1-6『月兎隊3』
月兎隊の事務所があるのは瓦礫街の目と鼻の先だった。
東武市の街中から見えなかった機械迷宮が、ここからは嫌と言うほどよく見える。
あの無機質な鉄色の外殻を見ていて、どこかホッとした気分になるから不思議だ。
(あんなものでも見慣れた風景だしね……)
月兎隊の事務所は古びた赤煉瓦造りの建物だった。ただし、魔力爆弾の衝撃をまともに受けたからだろうか……半分くらいは真新しいコンクリートで補修されており、そのため風情もへったくれもないまだら模様になっていた。見ようによっては改造された秘密基地のようにも見えなくはない。
「三階建てよ」
何故か自慢げに強調してくる綾乃。
まるで小さい子供のように無邪気な笑顔だ。
彼女としてはものすごく気に入っているらしい。
「綾乃さん、あれは?」
事務所二階の窓からは大きな旗が提げられている。
紺色の布地に描かれているのは、満月と飛び跳ねるウサギの絵だ。
「月兎隊のシンボルマークよ。可愛いでしょう?」
綾乃は割と形から入るタイプらしい。
「あれって腕章と同じマーク……綾乃さんが考えたの?」
「もちろんよ。シンボルマークを考えられるのも隊長の特権ね」
この旗に関してはミキも素直に可愛いと思った。
事務所の一階につながる形で、隣にはトタン屋根のガレージが併設されている。
中からはバチバチと火花の散る音が聞こえていた。
綾乃は魔動バイクに乗ったままガレージに乗り入れる。
「ん? 帰ってきたの?」
ガレージの奥では千歳が溶接作業を行っていた。
周囲には所狭しと魔動機械が並べられている。使えるものなのか、そうでないものなのか分からないが、いくつもある木箱には機械の部品が山積みになっていた。素人のミキからしてみると、単なるゴミにしか見えないものも大量に保管されている。
溶接作業の手を止めて、千歳がこちらに駆け寄ってくる。
火花から目を守るために愛用のゴーグルをはめて、首に巻いたマフラーをマスク代わりにしていた。肘まで隠れる分厚い手袋、丈夫そうな作業用エプロンと、彼女の出で立ちは一人前の溶接工である。髪の毛は二つ結びにしてシンプルにまとめてあった。
「うわー、熱い熱い! こればっかりはきつい!」
千歳が分厚い手袋と作業用エプロンを脱ぎ捨てる。
すると、彼女は下着同然の格好になってしまった。
薄っぺらな肌着と短いズボンは、汗でぴっちりと肌に貼り付いている。
「私は似鳥千歳。見ての通りの機械好きよ」
「この前はありがとう、千歳さん! お姉ちゃんの命を助けてくれて!」
あのときの感謝が込み上げてきて、ミキは思わず千歳の手を取る。
千歳は少し恥ずかしそうに顔を赤くした。
「私、汗だくなんだけど……ここで溶接してたから……」
「ここにある魔動機械は千歳さんが全部作ったの?」
ミキの質問を聞いて、千歳がきょとんとした顔をする。
それから、彼女は大きな声で笑い出した。
「あははっ! 流石にそれはないって! ほとんどは機械迷宮で拾ったり、瓦礫街の闇市で買い集めたりしたやつで……でも、残りの一割くらいは私の作ったやつかな。この前、背負っていったのも私の自信作よ」
「あの電気がでるやつ!」
「ふふふ、電気だけじゃないのよね……」
ほくそ笑んでいる千歳。
かと思ったら、今度は神妙な顔をして聞いてくる。
「で、その……あなた、本当に月兎隊に入るの?」
「これから綾乃さんと話すことなの」
「それなら、その……がっかりしてほしくないから言っておくけど、私はこうして魔動機械をいじれるから月兎隊に入ってるんであって、そこまで命を懸けて野良戦車と戦いたいんじゃないのよね。だから、ええと……やっぱりがっかりした?」
「えっ? がっかりなんてしないよ?」
千歳の言葉に今度はミキがきょとんとさせられる。
「野良戦車と戦うだなんて怖いこと、そう簡単にできることじゃないし、私だって本当に戦えるのか分からないし……だから、自分のやりたいことのために怖いことにも立ち向かえるって本当にすごいと思う!」
「そ、そうかな……私、溶接の続きするからっ!」
千歳がきびすを返し、ガレージの奥に引っ込んでしまう。
「あの子は恥ずかしがり屋なのよね」
綾乃はにんまりとした笑顔を千歳に向けていた。
彼女にとっては可愛い後輩なのかもしれない。
「裏口からになっちゃうけど事務所に入りましょう」
綾乃に手を引かれて、ミキはようやく月兎隊の事務所に入る。
事務所の一階は広々としたリビングになっていた。
部屋の中心には大きなテーブルが置かれている。ここなら五、六人は集まって食事ができるだろう。窓辺には花が飾られていたり、ソファーには途中の編み物が放置されていたり、そこはかとなく女の子らしさを感じる。
「右奥の部屋は台所、左奥の部屋はお風呂になってるわ。おそらく下宿として使われていたのでしょうね。半壊していたから改装には手間がかかったけど、こうして落ち着いて過ごせる我が家になったわ」
綾乃がリビングの角にある階段を指さす。
