第65話 勤務地は福岡

 25歳の誕生日を迎えた7月27日。

 恋人になった博人先生に祝ってもらうはずだった。でも、博人先生は急遽ドイツへ行った。祖父がまだ生きてて、その祖父が危篤状態という連絡が入ったからだ。

 でも、ドイツから戻ってきたのかどうか、連絡がなかったので分からなかった。

 8月には福岡へ帰る予定にしてたが、誕生日の翌日には実家へ帰った。

 病院で診断書を書いてもらい、それを持って。


 そして、母と一緒に香港旅行をした。

 その時、母の値切る姿を見ては驚いたものだ。

 いやー…、英語の達者なこと。

 通訳してやろうと思ってたのに必要なかったので、余計な事をしなくても済んだので、楽しんでいた。


 その時、大学時代の仲間だったワンの父親と再会し、話をする機会に恵まれた。

 香港では有名な人で、病院経営者でもあるミスター・王(ワン)は、自分の経営してる病院に勤務しないかと声を掛けてくれたのだ。


 ミスターは、香港では病院経営者だけではなく他の仕事もしている。

 そのうちの一つである、日系病院の方に、との事だった。

 同席していたお母ちゃんは、チャンスが目の前にきたねと言ってくれたが、卒業してまだ一度も就職してない事を言ったら、ミスターは驚いていた。


 その時、初めて他人に話した。卒業して先月まで入院してたことを。

 実は…と、前置きしてミスターは言ってくれた。

 日本にも病院を経営進出してることを教えてくれたが、東京ではなく福岡だと。

 「ミスター、私は福岡出身ですよ」

 「おや、それはラッキーだね。是非、そこで働いてもらいたい」

 香港旅行は、明日の午後の便で福岡に帰る。


 明後日には、教えてもらった病院に面接に行くことにした。

 自宅通勤をしようと思えばできる距離に、その病院はあった。

 そして、そこで5年間の契約を結んだ。

 終身雇用でないのは、ただ経営者が香港流でやりたがっていたからだ。


 あっという間の5年間だった。

 そこで仲良くしてくれたのは、日本人ではなくドイツ人のアンソニーだった。

 年齢も近いということもあり、色々と教えてくれた。

 この病院に通院や入院してくる患者は、ほとんどが観光客だ。日本人は少数だ。

 そのせいか、多国語を喋れる医師を募集していた。

 ちなみに、日本語を話せる医師はいても、彼等は日本人ではないので書けないし読めないのだ。日本人医師は1人も居なかったのには驚いたものだ。

 だから、日本人である私が入ると、日本語が書けるので通じるものがある。

 アンソニーも日本語は話せるが、書けないし読めないのだ。

 でも、アンソニーはドイツに戻れば、『ボス』という位置が決まってるらしい。


 大学卒業しての初勤務先が、福岡の家の近場の病院だ。

 お母ちゃんは「どっかを借りて住みなさい」と言ってきたが却下した。

 だって、家が近くにあるんだからいいじゃない。

 ねー。


 最初の3年間は色々と覚えるのが大変だった。

 4年目になると、少しは余裕がでてきたので少しは楽になったが、気を緩めることはできない。


 大学時代は、6年間ずっと仲間が動いてくれてた。

 そのツケが回ってきた。大学とは違う、誰かが動いてくれるものではない。自分から率先して動くべきだと分かった時だった。


 そこに勤務して5年目に入ろうとしてた矢先に、次なる契約のオファーが掛かった。

 米国人と結婚した日本女性が入院してきた。

 たまたま、その女性を担当したのが私だった。

 入院期間が5ヶ月という長期入院だった為に見舞客も泊まり込みで来てた。

 その内の1人であるアメリカ人の男性に、声を掛けられた。

 「うちの病院で働かないか」と。

 でも、私にはまだ1年間も契約期間が残っているので、即答で断った。


 そしたら、そのアメリカ人は、ここの病院のトップクラスの人間に話を持ちかけたみたいだ。数日後、ボスも同席しての契約だった。

 「ここでの契約が切れるまで、1年間待つ。今度は、シンガポールで。

 私の病院に来てほしい」

 それは、書面での正式契約書だった。


 ボスの返事は、こうだった。

 「トモは、頑張り屋だ。虐められても自分で活路を見出してやっていく。

 こっちで頑張った分、1年後にはそちらでも頑張るだろう」


 その言葉に対し、相手の男性は満足な顔をしていて聞いていた。

 その様子にボスは続けて言ってくれる。

 「ただ、彼には一生治らない怪我がある。

 それだけは忘れて欲しくない。

 先日、ここの経営者であるミスターからも言われたと思うが…。

 頭を縫ってドクターストップがあるので、スポーツは出来ない」


 その男性は頷くと書類を差し出してきて、これを読んでサインを、と言ってきた。まずはボスが、次は私が読み納得してサインをした。


 そして、1年経ち30歳になった8月下旬。

 私は、シンガポールに飛んだ。

 今度は、ここで3年間、メスを持っての医師としてやっていく。

 いわゆる、オペドクターだ。


 仲の良かったアンソニーは、私より2年早く契約が切れドイツへ帰郷していた。

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