1-4『月兎隊1』
野良戦車が瓦礫街を襲撃してから三日後。
瓦礫街を有する東武市、その市内にある駅をミキは訪れていた。
そろそろ夕暮れも近い時刻だが、駅のプラットホームは大勢の人々で混み合っている。東武市で一番大きな駅ということもあり、多くの市民がお世話になる場所であるが、瓦礫街で暮らしていたミキが訪れるのは今回が初めてだった。
プラットホームにあるベンチに、ミキとアスカの姉妹は並んで腰掛けている。
アスカは月兎隊の少女たちに命を救われてから、東武市内にある国立病院に入院していた。医師からの診断結果は『今すぐに空気の綺麗な場所で治療に専念すること』というもので、すぐさま彼女の長期入院が決定した。
担当医の紹介してくれた病院は、汽車に揺られて丸一日はかかる片田舎にあるらしい。
二人の目の前にはすでに汽車が停車しており、出発の時間が刻一刻と迫っていた。
「ごめんね、ミキ。私が病気なんかにかからなかったら……」
アスカは申し訳なさそうにうつむいている。
二人でベンチに腰掛けてから、ミキはずっとアスカの手を握りしめていた。
アスカの手は命のない人形のごとく冷え切っている。
こうして起き上がれるようになったものの、彼女の体調は相変わらず芳しくない。長く伸びた黒髪はいつものようにサラサラなのだが、色白の肌はなおのこと青白くなっており、いつまた倒れるのではないかと心配になってくる。
「お姉ちゃんは悪くないよ。私がお姉ちゃんの病気を治したいの!」
医師から病院を紹介してもらえるチャンスなんて二度とない。
普通なら瓦礫街の住人というだけで追い出されているところだ。
「お金を借りたとも聞いたけど……」
「優しい人だから大丈夫だよ!」
医者に診てもらうことができたのは、月兎隊の隊長である綾乃のおかげだった。
今日までの治療費だけでなく、彼女はなんと入院費の頭金も貸してくれたのである。
おまけに「返せるときに返してくれたらいいわ」とまで言ってくれた。
宇佐見綾乃は文字通り、ミキとアスカにとって命の恩人なのだ。
(まさか、あんなに優しい女神さまのような人が実在するなんて……)
綾乃に命を救われてから、ミキはすっかり彼女に惚れ込んでしまっていた。アスカのためだけではなく、綾乃のためにも命を懸けられる……気がする。実際のところは野良戦車と戦ってみるまで分からないけど、少なくともそれくらいの心構えをしているつもりだ。
「ミキは本当に……私立討伐隊に入るつもりなの?」
アスカが心配そうな顔で聞いてくる。
ミキは力強くうなずいてみせた。
「うん、野良戦車を直接倒すことができたら、これまでとは比べものにならないくらいの大金が手に入るんだって! お姉ちゃんの入院費も簡単に稼げちゃうし、それに……私は解放軍の冷血なやり方を許せない!」
野良戦車の襲撃を受けたとき、アスカは危うく命を落とすところだった。白髪の少女率いる解放軍のゼロ部隊が、アスカを保護してくれていたら……あるいは手当てをしてくれていたら、彼女の心臓が止まるような事態にはならなかったろう。
解放軍に見捨てられてきた人たちは同じ怒りを感じているはずだ。それも瓦礫街に住んでいる人たちだけにとどまらない。解放軍の活動支援という名目で、秋津国の国民たちは税金や物資を搾り取られている。
このまま解放軍を野放しにしていても、彼らは機械迷宮を体のいい狩り場として利用するだけだ。それなら、もう自分たちで野良戦車を退治し、機械迷宮を解体していくしかない。立ち上がるべきときは今なのだ。
もちろん、大金が手に入るチャンスもある。野良戦車を自分たちの手で破壊すれば、その残骸から魔法板を回収できるのだ。これまでは解放軍が魔法板を独占していて、ミキのような孤児たちは余り物を拾うしかなかったが、そんな理不尽も終わりにすることができる。
「私は……ミキには危険なことをしてほしくないわ」
アスカが涙混じりにミキの手を握り返す。
「ミキさえ無事でいてくれたら、私はもう何もいらないわ。この身がどうなってしまっても構わない。だって、私たちは二人きりの家族なんだもの。本当は一分一秒ですら、あなたとは離れたくない……」
「それはっ……私だって、同じだよ……」
ミキは真っ直ぐにアスカの目を見る。
決意に満ちた眼差しをぶつけるように……。
「でもね、私は戦うって決めたの! お姉ちゃんの病気を治すため、許せないやつらを野放しにしないため、私自身が強くなるため……だからお願い。離ればなれは辛いけど、一回だけでいいから私に挑戦させて!」
これまでは逃げることしかできなかった。でも、運命にあらがう手段を見つけたのだ。野良戦車から逃げ回り、大切な肉親のことも助けられず、自分の無力さに打ち震えるような経験は二度としたくない。
「……ミキは強くなったわね」
アスカが優しい手つきでミキの頭をなでる。
(お姉ちゃん、私は強くなんかなってないよ……)
ミキは正直な気持ちを飲み込む。
強い人たちの存在を知って、彼女たちに手を伸ばそうとしているだけだ。本当に強くなれるのかどうかは今も分からない。自分が生まれついての弱虫ではなく、これから勇敢に……そして強くなれることを願うばかりである。
そうこうしているうちに、付き添ってくれる医師がやってきた。アスカの入院先の病院から東武市の国立病院に出張してきていたらしく、せっかくだからと病院まで付き添ってくれることになったのである。
