすのは当番制よ。今度からはミキにもしてもらうから、それはちゃんと覚えておいてね?」

「はい!」


 こんなに気持ちいい思いをできるなら、お湯を沸かすくらいの苦労はなんのそのだ。

 魔力を鍛える訓練にもなるだろうし一石二鳥である。


「次は私が入るからね」


 事務所の裏口から千歳が顔を出した。

 夕食後もガレージで作業をしていたらしい。


「二番目はわたくしですわ!」


 二階に通じる階段からジェシカが降りてくる。

 彼女は頭にタオルをのせて、お風呂を楽しむ気が満々だ。


「ジャンケンで決めよう」

「望むところですわ!」


 猛烈な勢いでジャンケンを始める千歳とジェシカ。

 二人の出す手はあいこばかりで決着する気配がない。


「ミキ、そこの椅子に座りなさい。髪を乾かしてあげるわ」

「あ、ありがとうございます!」


 ミキは言われたとおり椅子に腰掛ける。

 綾乃が小さな魔法板を口にくわえると、ほどよい温風がミキの髪に吹き付けられた。


「ふわっ!?」


 びくっと背筋を振るわせてしまうミキ。

 綾乃が微笑ましそうにくすっとした。


「こうやって髪を乾かすのは初めて?」

「は、はいっ! いつも洗ったらそのままで……あ、そうだっ!」


 ミキは置いておいた肩掛けかばんからくしを取り出した。


「綾乃さん、これを使ってもらってもいい?」

「ええ、もちろんよ。可愛らしい木櫛ね」

「お姉ちゃんがいつも使っていたやつなの!」


 ミキからくしを受け取ると、綾乃は慣れた手つきで髪を梳かし始める。

 案の定、いくら梳かしてもらっても、ミキの髪は跳ね返ったままだった。


「ううう、やっぱりこうなる……」

「ごめんなさい、やり方が悪かったのかもしれないわ」

「綾乃さんは悪くないよ。いつもこうなっちゃうの」


 どうやら、私の髪はいつ何時でも乱れる宿命にあるらしい……。

 ミキがそうやって落ち込んでいると、


「でも、柔らかくていい匂いがするわ。毛先までつやつやしてる」


 綾乃が髪の房を手に取り、そっと匂いをかいでみせた。


「そ、それは……お風呂場にあった石鹸を使ったから……」


 髪のことをほめられたのなんて初めてで、ミキはつい恥ずかしくなってしまう。

 そうして髪を乾かし終わったあと、綾乃はミキの話に付き合ってくれた。


 物心ついたときは姉と一緒に孤児院で暮らしていたこと、孤児院から売られそうになったのを逃げ出したこと、瓦礫街で暮らし始めたばかりのこと……ミキのつたない語りに対して、綾乃は熱心に耳を傾けてくれた。


 それから綾乃が入浴する順番になり、彼女がお風呂から戻ってきた頃には、ミキはすっかり眠気でふらふらになってしまっていた。綾乃が入浴していた間も、千歳とジェシカと志穂の三人を相手に話しっぱなしだった。


 綾乃に手を引かれて、ミキは事務所の階段をのぼった。

 二階の廊下には照明がなくて、窓から差し込む月明かりが頼りである。

 明るく賑やかな場所にいたので、なんだか急に心細く感じてしまう。


「三階に空き部屋があるから、そこをミキの部屋にしてくれて構わないわ」

「あの……綾乃さんの部屋は?」


 ミキは無意識のうちに綾乃の寝間着の袖をつかんでいた。


「綾乃さんと一緒に寝てもいい?」

「ええ、もちろんよ」


 快く受け入れてくれる綾乃。


「お姉ちゃんといつも一緒だったんだもの、いきなり一人は寂しいわよね」


 彼女はミキを二階の自室に案内してくれる。

 綾乃の自室はびっくりするほど綺麗に片付けられていた。

 書き物をする机、野良戦車について書かれた本の並ぶ本棚、あの秋津刀や魔法板の並べられている戸棚……女の子らしいものが全然見当たらない。あまり余計なものを持たない主義なのかも、とミキはなんとなく考えた。唯一、大きめのクローゼットが目を引く。


 綾乃と一緒に彼女のベッドに潜り込む。

 羽毛のたっぷり入った布団は軽くて暖かい。

 大きめの枕は一緒に使うのにちょうど良かった。


 二人で向き合って寝ていると、お互いの顔がすぐ近くにあって少し恥ずかしい。

 こんな風に誰かとくっついて寝るのは、アスカ以外だともちろん綾乃が初めてだ。


「これからも寂しいときは素直に言ってくれて構わないわ」

「は、はい……うわっ!」


 恥ずかしさの抜けないミキの体を綾乃が抱き寄せる。

 綾乃の髪からは優しい石鹸の香りがして、匂いをかいでいると落ち着くことができた。


 ミキは穏やかなまどろみに包まれる。

 彼女はこうして、月兎隊にやってきたのだった。

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