1-2『グラウンドゼロの少女たち2』
ミキは自宅のバラックを出ると、瓦礫街でもっとも賑わう闇市に向かった。
ござを敷いただけの露天から、廃材を組み上げた屋台まで、闇市は数え切れないほどの商店で盛り上がっていた。食べ物から生活用品、あらゆる機械類から怪しい薬品も、お金次第で何でも買える。もちろん、商品の出所を気にしてはいけない。
闇市を訪れる客層も様々だ。瓦礫街で暮らしている人間は当然のこと、街の外に住んでいる民間人、違法な仕入れ先を求めている業者、さらには観光に来ている外国人まで、日の出ているうちは常にごった返していた。
「大将さーん、持ってきたよーっ!」
ミキは行きつけの屋台を尋ねる。
大将さんと呼ばれた中年の店主が「おう!」とぶっきらぼうな返事をした。
「買い取ってください!」
ミキは屋台のテーブルに肩掛けのかばんをドンと置いた。
店主はかばんを開けて、いっぱいに詰まった魔法金属を物色し始める。
彼は魔法金属の買い取り業者で、ミキはいつもお世話になっているのだった。
(お願いします。高く買い取ってください!)
神に祈るような気持ちのミキ。
店主はあらかた確認してから、彼女に幾ばくかの小銭を差し出した。
「この質と量なら……これくらいだな」
「これだけ? 大将さん、少なすぎるよ!」
ミキはテーブルに置かれた小銭をじっと見つめる。
丸一日かけて機械迷宮を歩き回り、野良戦車から追いかけ回されて、肩が痛くなるほどかばんいっぱいに集めたのに……せいぜい数日分の食費にしかならなかった。これではアスカの入院費を貯めるどころか、薬を買うこともできやしない。
店主が申し訳なさそうに目を伏せる。
「悪く思うなよ、ミキ。最近は劣化の激しい魔法金属にほとんど値がつかない。国連から派遣されてきたやつらが野良戦車を倒しては、かなりの高値だが上物を市場に流しているからな。この仕事もそろそろ潮時だよ。お前さんも将来をよく考えることさ」
「はい……」
軽くなったかばんを抱え、わずかな小銭を握りしめ、ミキは屋台をあとにした。
足取りが否応なしに重くなる。
ミキの集めている魔法金属は、バラバラに壊れた野良戦車の残骸だ。国連から送られてきた多国籍軍が野良戦車を倒し、劣化の少ない部分は持って行ってしまう。それこそ自分も野良戦車を倒せるようにならなければ、このまま鉄くずを拾い続けるしかない。
でも、そんなことできるわけがない。
彼女にできるのはネズミのように駆け回り、二束三文のゴミを集めることだけだ。
(そんな人生って……)
ミキの胸がじわりと痛む。
こんなことではいつまで経ってもアスカの病気を治せない。だけど、お金を稼ぐ方法なんて他に思いつかない。
自分の頭がよくないことはミキも重々承知だ。病気になるのがアスカではなく、自分の方だったらどれだけマシだったことか。
(ダメだ、ダメだ。こんなことばかり考えても!)
とにもかくにも、今晩の夕食を買いに行かなければいけない。
日の出ているうちに買い物を済ませないと、いくら歩きなれた瓦礫街でも危険だ。
「今日、何を食べよう……」
ミキが気持ちを切り替えようとしたときである。
姉のいるバラック群の方角から、腹の底に響くような爆音が聞こえてきた。
土煙が火柱のごとく噴き上がり、バラックの破片が頭上から降り注いでくる。
ミキがあっけにとられていると、闇市にいる誰かが叫んだ。
「野良戦車だ! 野良戦車が出てきたぞ!」
瞬間、闇市に集まった人々が悲鳴をあげながら逃げ始める。
しかし、ミキだけはバラック群に向かって走り出していた。
野良戦車にはそれぞれ魔力の供給源があるらしく、なるべく自分の縄張りから離れないようにしているのだが、時々こうして自分の縄張りを離れて、機械迷宮の外まで出てきてしまうはぐれものが存在するのだ。
「お姉ちゃんが危ないっ!」
今日一日の疲れも忘れて、ミキは一目散に走り続けた。
バラック群まで戻ってくると、そこはすでに瓦礫の山と化していた。野良戦車が魔法の砲弾を撃ち込んだ場所は、大人が隠れられそうなほど深く地面がえぐれている。バラックの住人はすっかり逃げ出したあとのようで、逃げ遅れた人影は一つも見当たらない。
運がよかったのは野良戦車の姿が見当たらないことだ。バラック群や闇市とは正反対の方向から、魔法の砲弾を撃つ爆音が聞こえてくる。野良戦車は人間を追い回す習性があるので、こちらにはまず戻ってこないだろう。
「お姉ちゃん! お姉ちゃん、どこにいるの!」
煙たい粉塵の巻き上がる中で、ミキは精一杯に声を張り上げる。
他の住人たちと一緒に逃げている?
