第91話 流れ弾

「で、どういう関係なんですか?私の目の届かないところで随分仲良さげですね」

「あたしとあーさんが何しようがいいっすよねー。関係ない人は黙ってもらってていいっすかー?」

 冷静。というか冷徹。そんなエレナの声と、間延びしているにもかかわらず明確な敵意を示す玲の声。そこはもう二人の戦場だった。他の要素は動くことを許されず、ただひたすらにそこに縛り付けられている。

 まぁ俗に言う修羅場というやつだ。元ネタとなった帝釈天と阿修羅の闘争はおそらく過激なものだっただろうが、ここは対照的に静謐な怒りが満ちている。

 阿賀野は俺を指で突いて「何したんだよ」という顔をしている。断っておくと、俺は何もしていない。だがその何もしないという行動こそが間違いだったのだろう。

 互いが互いの存在を知らないのだ。エレナからしてみれば、弁当を届けた幼馴染みが知らない女と戯れているようにしか思えない。

 一方玲からしてみればいきなり入ってきた女が親しげに『アヤくん』なんて呼んでいるものだから信者として癪にさわったらしい。

 だがそんなことを今更悔やんだって遅い。だってこの二人だ。何か言おうとしたところで「黙ってて」と一蹴されるのがオチだろう。もういつ終わるかもわからないこの恐怖を耐え忍ぶしか、俺に残された道はない。

「大体あーさんのことなんでそんなに親しげに呼んでんすかねー?明らかに血縁関係じゃなさげですしー、馴れ馴れしいんじゃないっすかねー」

 うわ。

 本気でイラッとしてるエレナに正面から喧嘩売れるやつ初めて見た。正直なところ俺ですら歯が立たない。そもそもその状態になるということは大抵俺が悪いので謝り続けるのだが。姉さんや母さん、暁那ですら手に余るやべえ奴だ。大人しくプリンでも献上して機嫌が治るのを待つのが賢い。

 間違っても火に油…もとい氷に液体窒素を注ぐような真似、すべきではないのだ。

「アヤくんに馴れ馴れしいのはそっちじゃないですか?いつから知り合いかは存じませんが、私たちは産まれた瞬間から一緒に育ってきました。私からすれば『あーさん』なんて呼び方してる貴方の方が馴れ馴れしいと思いますけど?」

 エレナもキレッキレだ。顳顬こめかみに青筋が浮かんでる人初めて見た。もう怒りは殺意に昇華している頃だろう。だが玲も負けてない。玲の胆力と頭の回転は俺の知る誰をも凌ぐのだ。

 クイズを解かせたら全問無回答。

 されど謎解きを解かせたら瞬殺。

 どんな状況でも物怖じせず思考を閃かせるこいつにとって、エレナも恐るるに足らぬものらしい。

 勇気とも蛮勇とも形容し難い行為を玲はやめるつもりはないらしい。言葉の刃を選びながら、それをエレナに遠慮なく突き刺していく。

「わりーっすけど付き合いの長さと想いの丈を同列に語るのアホらしいんでやめてもらっていいっすかねー?」

「…なっ」

「あたしはあーさんにだったら何されてもいいっすよ。身体中に落書きされて肉便器扱いされても悦んで身を捧げるっすー。金を貢げと言われれば何千万と借金しても貢ぐし、身の回りの世話何から何までしろって言われても尽くす覚悟があるっすよ。臓器の一つや二つは売るし死ねと言われたらすぐに首吊るっすー。あんたにそれ、できますかねー?」

