1-5『月兎隊2』

 魔動バイクから眺める風景は新鮮の一言だ。


 これまでミキは瓦礫街からほとんど出ずに生活していた。生きていくだけなら闇市だけで事足りるし、スラムの人間が街に出ると嫌がられることが多い。ミキは姉の薬を買うために外へ出て、実際に居心地の悪い思いをしたことがあった。

 でも、こうして綾乃の背中にしがみついていると……最初こそ魔動バイクに慣れなくて怖かったけど、東武市の風景をのんびりと眺めることができた。そして、ミキの目には映るもの全てが真新しかった。


 瓦礫街の中にいると忘れてしまうが、戦争が終わってから10年も経過しているのだ。外国には野良戦車の完全に駆逐された地域も出てきている。秋津国だって国土の大半は安全だし、戦勝国に追いつけ追い越せと言わんばかりに復興を続けているのだ。


「ここが東武市では一番賑やかな通りね」


 魔動バイクが細い路地から開けた大通りに出る。

 ミキは思わず歓声を上げた。


「わぁーっ!」


 自動車の行き交う繁華街には、真新しいコンクリートの建物が並んでいる。

 美味しそうなケーキの売っているケーキ屋さん、ショーウィンドウにマネキンの並んでいる洋服屋さん、面白そうな映画のポスターが貼られている映画館……道行く人々はみんな笑顔であり、なんとなくおしゃれにも見えてくる。


 スラム街が近くにあるとは思えない発展ぶり……いや、ここには野良戦車の脅威なんて届かないのだろう。解放軍が機械迷宮に乗り込んで倒し、万が一にも機械迷宮を抜け出た個体があれば、それは東武市の防衛隊や民間の私立戦車小隊が撃破する。ここは瓦礫街という緩衝地帯に守られた安全区域なのだ。


(それなら、東武市の人たちは守られるけど……)


 ミキは歯がゆい気持ちになり、綾乃の背中にぎゅっと抱きついた。


「……ミキ?」

「あっ! 綾乃さん、止まって!」


 そのときである。

 ミキは忘れもしない人物の姿を繁華街の街角で見つけた。


「ど、どうしたの、ミキ?」

「少しだけ待って! お願い!」


 停止しきるのよりも先に魔動バイクから飛び降りる。


 繁華街の街角を特徴的な集団が歩いていた。

 制帽、詰め襟、プリーツスカート……ゼロ部隊の少女たちである。

 流石に街中だからか、魔法板は腰から提げていない。


 通り道を塞ぐようにして、ミキは少女たちの前に飛び出した。


「この子、誰?」

「髪の毛がボサボサしているわ」

「気に入らない匂いがする」

「スラム街の子よ、きっと……」


 ミキの姿を見るなり、ゼロ部隊の少女たちがあれこれ言い出す。

 グラウンドゼロ・チルドレンを集めた部隊だとは聞いていたが、本当に全員が秋津人の少女だったので、ミキは少々面食らってしまう。元々は自分と同じ孤児だったはずなのに、どういう経緯で解放軍に加わったのか予想もつかない。


 白髪の少女だけは何も言わずにミキを見つめている。

 彼女は他の少女たちと、何か違うような印象を受けた。


「私は来栖ミキ。あなたは?」

「烏丸凛音(からすま りんね)よ……それが何か?」


 無視されるだけかと思ったら、ちゃんと名前まで答えてくれた。

 烏丸凛音、烏丸凛音……とミキは心の中で復唱する。


 通行人たちはあからさまにこちらを避けていた。

 相手が子供であっても、解放軍に楯突くなんて考えられないことなのだろう。

 ミキとしてはそれで構わないし、むしろ仲裁に入られたりした方が困る。


「この前のことで話したくて引き留めたの」

「私たちは非番で、これから映画を見に行くところよ」

「烏丸凛音……私はあなたに怒ってる」


 冷めた態度の凛音に対し、ミキはハッキリと言い放つ。

 通りすがりの人たちが、ぎょっとした顔でこちらを見ていた。


「怒らせるようなことをしたかしら?」


 凛音がぱちぱちと瞬きをする。


(とぼけてる顔じゃない。本当に思い当たらないのかな……)


 そう思った途端、ミキはさらに腹立たしくなってきた。


「あなたは私のお姉ちゃんが苦しんでいるのを見捨てた。軍人の部隊なんだから、怪我人や病人を手当てできるはず。あなたたちが手当てをしてくれていたら……せめて、安全なところまで逃がしてくれたら、お姉ちゃんがあんなに苦しむことはなかった」

「……死んだの?」

「私立討伐隊の人たちが助けてくれた」

「そう……」


 凛音が小さなリボンの結ばれた白髪をかきあげる。

 こんな不思議な色合いの髪は、同じ秋津人であるミキも見たことがない。


「で、それがどうしたの?」


 ロボットがしゃべっているかのような体温を感じさせない声音。

 凛音が不愉快そうに目を細めた。


「あなたのお姉さんが死んだところで、私たちには関係のないことだわ。せっかくだから言っておくけど、解放軍の任務は野良戦車を討伐して、魔法金属や魔法板を集めることであり、あなたたち秋津人を守ることではないの。私だって秋津人だけれど、解放軍に加わったときに今までのことは忘れたわ」