それとも、瓦礫の下敷きになって――
「ミキ、そこにいるの……」
瓦礫の陰から弱々しい声が聞こえてくる。
ミキが瓦礫の陰を覗き込むと、そこにはアスカが隠れていた。
「お姉ちゃん、怪我はない!?」
「私は、平気……」
「すぐに助けるからね!!」
必死の思いで瓦礫を退かし、アスカの体を引っ張り出す。
大きな怪我こそしていないが、服は所々破れて血が滲んでいた。
「やっぱり怪我してるじゃん!」
「でも、本当に大丈夫だから……げほっ、げほっ……」
助け出されたのもつかの間、大きな咳をし始めるアスカ。
顔色がみるみるうちに青ざめ、視線も定まらなくなる。
体調が悪化したときに起こる発作で、こうなると彼女は立ち上がることもできない。
(本当はお医者さんに診せたい。でも、瓦礫街にはお医者さんなんて……)
ボランティア団体の医師に診察してもらったのは何ヶ月も前だ。
発作が起こったら絶対安静にさせること。そうしなければ命に関わる。
そんなことを言われても、ミキだって咳き込みそうなほどの粉塵が舞い上がり、野良戦車がいつ襲ってくるか分からない場所で、安静にさせることなんて無理だ。とにもかくにも、この場所から離れなくてはいけない。
「……民間人?」
そのとき、誰かの呟く声が聞こえてきた。
ミキがとっさに振り返ると、うずたかい瓦礫の山に一人の少女が立っていた。
まず目に止まったのは少女の美しい白髪である。瓦礫街を吹き抜ける風により、大きくなびいている様子は幻想的だ。小さな黒いリボンがたくさん結ばれており、そこはかとなく女の子らしさが感じられる。
年齢はミキとあまり変わらない。おそらく一つか二つ上なだけだろう。けれども、こちらを見下ろしている顔は凛と大人びており、まるで人形のように生気を感じさせず、彼女自体が魔法の産物のように感じられる。
彼女の素性だけは特徴的な装いからすぐに分かった。頭にかぶっている制帽、こぎれいな詰め襟とプリーツスカート、腰から下げている魔法金属の板――すなわち軍人である。それも取り分け強力で、それでいて厄介な軍人だ。
爆心地の機械迷宮を壊滅させるため、国連からは『解放軍』と呼ばれる多国籍軍が派遣されている。
その中でも優秀な少女たちを……それもグラウンドゼロ・チルドレンを中心に編成されたのが、野良戦車討伐を専門とするエリート少女軍人部隊『ゼロ部隊』なのだった。
男性よりも女性の方が魔力に優れる傾向にあるため、魔法技術の進歩してきた昨今は年若い女性が戦場に立つことは珍しくない……とはいえ、まさか自分と同い年くらいの少女が、本当に軍人をしているとはミキも信じられなかった。
ミキが魔法金属を拾っている場所は、機械迷宮のほんの入口である。ゼロ部隊が通りすがりに倒した野良戦車の残骸から拾っているだけなので、こうしてゼロ部隊と間近で相見えるのは初めてのことだった。
白髪の少女に続いて、ゼロ部隊の隊員たちが集まってくる。制帽、軍服、プリーツスカートという出で立ちは全員同じで、いずれも白髪の少女よりは年上に見えた。不思議なのは他の隊員たちが、白髪の少女を『隊長』と呼んでいることだ。
(この歳で隊長?)