「いや、だから」

「あーさんは黙っててほしいっすー」

 また怒られた。そして俺のクズ伝説がまた一つ増えた。

 まだ何もしてないのに。

 これからも何もしないのに。

 エレナはそれを聞いて動揺している。一体何があればここまで全てを捧げる覚悟が決まるのかわからないとでも言いたげな表情だ。分かる。俺も分からない。

 そしてエレナは即答できない。当然だ。一人の人間としての尊厳を丸投げしてまで俺に奉仕できるか。エレナは否だろう。玲が特殊なのだ。

 だが理屈でそうは分かっていても、否定するのも躊躇われる。それはまさに負けを認めるような、そんな意味さえ孕んでいるように思われるから。

 相対する玲はエレナの心情を全て見抜いている。その上でしたたかに微笑んだ。

「できないっすよねー。だからあんたはそこまでなんすよー。分かったらあーさんにちょっかいかけるのやめてもらっていいっすかー?」

「…はぁ」

「おー、なんすかー?返す言葉も——」

 ない感じっすかー?とでも言おうとしたのだろう。だがその先は続けられない。

 口を開けたまま硬直する玲の視線の先。

 そこには凄絶な笑みを形作るエレナがいた。

 なんだよその顔。ちょっとイケメンじゃん。

「——貴方のそれ、ただの奉仕精神ですよね?」

「…は?」

 エレナは冷徹に、どこまでも冷めきった表情で玲の言動を一刀両断した。

その目に一切の遠慮はなく、僅かな慈悲もない。己に敵対するものを確実に仕留めようという意思だけが溢れている。

「私はアヤくんの隣に立つ者に、そんなものは必要ないと思ってます。大体アヤくんはそんなクズ人間じゃないです。あなたは何を見てきたんですか?」

「そ、そりゃものの例えっすよー?」

「普通そんな例えしませんよね?」

 此度動揺するのは玲の方だった。一言で形勢逆転。まぁ実際に俺はクズじゃないからね。玲のそういう言葉は割と日常茶飯事なので誰も気に留めていないというか、特に異議を唱えることはしなかったけど。普通、エレナみたいな反応が正常だ。

 玲が俺のことを全然見ていないということはもちろん無いだろうが、客観的に見てエレナの言葉には重みがある。言葉遣いを無理やり利用された形になった。そのせいで玲は反論するに反論できない。

「そもそもアヤくんは肉便器とかそういう倒錯的なのよりも、もっと愛のある行為の方が好きですよ。アヤくんの性癖のひとつも知らないんですか?」

「いや知らなくていいよ!?」

「アヤくんは黙ってていただけますか?」

「いや黙れないよ!?この瞬間だけは俺は黙るべきじゃないよね男として!というかもはや人間として!」

「あーさん、黙っててくださいっすー。興味あるっすー」

「待って待って趣旨ずれてきてないですか!?」

 此度動揺するのは俺の方…ってなんで俺に飛び火してるんだよおかしいだろ。いや確かに浮気現場みたいになってるからそういう方面だと何か言われても仕方ないっていうか頷けるよ。うん。

 でも違くない?

 性癖暴露されるの、違くない?

 だがエレナは止まらない。自分が俺のことを知っているのが嬉しいんだろう。いやその気持ち自体は嬉しいよ?すごく、すごく嬉しいんだよ?でも違うよね?

 で、玲も何故か興奮気味で先を聴きたがっている。いかん。利害が一致している。利害が一致した敵同士とか、逆に固い結束で結ばれる可能性あるよな。

「アヤくんはですねー、正常位が好きなんですよ」

「そうなんすかー!いつ聞いても教えてくれなかったんで助かるっすー!」

「何に!?何に役立つの今の情報!?」

「まじめに予想すると対面座位も好きそうっすー」

「正解です!よく分かりましたね」

「何が正解です!だやめろこの話!!!御丁寧に答え合わせまでしやがって人のプライベートな問題をどうお考えなんですか!?」

「つーか正解って知ってるってことはしたことあるんすかー?」

「無視すんなゴラァ!!!」

 胸ぐらを掴む俺。ブカブカのパーカーを掴まれた玲はなぜか本気でやめて欲しそうな目をこちらに向けた。何被害者ぶってんだよこっちだ被害者は。

「痛いっす。今いーとこなんで黙っててくださいっすー」

「いや無茶言うなよ!エレナもどうにかならねえのかよその話はよ!?」

「昨日は激しくて…まだ腰が痛いです」

「だからそういうの!そういうのほんと黙っててくれないかな!?」

「あ、そうだアヤくん」

「なんだよこんな時に」

「ゴムがあと一つしかないので買っておいてください」

「いや本当になんだよこんな時に!?」

「え、生でしたいんですか…ちょっと今はピルが…」

「マジで冗談でも口にすんなよこんなところでそういう話題!」

「口にする…あ、お口でして欲しいんですか?」

「誰もそんなこと言ってねえだろ!?」

「あーさんお口でして欲しいんすかー?してあげるっすよー」

「勘弁して!マジで勘弁して!本当に!俺もう人前でこれ以上恥晒したくない!」

「大丈夫っすあーさん」

「何がだよ!?」

何故か玲はサムズアップ。

「あたしの方が多分、恥晒してるっすー」

「いや知らねえよ!?お前が恥を晒すか否かは俺の恥に微塵も関係ねえよ!?」

「うっわ…マジかよミヤノスケ。許せねえ」

「…っておいなんだ阿賀野その目は…うわ中指を立てるなこの野郎」

「リア充はさっさと死ね」

「辛辣!なんか急に仲良しだったのに冷たいんだけど!」

「冗談だよ」

「「あっはっは」」


 いや、ふざけてる場合か。


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