第99話 孤独から救われた日

 私は、孤独だった。

 自分で自分のことを孤独だと形容するなんて、おかしいと思う。ちょっと格好をつけた年頃の男の子が好きそうな表現。

 敵ばっかりの四面楚歌とも違う。むしろそうであってくれた方がわたしにはよかった。誰もが敵で、誰にも油断できなくて、その上で必死に前を向かなきゃいけない。そんな切迫した状況なら、諦めもついた。人生を見限ることだってできた。

 でも、私は孤独だった。

 敵ばっかりなんじゃなくて、味方がいなかった。

 だから見限ることなんてできなかった。

 もう少し頑張れば、もう少しだけ努力すれば、きっと王子様が助けに来てくれる。そんな希望とすら呼べない妄想を抱えて必死に前を向いた。

 諦めきれなかったのだ。敵はほとんどいなかったから。

 敵らしい敵といえば、私のお母さんくらい。いっつも勉強しろって口うるさい私のお母さん。若々しくて未だ衰えを知らない美貌は、なんだかいつも怖い。

 人形に怒られてるみたい、そう思った。でもお母さんはいつも正しいことしか言わなかったから、それでいいんだと思って勉強している。

 きっと明日も、明後日も、一年後も十年後も、ひょっとしたら百年後だって机に向かって何かを学んでいると思う。

 …私は、嫉妬深い人だと思う。

 思う…っていうのは、他の人の嫉妬深い部分をあんまり見たことがないから。だから自分の中だけで、そう判断してる。

 で、その判断によると、私は嫉妬深い。

 我ながらおかしいと思う。ほとんど会話もしたことがない男の子のことが好きだなんて、絶対おかしい。

 劇的な出会いをしたわけでも、長い時間を共有したわけでもない。

 むしろ私たちの間に流れる時間は淡白で、短い。

 塾に行って顔を合わせて、挨拶だって会釈だけ。それだけしか、私にはできない。

 先生にこう言われたことがある。

「もっといい塾があるよ」って。しかもその先生は塾長だ。明らかにおかしい。

 だって自分たちの顧客を他の塾に流そうとするなんて、そんなの一銭の得にもならないどころか損失だ。おじいちゃんみたいなその先生は優しい顔で言った。

「君ならもっといいところへ羽ばたける。私の知り合いに凄くいい先生がいるんだ。その人に教わってみないか?」そう言われた。

 でも私は首を振って、「結構です」って言った。だってそんなの、私にとってはなんの意味もなかったから。

 この塾にいる理由は、一週間に何度か好きな人に会えるから。

 海外の有名な大学に行きたいだとか、自分の夢を叶えたいとか、そんな崇高な理由じゃない。だからそのための後押しは全部断った。

 このことをお母さんが知ったらどう思うだろうか。

 勉強に必死に打ち込んでいると思っていた娘が、自習室で一日中男の子のことを考えているだなんて知ったら怒るだろうか。

 前回の模試はダメダメだった。世間一般から見ればそう悪くはない点数だろうけど、以前と比較して明確に偏差値は落ちている。

 何週間も勉強に集中できていなかったんだから当然だ。

 必死に机に向かってペンを握るけど、彼の名前が頭の中に響いて集中できない。

 息が上がって、心臓が高鳴って。友達ですらない彼のことを考えるだけで気がおかしくなりそうだ。

 彼は、私の味方になってくれるだろうか。

 柄にもなく、そんなことを考えていた。孤独な私を包み込んでくれる未来を、普通の女の子みたいに妄想してみたりもした。

 お母さんみたいにガミガミ怒るんじゃなくて、優しいその掌で「頑張ったね」「休んでもいいんだよ」と撫でてくれるだろうか。

 でも、あり得るはずがない。

 こんな冷たくて愛想のない女の子なんか、彼のお眼鏡に叶うはずがない。

 必死にお肌の手入れをしてみたり、髪も柄にもなく可愛らしい二つ結びにしてみたり…そんな背伸びをしたって、冷たく突き放すような言い方しかできない不器用な私を彼が認めてくれるとは思わなかった。

 普段からあんなに可愛い異国のお姫様みたいな人と暮らしていて。

 塾では甘え上手な女の子に手を焼いていて。

 私の知らないだけで、もっとたくさんの人たちが彼の周りにいるだろう。

 その隙間に私なんかが入り込む隙はない。入り込むどころか見向きもされないだろう。


 …そう、思っていたのに。


 携帯に映し出された映像と少し音ズレしている音声は、私がもっとも欲しくてたまらなかった彼の言葉を間違いなく運んできていた。

 動揺した。布団に入ってこっそり携帯を見るなんて気まぐれ、起こして正解だった。

 だって彼が私のことを偉いって褒めてくれた。

 だって彼が私を頑張ってるなって励ましてくれた。

 だって彼が…私のことを認めてくれた。ずっとずっと見てくれていた。

 私が勉強で成績を伸ばしていたことを知っているということは、多分そういうこと。自惚れなんかじゃない。本当の言葉。

 嬉しかった。どうしようもなく嬉しかった。好きで好きでたまらないという気持ちを、私が抱えたっていいんだって。

 お姫様の存在は強大で、甘え上手な女の子の存在は厄介だけど。


 私が彼のことを好きでいることに躊躇いが無くなったのなら、そんな問題は些細なことでしかない。

 あとは勇気を出すだけ、迷わず一歩踏み出すだけ。

 そう思えば今までずるずる引き摺ってきた想いも、無駄にはならない。

 

 私の大好きな王子様理人くんは、私をちゃんと見てくれていたんだから。

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