逃亡奴隷は後悔まみれ

 朝。タイマーをかけたストーブが稼働を始める。身を刺すような冷気がいくらかマシになった。


(チクショウ! 召喚事故もそうだけどよりにもよってこんな外道とっ! ごめんなさい助けてお師匠様!!)


 ストーブの前で身体を温める。びっしょり濡れたローブはもう乾いただろうか。ルルも魔女見習いになる前は人間として暮らしてきた。文明人の暮らしに全く無知というわけでもない。


(嫌、駄目よ! またあの奴隷みたいな修行生活に戻るというの? あたしは天才なのよ。努力とは無縁でなるべくして魔女のトップに君臨するんだから!!)


 身体が温まり、余裕が生まれる。冷蔵庫に残っていた長葱をかじりながら目に炎が宿る。そんな朝6時。


「……君、何やってんの?」

「はぅあ!?」


 ブランケットを脱ぎ捨て飛び上がる。唯人と名乗った少年。改めて見ると厳つい。長身で強面で威圧感が半端ではない。


「どういうこと、これ?」


 唯人は部屋の惨状を見渡した。昨夜とはうって変わって散らかった部屋。ぶかぶかのシャツを被る少女の仕業ということは想像に難くない。

 そろそろ出そうと考えていたが、どこか面倒で押し入れに仕舞い込んだままのはずのコタツ。その上にはお菓子の袋が散逸していた。濡れた服はその辺に適当に干されて、微妙に臭う。


「ねーアメちゃんないのー? これ辛いー」


 何故か長葱を噛み続けるルル。そういえば買い物前だから冷蔵庫の中にはろくなものが無かったか。


(それにしても長葱って……)


 唯人は怒りを忘れて頭を抱える。そしてよたよたと押し入れの方へ歩く。取り出したのはダイヤル式の金庫。


「あーそれ、全然開かないんだけど壊れてるんじゃない?」


 ダイヤル式の金庫は初めて見るらしい。どこまで知識があるのかよく分からない。そして、唯人が金庫から取り出したのは――――手錠。


「へ? なに、それでどうする気?」


 何か不穏な空気を感じたか、ルルが慌てだす。その手を唯人が掴み、手錠をはめる。もう片方はベッドの足に。


「あれ、動けない!? 何で拘束具なんて持ってんのよっ!!」

「男子高校生として、当然の紳士の嗜みさ」

「嘘付けそんな世界があって堪るかぁ!!」


「あ?」


「すいませんすいませんまじすいません」

「部屋荒らしやがって。魔女狩りに引き渡してやる」

「やめてやめてまじやめてっ!!」


 その後、本当に唯人は外出し始めた。戦慄の走るルルは何とか逃走を図るが。


「取れないナニコレ魔術!?」


 手錠を外せず四苦八苦。ご丁寧にストーブも電気もスイッチを消されてしまって寒い。


「窓まで開けやがってあの外道っ」


 冬の寒さが身にしみる。部屋を荒らされたのがよっぽど気に障ったのか、軽めの拷問まで発展していた。何しろルルはシャツ一枚の格好なのだ。


「とにかくあの暖かい机まで辿り着ければ……チクショウなんて冷たいんだ!」


 コンセントが抜かれていた。


「あのふかふかタオル! 最後の砦!」


 綺麗に畳んでベッドの枕元に置かれていた。手錠で繋がれたのがベッドの足側なので当然届かない。


「チクショウ!!」


 肩まで伸びる赤毛を左右に振る。魔女狩りの拷問は有名だ。現代までその残虐さが受け継がれているとは思えないが、ただでは済まないだろう。


「やばいやばい、あたしの魔女伝説が始まる前に終わる!」


 ローブ。そうだ、あの魔法の一品があった。アレの中には家出の際にパクっていったマジックアイテムが納められている。


「…………あれ?」


 ガウンガウン、と音がする。ローブは見当たらない。それどころか服一式さえも。


「すげぇ、まさか洗濯されてるの!? 何だあの機械この世界の文明すげぇ!!」


 ローブはもちろん手が届かない。


「じゃなくてっ!!」


 詰んだ。というかここから逃げ出したとしても冬の寒さを何日も凌げる自信がない。


「……土下座すれば許してくれるかな」


 魔女狩りなんて今どき流行らないだろう。教会内部でも窓際の役職だ。現代の魔女が大したことなくなったのに合わせて時代も変化していったのだ。


「でもなー、どの時代にも空気読めないストイックバカがいるからなー…………お師匠様のような」


 長葱をかじる。辛い。そして、どこかしょっぱい味がした。


「なによーなんなのよーもう……」


 悪魔を召喚するのだ。それに何のリスクもないはずがない。

 魔女の力量が足りなければ召喚した悪魔に殺されることもある。召喚した悪魔が協力してくれるとは限らない。


「お師匠様ぁ……」


 そうしたリスクを少しでも減らすために、魔女見習いは他の魔女に師事する。力量を高め、師匠に見極めてもらった自身のレベルに見合った悪魔と契約する。


「生きてるだけマシなのかな……」


 修行に嫌気が出し、逃げ出してしまった。身の程を考えない無茶な召喚をしてしまった。ソロモンの魔神など、二つ名持ちの魔女の手にも余る。


「寒いよぉ……」


 長葱をかじる。今のが最後の一欠片だ。とっても辛い。

 ルルは部屋を見渡す。窓は開けっ放しだが、壁と天井がある。食べ物もある。あの鬼畜な少年も、よく考えたら恩人なのかもしれなかった。







 昼前頃。今日はいい天気で日差しが気持ちいい。冷気もいくらか落ち着いたようだ。


「――――あー、忘れてた……」


 買い物袋をぶら下げる唯人が見たのは哀れな少女。涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにし、水溜まりの中で震えている姿。


「うわっ、ばっちぃ。漏らしたのか…………」

「遅い!! てか見るなっ」


 フシャー、とルルが吠える。顔を真っ赤にしながら必死に床を覆い隠そうとしていた。流石の唯人も哀れに感じてきた。


「止めろ、シャツが汚れる。外してやるから大人しくしてうわっかかったばっちぃ!!」

「わぁぁああん!!」


 暴れるルルを鎮圧し、手錠の鍵を外す。未だ荒い息と髪と同じく真っ赤にした顔で唯人を威嚇する。


「ほら、風呂入ってきな」

「言われなくても行……行かさせてもらいます」

「よろしい」


 走り去っていく少女を眺めながら唯人は買ったものを冷蔵庫に詰めていく。一人暮らしを続けているとどうしても買い溜めが癖になる。


「これは、俺が片付けるのか」


 荒らされ、汚された部屋。ルルに片付けさせても悪化しそうだ。


「騒がしいな」


 風呂場から姦しい声が聞こえてくる。彼女は一体何と口喧嘩しているのだろう。すごい剣幕だ。


「洗濯機回したばかりなんだけどなぁ……」


 男の一人暮らしだと洗濯もどうしてもまとめがち。独り言も多くなる。


「うるさいな、ホント」


 何度も口に出して言う。その表情は少し柔らかかった。


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