ミキとうさぎと機械の迷宮

兎月竜之介

1-1『グラウンドゼロの少女たち1』

 つぎあてだらけの肩掛けかばんの中からは、魔法金属のぶつかり合う音が聞こえてくる。一つ一つは取るに足らない金屑でも、容量いっぱいに詰め込めば相当な重さだ。斜めがけしている肩紐も、先ほどからちぎれんばかりにギシギシと音を立てている。


 極東の島国、秋津国の中心に存在する直径10キロメートルに及ぶ機械迷宮……そのただ中を一人の少女が走り抜ける。


 首を括らんと垂れ下がる電線をくぐり、足をもつれさせようとする瓦礫を飛び越える。天井から差し込むわずかな光が頬に当たる。

 彼女の軽やかな動きは、倒壊した建物と魔動機械の残骸で作られた迷宮で、毎日のように逃げ回ってきたことのたまものだ。


 そして、彼女は今日もいつものように逃げ回っている。


 何から逃げているのか。

 金属のこすれる不気味な音を立てて、少女を踏みつぶそうと現れたのは一台の戦車だ。乗り手を失ってもなお、動力部に宿った魔力によって動き続ける無人兵器『野良戦車』である。機械迷宮はまさしく野良戦車の巣窟だ。


(あれが戦車? 戦車に脚なんて生えてないよね?)


 少女はちらりと背後を振り返り、幾度となく浮かんだ疑問を今日も浮かべる。


 彼女を追いかけている野良戦車は、胴体や砲塔こそ戦車らしさが残っているが、キャタピラの代わりに蜘蛛のような脚部が生えていた。

 機械迷宮はそこら中が倒壊した建物だらけで、キャタピラでは乗り越えられないような地形が多々ある。

 野良戦車が破壊と再生を繰り返すうちに環境へ適応したのだろうと言われているが……そんなこと、研究者でもなんでもない少女には関係なかった。一つハッキリしてるのは、野良戦車は人間を好んで襲うということだ。


 野良戦車が穴だらけのビルにしがみついて砲身を光らせる。赤黒くまがまがしい光は次第に収束し、次の瞬間、内臓を揺さぶるような爆音を響かせて放たれた。一点に圧縮された魔力の砲弾が、衝撃波を放ちながら少女に向かって飛来してくる。


(ど、どこかに逃げなくちゃっ!)


 少女は大きなパイプに飛び込み、飛んできた魔力の砲弾を回避する。直後、背後からは地面と天井が同時に崩れる音が聞こえてきた。

 この抜け道はもう二度と使えないな……そんなことを考えながら、少女はパイプの中を滑り台のように滑り続ける。

 抜け道のパイプを滑りきると、野良戦車の気配はなくなっていた。


 ここまで来たら安全かな、と少女は小さく息を吐いた。

 砂埃で汚れてしまった服をはたき、それから帰り道を歩き始める。

 これが彼女の……来栖ミキの日常だ。


 十分ほど散歩気分で歩き、機械迷宮を覆っている外殻から抜け出る。

 太陽が眩しくて、ミキは思わず目を細めた。

 明るさに目が慣れてくると、廃材を再利用して作られた無数のバラックが見えてくる。

 ここが彼女の暮らしているスラム街、機械迷宮での物漁りを生業にするものたちの住処、通称『瓦礫街』である。


「よお、ミキちゃん! 今日もたくさん拾えたかい?」

「うん、ばっちりだよ! 大将さんに買い取ってもらう!」


 瓦礫だらけの道を歩いていると、瓦礫街の住人たちがミキに声をかけてくる。


「ミキちゃん、また一緒に遊んでねーっ!」

「はーい! 私も楽しみにしてるから、また明日にしてね!」


 自分よりも幼い子供たちに手を振るミキ。

 彼女が笑顔を振りまくと、瓦礫だらけの街にも暖かさが感じられた。


 瓦礫街は不便で、治安が悪くて、衛生的ではない。スラム街なのだから、それは確かだ。いつかは離れたいと思っているけれど、ここで暮らし始めてもう三年……それなりに愛着だってわいてくる。


「お姉ちゃん、ただいまっ!」


 ミキは自分の住処である粗末なバラックに戻ってくる。


 照明は拾った魔動ライトの一つきりで、テーブルや洋服掛けは廃材から作ったもの。電気も水道も通ってないし、雨が降れば雨漏りもする。

 寝返りを打ったら壁にぶつかるような狭さだが、ささやかながらも安心できる我が家である。


 それに何よりも、ここでは姉のアスカが待ってくれていた。


「お帰りなさい、ミキ」


 アスカは布団から上半身を起こし、ほっそりとした手で縫い物をしていた。彼女は瓦礫街の住人たちから縫い物の仕事を引き受けている。

 ミキの着ている洋服も、使っている肩掛けかばんも、アスカが手縫いで作ってくれたものばかりだ。


 一年前まではアスカが機械迷宮に潜入して、野良戦車や魔動機械の残骸から魔法金属を拾い集めていた。

 けれども、彼女は元から病弱だったこともあり、機械迷宮の汚れた空気のせいで胸の病を患ってしまった。それからは役割を交代して、ミキが機械迷宮に潜るようになったのである。