「それから、二階は隊員の個室になっているの」
「自分の部屋もあるんだ!」
ミキとしては夢にまで見た自分の部屋である。
これは思わず気持ちが盛り上がってきた。
「月兎隊の隊員は私、千歳、ジェシカ、それから――」
「あら、帰ってきたのね?」
台所につながっているドアから一人の少女が現れる。
綾乃と同い年か、少し年上くらいに見える少女で、お金持ちの家で雇われているようなメイド服を着ている。毛先のくるんとしたボブカットは実に上品で、彼女の方がむしろどこかのお嬢様ではないかと思うほどだ。
「お帰りなさい、綾乃」
太陽のような明るい笑みを浮かべ、メイドの少女が小走りでやってくる。
綾乃の帰宅が嬉しくて仕方ないといった感じだ。
「ただいま、志穂。例の子を連れてきたわ」
「こちらの方がミキちゃんですね?」
志穂と呼ばれたメイドの少女が礼儀正しく一礼する。
「雨宮志穂(あめみや しほ)と申します。月兎隊のみなさんのお手伝いをしています」
「来栖ミキですっ! みなさんには優しくしていただきましたっ!」
丁寧に挨拶されたものだから、ミキは慣れないことに緊張してしまう。
志穂が微笑ましそうに表情をほころばせた。
「私、お茶を入れてきますね」
台所のある部屋に戻る志穂。
すると、今度は事務所の正面玄関のドアが勢いよく開き、
「ジャスティスですわっ!!」
金髪少女のジェシカがぷんぷん怒りながらリビングに飛び込んできた。
彼女はフリル満載のブラウスとスカートを身につけており、セーラー服を着ていたときよりもさらにお嬢様感にあふれている。ずんずんと歩くのに合わせて、ウサミミ型のヘアバンドが揺れていた。
「こちらの新聞をごらん遊ばせ!」
ジェシカがテーブルに新聞を叩きつける。
それは東武市でよく読まれている大手発行のものだった。
「先日に起こった野良戦車の出没事件、民間人の死傷者はゼロと発表されていますわ。ミキさんのお姉さんにとどまらず、瓦礫街の住人たちが大勢巻き込まれたというのに……国連解放軍の情報操作、マジ許せませんわーっ!」
リビングの窓を開け放ち、ジェシカが外に向かって叫ぶ。
近所迷惑にならないか、心配になるような大声だった。
「あら、あなたは?」
それからようやく、ジェシカはミキの存在に気づいてくれる。
千歳のときと同じく、ミキはすぐさま彼女と握手した。
「この前は本当にありがとう! お姉ちゃんに回復魔法をかけてくれて!」
「私立討伐隊として当然の務めですわ!」
これでもかとばかりに胸を張るジェシカ。
彼女はつま先立ちでくるりと回り、バレリーナのようなポーズを決める。
「私こそは……そう! 誉れ高き騎士の国『フォースランド王国』からやってきた希望の星にして正義の味方! 現在売り出し中のニューホープ、ジェシカ・ローソンですわ! サインならいつでもプレゼントしましてよ!」
「か、かっこいい……」
これほど全身から自信が満ちあふれている人は初めて見た。
素直に感心する一方で、ミキは素朴な疑問を思い浮かべる。
「あの……こういう質問って失礼かもしれないけど、ジェシカさんは月兎隊にいても大丈夫なの? フォースランド王国の人も解放軍にいるかもしれないし……」
「その点はなんら心配ありませんわ!」
ジェシカが腕組みをして答える。
「わたくしのお父様とお母様は解放軍で働いていますの」
「えーっ!? それはますます気まずいようなっ!?」
「私立討伐隊に入隊することに両親は納得ずくですわ! わたくしも綾乃さんと同じく、解放軍の活動方針には疑問がある。それを正したいと思うなら、騎士として自分の力でまずやってみせなさい……とお母様はおっしゃいましたわ」
「パ、パワフルなお母さんなんだね……」
普通の母親像と違いすぎて、ミキは思わず面食らってしまう。
「ちなみにお父さんは?」
「泣いてましたわ」
「それはやっぱり駄目なんじゃ……」
そんな風に話で盛り上がっていると、ガレージの方から「がしゃーん!」と何かの崩れる音が聞こえてきた。
「千歳さんがまたガラクタの山をひっくり返したようですわね。こうなったからには、このわたくしが手伝って差し上げましてよ! ああ、本当に世話が焼けるのですから!」
親切にできるのが嬉しくて仕方がない、といった様子のジェシカ。
彼女はすっかり機嫌を直して、事務所の裏口からガレージに出て行った。
「みんな賑やかでしょう?」
ほんわかした顔をしている綾乃。
彼女の方に振り返り、ミキは体全体でうなずいた。
「うん! 毎日すっごく楽しそうだね!」
年若い女の子だけの生活空間は、ミキにとって生まれて初めての経験だ。月兎隊の仲間たちは優しそうだし、話していてとても賑やかだし、部屋はいい匂いもするし……ここで暮らせたら楽しいだろうなと想像が広がる。
ミキがこれからの生活に夢を膨らませていると、
「座って話しましょうか」
綾乃がついに本題を切り出してきた。
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