「解放軍の考えは分かってる」


 ミキは真っ直ぐに凛音を見る。


「これまでは仕方のないことだと諦めてた。何もかも解放軍任せで、自分の力で機械迷宮を攻略しようなんて夢にも思わない。でも、本気であらがおうとする人たちは存在したの。私もその人たちと一緒に戦う。あなたたちの見捨てた人たちを救う」

「それは立派なことね。でも、無謀なことよ。生半可な覚悟では命を落とすだけ」


 凛音が残念そうに首を横に振る。


「それに私たちは機械迷宮を着実に攻略しているわ。野良戦車の魔力供給源を断ち、機械迷宮を完全消滅させるのも時間の問題でしょうね。野良戦車の討伐は私たちに任せて、わざわざ死にに行くようなことはやめるべきだわ」


 小馬鹿にした言い方ではなく、こちらを本気で説得しているようにも聞こえる。

 解放軍が機械迷宮を資金源にしているのは周知の事実だ。


(そんな分かりきった言い訳を真面目な顔でしなくてもいいのに……)


 凛音の意図が読めないまま、ともかくミキは言い返した。


「秋津国の人たちをちゃんと守ってくれるなら考えるよ」

「それはできない相談ね」


 そのときだった。


「……ミキ」


 綾乃からぽんと肩を叩かれる。

 ミキが気持ちをぶつけている間、彼女は静かに見守ってくれていたのだ。


 凛音の視線が綾乃に注がれる。

 彼女こそ解放軍に反旗を翻した私立討伐隊の一員なのだが、凛音はそのことに気づいているのかもしれない。冷静になって考えてみると、綾乃のいる前で宣戦布告するなんて、彼女を無理やり巻き込んだようなものだ。


「言いたいことはそれだけかしら?」


 凛音が再びミキに視線を戻す。

 一つも堪えてなさそうなところが、ミキとしては実に悔しかった。


(私だったら食べるのに困っても、解放軍なんか入らないのに……いや、食べるのに困ったら流石にどうだろう? 絶対にあり得ない話だけど、お姉ちゃんの病気を治してくれると解放軍が言い出したりしたら……)


 そこまで考えて、ミキはハッと気づかされる。

 アスカを助けてもらえなかったのは腹立たしいが、解放軍そのものに対する怒りを凛音にぶつけても意味はない。凛音はあくまで末端の一兵隊なのである。仲間たちから隊長と呼ばれていても、解放軍の方針を動かせるほど偉いわけじゃないし……そもそも、ミキとほとんど年齢の変わらない子供なのだ。


 凛音が心を入れ替えてくれるなら嬉しい。

 でも、怒りにまかせて恨みをぶつけるのは違う気がする。


「……ふう」


 冷静になろうと思って、ミキは大きく深呼吸する。


「話を聞いてくれてありがとう、凛音さん」

「えっ?」

「てっきり耳も貸さないものだと思ってた」


 ミキの言葉に対して、凛音はきょとんとした顔をしている。

 それは今までの彼女にない年相応の表情だった。


「……こ、ここが戦場なら、あなたの言葉に耳を貸したりしないわ!」


 自分でもまずいと思ったのか、凛音が焦った様子で怒りを露わにする。

 これまで無表情だったから、ミキには怒ってる顔すらも新鮮に感じられた。


(最初はロボットみたいだと思ってたけど……)


 どうせだから、もっと話してみたい気もしてくる。


「それなら、また休みの日ならお話を聞いてくれる?」

「ふ、ふざけたことを言わないで……」


 ミキの体を押しのけて歩き出す凛音。

 彼女の白髪からは鉄の匂いが漂ってくる。

 魔法板をいつも身につけている軍人ならではの匂いだ。


「あなたのこと、苦手になったわ」


 凛音が去り際に言い放つ。

 ゼロ部隊の仲間たちを連れて、彼女は人混みの向こうに歩き去って行った。


(苦手、か……)


 ミキの胸がずきっと痛む。

 面と向かって苦手だなんて言われたのは初めてだ。


「ごめんなさい。綾乃さんまで目をつけられちゃったかも……」

「あなたが謝ることではないわ」


 励ましの言葉をかけてくれる綾乃。


「月兎隊のことなら、解放軍にはもう知られている。明らかな妨害をしなければ、利用価値ありと考えて放っておいてくれるはずよ。もちろん、私たちがピンチになったところで、解放軍は助けてくれないでしょうけどね」

「子供同士なら話し合えるかもって思ったんだけど……」


 完全に考えが甘かった。あちらは子供であることも、秋津人であることも捨てて、解放軍の一員として戦うことを選んだのである。どれほどの覚悟があれば、そんな過酷な選択をすることができるのだろうか?

 家族だって心配するだろうし、私が家族だったら絶対に止めるのにな……というところまで考えて、ミキはようやくアスカの気持ちを少し理解できた。頑張るなんて力説したところで、家族にとっては気休めにもならない。


(お姉ちゃんから手紙が来たら、すぐに返事を書かなくちゃ……)


 ミキは今の気持ちを心に刻み込む。

 これは絶対に忘れたくないし、忘れるわけにはいかない。


「さあ、気を取り直して事務所に向かいましょう」

「はい!」


 綾乃の魔動バイクに乗って、二人は再び月兎隊の事務所を目指す。

 魔動バイクは繁華街を抜けると、東武市の中心からどんどん離れていった。

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