「ほら、こんなに拾ってきたよ! かばんいっぱい!」


 ミキはパンパンになった肩掛けかばんをアスカに見せる。


「まあ、こんなに……ミキは危険な目に遭わなかった?」

「今日も平気だったよ。野良戦車にも見つからなかったし!」

「それならよかったわ。ミキが怪我でもしたらと思うと……」


 アスカは嬉しそうに顔をほころばせたが、突然こほんこほんと咳き込んでしまった。


「お姉ちゃん、大丈夫!?」


 ミキはとっさにアスカの背中を撫でる。

 アスカの体は生きているのが不思議なくらいに冷たい。肌も心配になるくらい色白だ。

 それでいて長く伸びた黒髪は美しく艶やかで、髪の毛に栄養を全て持って行かれてるのではないかと疑いたくなってくる。


 私の元気を半分でも分けてあげられたら……。

 ミキはいつもそう思っている。


 健康なことだけが自分の取り柄だ。大好きなお姉ちゃんのためなら、野良戦車の巣くう機械迷宮にだって平気で潜れる。生傷が絶えなくても、お腹いっぱいに食べられなくても、女の子らしい服が着られなくても気にしない。


「ごめんね、ミキ。お姉ちゃんが病気になんてならなかったら……」

「大丈夫だよ、お姉ちゃん! お姉ちゃんが病院に通えるお金くらい、私が簡単に稼いできちゃうから! 今日はこんなに拾えたんだもん。毎日これくらい拾ってたら、目標達成まであっという間だよ!」


 ミキは穴の空いたトタン屋根を見上げる。


「まとまったお金ができたら、まずはどこかに引っ越そうよ。空気が美味しくて、野良戦車の出ないところ。それから二人でお店屋さんを開けば、私たちずっと一緒にいられるよ。お洋服屋さんとか……私はお裁縫、下手っぴだけどね」

「ミキは優しいわね」


 アスカがハンカチを取り出し、ミキの顔についた砂埃を拭う。

 彼女の穏やかな微笑みは、達観した諦めの表情にも似ていた。


「お姉ちゃんはこれからやりたいことってないの?」

「やりたいことならいっぱいあるわよ。あなたのいつもボサボサな髪をとかしたり、女の子らしい洋服を仕立てて着させてあげたり……そうそう! できることなら、学校にも通わせてあげたいわね」

「私にしたいことじゃなくて、お姉ちゃん自身のしたいことだよっ!!」


 思わず声を荒げてしまうミキ。

 彼女はハッとして自分の口を手で押さえる。

 アスカは少し困ったように微笑み続けていた。


 あなたの幸せが私の幸せ――そんな姉の笑顔を見せられたら、ミキにはもう何も言うことができない。

 自分たちには本当に他には何もなかったのだ。勉学や趣味に打ち込んだり、友人や恋人を作るような余裕なんて……。


「私、大将さんのところに行ってくるね」


 アスカは重たい肩掛けかばんを抱えて立ち上がる。


「帰りにお夕食も買ってくるけど食べたいものある?」

「あんまりお腹は空いてないし、ミキの好きなものを買ってきていいわよ」

「……うん、分かった。行ってくるね」


 アスカに見送られて、ミキは自宅のバラックをあとにした。

 来栖ミキ12歳、来栖アスカ15歳。

 姉妹二人きりの仲睦まじい家庭には不穏な影が忍び寄っていた。


 ×


 全ての始まりは10年前にさかのぼる。


 長年にわたって続いていた世界大戦は、極東の島国『秋津国』に落とされた一発の魔力爆弾によって強制的に終戦させられた。

 強力すぎる魔力の波が全世界を駆け巡り、兵器を含むありとあらゆる魔動機械を動作不能にさせてしまったのである。


 不幸中の幸いだったのは、電気や液体燃料を動力とする機械には影響がなかったことだ。そのおかげもあり、世界中の人々は多数の犠牲者を出しながらも、どうにか戦争終結後の混乱を生き延びることができた。


 けれども、危機を乗り越えたと思ったのもつかの間、予想だにしない事態が発生した。

 動作不能になったはずの魔動兵器――魔動戦車が突如として動き出したかと思うと、人間たちを襲ったり、家々を破壊したりし始めたのである。


 人類と無人兵器『野良戦車』との長く激しい戦いはそうして始まった。


 戦後10年間にわたる戦いにより、全世界の野良戦車は明確な減少傾向にあり、野良戦車を完全に駆逐した地域も現れ始めている。

 その一方、魔力爆弾の爆心地(グラウンドゼロ)である秋津国では、強力な野良戦車の出現が今も続いていた。


 特に問題視されているのが、爆心地に広がる野良戦車の巣『機械迷宮』である。

 10年前は直径50キロを超えていた機械迷宮も、現在は直径10キロまで縮小させることに成功していたが、むしろ出現する野良戦車は凶悪化の一途をたどっていた。

 戦争で疲弊した秋津国の国防軍では太刀打ちできず、国連から多国籍軍が派遣されている状態だ。


 それに加えて問題なのが、爆心地周辺のスラム街で暮らす孤児たちの存在である。

 魔力爆弾の投下、あるいは戦後の混乱で家族をなくした孤児たちは、日々の糧を得るために機械迷宮へ潜り込むようになっていた。


 ミキもそんな大勢いる孤児たちの一人である。

 この時代の秋津国では、とてもありふれた不幸だった。

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