医師がトランクを片手に「そろそろ乗車時間だよ」と呼びかけてくる。
「もう少しだけ待ってください」
アスカはそう言うと、荷物の中からくしを取りだした。
飾り気のない木製のくしで、彼女が元気だった頃、闇市で購入したものである。
アスカがそのくしを使って、ミキの強烈な癖毛を梳かし始める。
くしの歯がなかなか通らず、苦戦するのはいつものことだ。
「あなたの髪はいつも跳ね返ってるわね」
「私もお姉ちゃんみたいなサラサラの髪がよかったな……」
「あら、私はミキの髪も好きよ。こうして髪を梳かす時間が楽しいもの」
「うん……」
アスカに髪を梳かしてもらう時間がミキも大好きだ。
こうしてもらっていると心まで洗われたような気持ちになる。
これまでは毎日のように髪を梳かしてもらった……でも、これからは離ればなれになり、髪を梳かすどころかお互いの顔を見ることも、言葉を交わすこともできない。そんなことを考えたら悲しくなって、ミキの目から大粒の涙がこぼれてきた。
「ミキ、泣いてるの?」
「泣いてないよ!」
「うん……ミキは泣いてない」
それから優しい時間が過ぎた。
アスカがミキの髪を梳かし終わる。
髪の毛はサラサラにもまっすぐにもならなかった。
(でも、これでいいんだ……)
ミキとしては大好きなお姉ちゃんに髪を梳かしてもらえただけで満足だ。
アスカの気持ちがこもっていると思うと、いつもは嫌いな癖毛も愛おしく思える。
「これからは自分で梳かすか、他の人に梳かしてもらってね」
「うん……」
アスカからくしを手渡される。
ミキは受け取ったくしを握りしめ、それから肩掛けのかばんにしまった。
「それじゃあ、そろそろ行くわね」
アスカがベンチから立ち上がる。
医師に付き添われて、彼女は乗車口から汽車に入る。
ミキがそばまで駆け寄ると、ボックス席の窓からアスカが顔を出した。
「病院についたら手紙を書くわ。それまで体に気をつけてね!」
「お姉ちゃんも……頑張って病気を治してね!」
出発の警笛が聞こえて、汽車がゆっくりと走り出す。
「私、寂しくないからーっ!!」
ミキは大きな声で叫ぶ。
「一人でも頑張れるからーっ!!」
それを聞いたアスカが窓から手を振ってくれる。
お互いが見えなくなるまで、ミキとアスカは手を振り合った。
「はぁ……」
その場にぺたんと座り込むミキ。
(自分で決めたことなのにどうしてこんなに辛いのかな……)
別れてから数秒しか経っていないのにもう心が苦しくなっている。
そのとき、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「ちゃんとお別れを言えたわね」
いつの間にか、ミキのそばに綾乃が立っていた。
今日も彼女は月兎隊のセーラー服が似合っている。
ただし、戦うわけではないからか、左腕の腕章はつけていなかった。
「ありがとう、綾乃さん」
綾乃のさしのべた手を握り、ミキはようやく立ち上がる。
それから、単刀直入に言った。
「綾乃さん、私を月兎隊に入れてください!」
ミキは深々と頭を下げる。
アスカに梳かしてもらった髪が地面に着きそうになった。
「お姉ちゃんの病気を治すにはお金がいるし、解放軍に任せて野良戦車を野放しにできないし……私、綾乃さんと一緒に戦ってみたいの! お姉ちゃんを守れなかった自分が、情けなくて悔しくて……だから、お願いします!」
プラットフォームにいる人たちが「おおーっ!」と歓声を上げる。
いつの間にやら注目を集めてしまったらしい。
「ど、どうも……えへへ……」
こんなに注目されるのは初めてで、ミキは照れくさくなって自分の髪をくしくしする。
こうすると髪を梳かしてもらっているときのように気分が落ち着くのだ。
ミキはようやく我に返って、綾乃の前だと言うことを思い出す。
「あっ、その……人気になりたいとかじゃなくて!」
「ふふっ、もちろん分かってるわ」
「は、はい……」
今度は恥ずかしさから顔が熱くなってくる。
こんなことで月兎隊に入隊できるのか、ミキは本気で不安になってきた。
「詳しい話は月兎隊の事務所に行ってからにしましょう」
「事務所って?」
「月兎隊のメンバーが暮らしているおうちよ」
綾乃が歩き出したので、ミキは彼女の背中を追いかける。
このまま歩いて行くのかと思ったら、綾乃は駐車場に停めてあるバイクにまたがった。
赤色のボディをしている可愛らしいスクータータイプだ。
魔力で動いてくれる魔動バイクなので、ハンドルの中心からは魔力供給用のマウスピースが垂れ下がっている。綾乃がマウスピースを口にくわえると、魔力の送り込まれたエンジンが小気味よい音を立てて回り始めた。
「狭いけど詰めれば乗れるわ」
「は、はい!」
ミキは魔動バイクの座席に腰掛けて、綾乃の背中にしっかりとしがみつく。
彼女のさらさらした黒髪からは、花のような甘くて爽やかな香りがしていた。
この匂いを嗅いでいると気持ちが落ち着いてくる。
(香水とかつけてるのかな?)
ミキはついつい気になって、子犬のように何度もくんくんしてしまった。
「落ちないように注意してね」
「ひゃいっ!」
綾乃が魔動バイクを発進させる。
ミキはちょっと怖くて、彼女の背中に顔を押しつけるのだった。
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