第79話 死ぬ前に会いに来てくれた

 プーが朽ち果てた海賊船を発見したあの日、額にハート型の模様のある猫の着ぐるみを着たもう一人のブザーから、お守りを受け取ったプーは、ドラクロワの食欲から何年も石のお守りを守り抜いて、木の枝から逆さに吊るされたマジョーにお守りを渡し、借金に苦しんでいた占王ザナトリアの息子ザナンタにお守りを奪われそうになったマジョーは、一度手に入れたものに意味はない、と壷転がし占い師ザナンタにお守りを譲った。そのザナンタは石のお守りと硝子の塔から盗んだ石を一組にして、オゾン大公妃に売り払った。いつか石の爆弾が起動し、ここではない異次元にある大公妃邸は爆発するだろう。


 硝子の塔のオブジェウスの九人姉妹の七番目のシェリー・ストーカーは、フィガロにその青い瞳を奪われて、瞳の首飾りの蒐集物の一つにされる前に、窓辺に飾られた石の置物をうっかり床に落としてしまったことがあった。

 爆弾職人のメサエス・オゾンが、爆弾に愛情を込めれば、爆弾は爆発することを思い留まってくれると信じて作った石の形をした爆弾は、最大の威力を誇る爆弾だと賞賛したオゾン大公妃の手に渡り、仮面を被ったミトレラによって硝子の塔に仕掛けられた。

 二十年後に硝子の塔を吹き飛ばす運命にあった爆弾は爆発することもなく、シェリーの不注意により、石のふりをしたまま二つに割れてしまった。シェリーは父に怒られるのを恐れて、二つのうちの一つを懐に隠し、でき心から旅の商人に売ってしまった。誰も石が割れて半分の大きさになっていることに気が付かなかった。半分に割れた状態が本来の完全な形なのかもしれないとシェリーは思うようになり、いつしかそんなことがあったことも忘れてしまった。

 エリーという占い師が娼婦エリー・ストーカーになり、店の常連のアヴァロン・ゼーヌハートと懇意になったとき、支配人のオブジェウス・ストーカーは、子どもを宿したエリーにお祝いに石を送った。エリーは石を首飾りにして、旅の商人は石をお守りにして、商品にした。このように、二つの石の運命は分かたれた。


 二つの石は重なり、ブザーの両手の中で石の輝きは強くなった。不意にブザーは涙を流した。恐ろしき地下牢で、石の片割れはブザーを待っていた。かつて見失ったものが今になってブザーの魂に語りかけてきた。人形店で偶然石を見つけたことには意味があったのだ、とブザーは感嘆した。

 よく俺を待っていてくれたね。ブザーは石に頬擦りした。

 ブザーは横笛を取り出し、占いの音色で、世界の表層を砂のように崩した。

 占いと現実の境界に女の顔の輪郭が浮かんだ。

 女の顔には見覚えがあった。酒場で出会うはずの運命の女の顔だった。火事の後の人込みの中にいた女だった。女の方もブザーの存在に気付き、横笛を吹き始めた。ブザーは過去を、エリーは未来を占った。ブザーは女の顔を見つめた。エリーと言うんだね。

 エリーは、占いの音色で穴を開けた酒場の天井から、天井裏の地下牢から顔を覗かせているブザーに微笑みを送った。ブザーは、占いの音色で地面を掘って、地底の酒場から、横笛を吹いて見上げているエリーを見つめた。

 地面で蠢いていたムカデたちが突然地面に開いた穴にまとめて落ちていった。占われたムカデの大群は、酒場の床や、杯や食器などの上や、机に突っ伏して眠っていた占い師ウラギョルの頭の上に落ちていった。酒場で酒を飲んでいた人々は、天井から降ってきたムカデの雨で恐慌状態に陥ったが、この騒ぎでドラクロワの酔いが覚めて、ドラクロワが原因で火事が起きるのを未然に防ぐことができた。不思議なことにこれだけの騒ぎが起きたのにも関わらず、誰も燭台を倒すこともなく、落ちてくるムカデたちも、燭台にぶつかることを避けた。そしていつか未来に、ムカデたちに世界を支配される運命をも免れた。酒場が燃やされない世界では、ブザーはエリーと出会えることができただろうか?

 ブザーが石の逢着の真実を横笛占いによって読んでいたかどうかは定かではないが、ブザーにとっては、何も知らないほうがかえって幸せだったのかもしれない。ただエリーと巡り会うことができれば。

 約束を守るかのように、何かが横穴から飛び出してきた。猫がブザーの正面に座った。ブザーは猫に石の光をかざした。光に照らされた猫は、白い体毛の額にハート型の模様がある猫だった。

「お前はプー」

 ブザーはプーという名前の猫の頭を撫でてやった。朽ち果てた海賊船に住み着いていた白い猫は、永い間、名前がなかった。額にハート型のある猫から着想を得たブザーは、踊る笛吹き猫男シャザー・トゥリーを生み出した。ブザーは白い猫にプーと名付けた。あの海辺の海賊船の小さな客、少年プーの名前をそのまま猫に名付けた。

 プーは喉を鳴らして、喜んでいた。

「俺が死ぬ前に会いに来てくれたのか。ありがとうよ、プー」

 プーは後ろ足だけで立ち上がり、二足歩行でステップを踏んだ。

「お前も二足歩行で踊れるのか?」

 ブザーは嬉しくなって顔を上気させて猫を抱き上げた。

 ブザーは失っていた何かを不意に思い出したかのように、石を地面に置いた。

 こちらの世界のブザーは、ハート型の模様がある猫と出会うことの本当の意味を知らなかった。もう一人のブザーを地下牢から解放するための、呪いであり救いの猫であることを。

 猫は石を口にくわえ、元来た横穴から出ていってしまった。

 様々な偶然が重なり、ついに手に入れることができた石が、猫のプーによって失われることをブザーは恐れるどころか、快く見送った。

 一度手に入れたものには意味はない。

 それにブザーは、猫を殺さずにすんだ。猫の額に埋め込まれた爆弾を爆発させずにすんだ。そういえば、あの世界でのプーの足枷にも爆弾が。

「さよなら、プー」

 右手がバイオリンの男、ミトレラの遠い過去、精神の奴隷少年であり、眠りの騎士団の最初の騎士であるミトレラが、自分の右腕を犠牲にして護り抜いた横穴は、永遠に外界と繋がっている。

 聖なる嘘によってできた横穴と言ってもよかった。ミトレラの聖なる舌によって嘘が吐かれなかったら、この横穴は二度と囚人を逃すことのないように、大公妃の命令ですべて埋められていたのだから。猫であれ、どんな生物も自由にくぐり抜けることができないように。

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