子供が軍人をしていることだっておかしいのに、さらに隊長を任されているだなんてにわかには信じられない。それでも、この状況では彼女たちに救いを求めざるを得なかった。
「軍人さん、助けて!!」
ミキはわらにもすがる思いで、軍人の彼女たちに訴えかける。
「お姉ちゃんが発作を起こしてるの!! お願いだから手当てを――」
「無理よ」
白髪の少女の声は小さく、しかし不思議としっかり耳まで届いた。
まるで刃物のように鋭い一言がミキの胸に突き刺さる。
「私たちの任務は民間人を守ることではなく、野良戦車を討伐して、魔法金属を回収すること……そんな当たり前のことくらい、スラムで生きているなら知っているでしょう。髪の毛ボサボサのお嬢さん?」
「うっ……」
知っていることだった。
だからこそ、わらにもすがる思いだった。
解放軍が興味を持っているのは、野良戦車から採れる上質な魔法金属だけだ。野良戦車を退治してもらっているうえ、国力も軍事力も劣っている秋津国の政府では、解放軍に異を唱えられるわけがなかった。
機械迷宮は解放軍にとって絶好の狩り場であり、鉄くず漁りをしている孤児たちや、瓦礫街の住人たちなどは、彼らにとって足下のアリにも等しい……否、邪魔になるだけのゴミ以下の存在なのである。
「死にたくなかったら逃げることね」
白髪の少女はそれだけ言うと、ゼロ部隊の仲間と去って行った。
おそらくは暴走する野良戦車を追いかけていったのだろう。
こうなった以上は自力でどうにかするしかない。
意識朦朧としているアスカを背負って、ミキは瓦礫だらけの道を歩き始める。
いくら病弱でやせ細っているとはいえ、人間ひとりを背負って、足場の悪い道を歩き続けるのは困難だ。
そろそろ日も落ちてくる時刻なのに汗がしたたり落ちてくる。
背中から伝わってくるアスカの鼓動は弱々しく、それがなおさらミキの気持ちを焦らせた。
でも、急いで歩こうとすると瓦礫に足を取られそうになる。
「お姉ちゃんのことは私が守るからね」
ちゃんと聞こえているのかは分からない。
それでも、ミキは姉を励まさずにはいられなかった。
物心ついたときから、ミキはアスカに守られっぱなしだった。劣悪な環境の孤児院でも、孤児院から人買いに売られそうになったときも、瓦礫街に逃げ込んで暮らし始めたときも、アスカはずっと優しく、力強く、ミキを守ってくれていた。
魔力爆弾の投下によって、家族と親戚はみんな死んだと聞かされている。そのときは赤ん坊だったから、ミキには家族というものが分からないし、何もかも戦争のせいだと言われてもいまいち飲み込めない。自分はただ、たった一人の姉を大切にしたいだけなのだ。
(私がお姉ちゃんを守らないと!!)
ミキは自分を励ますように何度も心に誓う。
そうでもしないと、底なしの沼に引きずり込まれそうな気がして……。
「うわっ!?」
不意に地面が激しく揺れる。
ミキは思わず転倒してしまい、アスカの体が地面に投げ出された。
それから、唐突に周囲が暗くなる。
「な、なにが――」
振り返ったミキの目前に迫っていたもの。
それは振り切って逃げてきたはずの蜘蛛脚の野良戦車だった。
ゼロ部隊は全然違う方向に野良戦車を追いかけていった。それなら、こうして目の前にいるのは別の個体? 暴走している野良戦車は二両いたということ? 様々な考えが浮かんでは消えて、頭の中がぐるぐるとかき混ぜられる。
一つ目の巨人の目玉のように、野良戦車の砲身がミキとアスカに向けられる。
砲身でにらみつけられた途端、恐怖のあまり膝がガクガクと震え始めた。
(逃げてる暇はない。それなら……)
歯を食いしばって勇気を振り絞る。
ミキは洋服のポケットから、魔法金属の板を引っ張り出した。
板チョコレートほどの大きさをした魔法金属の板には、細かな文字が魔力を使って刻み込まれている。これが魔法を使うために必要な『魔法板』と呼ばれる道具だ。
魔法板に刻まれている呪文によって、どんな効果を発揮するかは変わってくる。ミキが機械迷宮で偶然拾ったこの魔法板は、魔力の弾丸を撃ち出す効果のものだ。
魔法板を口にくわえて、ミキは精神を集中させる。普通は魔法板に金属のワイヤーがつながれており、ワイヤーの先端にあるマウスピースを噛むのだが、そんな小道具を持っているわけがないので、行儀が悪くとも直接口でくわえるしかない。
魔法板が徐々に熱を持ち始める。人間の体内に眠っている魔力は、唾液や血液を通して魔法板に伝わっているのだ。そして、魔法板に刻み込まれた呪文の効力により、無力で無害なはずの魔力が物理的攻撃力を持った魔法の弾丸に変化していく。
この魔法板は怖くて一度も使ったことがない。
でも、ここで使わずにいつ使うというのか!
こうなったら、野良戦車の一匹くらいこの場で倒して――
ぺこん
何という情けない音なのか。
それはミキの放った魔法の弾丸が、野良戦車の装甲にはじかれる音だった。
そうなるのも当たり前である。
野良戦車を倒すためには、鋼鉄の装甲を貫ける大火力が……それだけの強力な魔法板が必要なのだ。
魔法の訓練を受けていない素人が、そこら辺で拾った魔法板を使うくらいなら、石ころでも投げた方がマシと言える。
(勝てない……逃げられない……)
ミキの口から魔法板がこぼれ落ちる。
アスカの体を再び背負おうとするが、全身が震えてしまって力が入らない。完全に腰が抜けてしまった。心が折れてしまった。魔法の砲弾を撃ち込まれるまでもなく、自分が敗北していることを思い知らされた。
野良戦車の砲身にはまがまがしい魔力が集まりつつある。
恐怖によって身動きを封じられ、確実な死を眼前に突きつけられていた。
命乞いをすることすら許されない。
意味はないと分かりながらも、ミキはとっさにアスカの体に覆い被さる。
そして、野良戦車の砲身から魔法の砲弾が放たれる。
寸前、
「――安心なさい」
ミキとアスカの前に一人の少女が姿を現した。
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