第79話 佐原姉妹のリスタート

「澪、ご飯食べたらアタシの部屋に来て」

「ひゃっ、ひゃい!」

「…ふふ、変な澪」

「――!」

 それは自分にお姉ちゃんが久々に見せた自然な笑顔でした。夜七時半のリビングでのこと。突如としてお姉ちゃんが自分に笑いかけながら話しかけてきたので思わずお箸を落としてしまうところでした。もっとも、ご飯を先に食べ終わったお姉ちゃんは自分の分の食器を片付けて自分の部屋がある三階へと戻ってしまったので、これが自分の妄想か現実かは分かりませんが。

 しかしお姉ちゃんに笑顔でお誘いを受けたとはいえこれがいい話と決まったわけではありません。もしかしたら自分が何か重大な話をされることになるのかもしれないと考えると、おちおち喜んでいる場合でもありませんから。

 それでもどうしたって気分はあがるもので。美味しいご飯を味わう時間すら惜しくて半ばかきこむように食べました。

「ごちそうさま!今日も美味しかったです!」

 いつも通りお母さんに感謝を伝えて階段を昇ります。一段一段が飛ぶように軽く感じられました。もしかしたら自分が描いていた理想が現実のものとなるかもしれないのですから。

 肩で荒い息をしながら階段を昇り終えると、そのままお姉ちゃんの部屋をノックしました。控えめに三回。

「…澪、入って」

「な、何、お姉ちゃん…自分に何か用ですか?忙しいのですけど」

 嬉しいはずなのに。ドアノブを回し開けながら口にした言葉はそんな不愛想で冷たい言葉でした。一緒にお話しできることがたまらなく楽しいのに、お姉ちゃんのことが好きで好きでたまらなくて、少しでも気を惹きたくて冷たく対応してしまう。

 いつも悲しそうな表情をして『ごめんね』というお姉ちゃんの顔を見ていると胸の奥がきゅーっと締め付けられるような感情を覚えているのに、どうしてこんなことを言ってしまうのか。自分をぶん殴りたい気分でした。

「あのね、澪。アタシはちょっと澪に言いたいことというか、訊きたいことがあるんだけど」

「…それって」

「そう、宮野クンのこと。分かるよね」

「……」

「別に責めてるわけじゃないから気にしないで。この間、宮野クンと何してたの?」

「そんなのお姉ちゃんには関係…っ」

 そこまでいって自分のなけなしの理性がようやく目覚めました。何を言っているのだ、関係ないわけがない、そんな声が自分を諭すのが大音量で聞こえてきます。自分は知っています、それも一方的に。お姉ちゃんがお兄さんの事を好きだということを。

 だから関係ないどころかお姉ちゃんはその渦中にいます。それを知ったうえでお姉ちゃんに黙ってお兄さんと出掛けたのは私だから。そのことをしっかりと説明する義務は当然あるわけで。逃げてばっかりの自分から変わらなくちゃいけない。お兄さんと話して見つけた課題点は結局のところ最初から分かっていたそんなことで。

「…ううん。ごめん、これじゃ逃げてばっかりだ。お姉ちゃん、ちょっと待っててくれる?」

 そういってお姉ちゃんの部屋を出て自分の部屋に飛び込みます。電気を付けることすらせず、机の上に丁寧に置いておいた髪飾りを抱えて、再びお姉ちゃんの前に。

「澪…?それは、何?」

「えっと…お姉ちゃん。自分がお兄さん…理人さんとお出かけしてたのはですね。相談とお願いをするためだったんです」

「相談…それってアタシのこと…」

 その言葉に自分はこくりと頷きます。

 逃げてばかりの自分から決別するように覚悟を決めて、

「…初めに言っておきます。じ、自分は…っ、お姉ちゃんのことが大好きですっ!今までひどいこと言ってごめんなさい!だからその…罪滅ぼしっていうにも違うんですけど…その、お姉ちゃんと仲良くなれるきっかけを見つけるお手伝いをお兄さんにお願いしてたんです。今まで何度もいろんな方法考えて、それでも上手くいかなくて。だからといってそのままじゃいられなくて、お兄さんに背中を押してもらって。だからお姉ちゃん…自分と、これからもまた仲良くしてくれませんか?」

 綺麗にラッピングされたプレゼントを差し出しながら頭を下げる。さながらバレンタインの本命チョコを差し出す乙女みたいです。

 頭を下げたまま、数秒時間が過ぎて。

 その直後に自分を襲ったのは柔らかくて大好きな姉の感触でした。さらさらのショートヘアーがくすぐったくて、気を抜けば泣いてしまいそうです。

「ううん、アタシこそごめんね…っ、澪と仲良くしたかったのはアタシも一緒で、言い出す勇気が無かったのも一緒…。だから謝るのはアタシだって同じだよ。ただ宮野クンと仲良くしてるって理由だけで勝手に嫉妬して迷惑かけて、せっかく歩み寄ろうとしてくれた澪のこと突き放しちゃって…ほんとひどいお姉ちゃんでごめんね。お姉ちゃんも澪のこと大好き。世界で一番大切…!」

「お姉ちゃん…澪のことそんなに大事に思ってくれてたの?」

「…当たり前!ずっと一緒に過ごしてきて、頑張る姿を毎日見てた大切な妹を大事に思わないわけない」

「な…なんか今まで考え込んでた自分がバカみたい。もっと早くこうしてお姉ちゃんに好きって言えればよかった。っていうかお姉ちゃん、世界で一番大切なのが自分だったらお兄さんはどうなっちゃうんですか!」

「…?宮野クンは宇宙一大切」

「ま、負けました!この完璧に勝利の気配が濃厚な状態でまさかの負けを喫しました!お姉ちゃんの初恋に儚く散るのであった…。でも、そんな大切な人が妹と仲良くして嫉妬するなんて、可愛いところもあるじゃないですか!」

「ふふ…でもね、嫉妬したのは澪だけにじゃない。宮野クンにも嫉妬した」

「…?」

「そりゃする。だっていっつも澪に話しかけたくても話せないのに、二人とも楽しそうだった。正直、まだずるいと思ってる。だからミオニウムを補給する」

 言うが早いかお姉ちゃんは私の胸に顔を埋めて深呼吸を始めてしまいました。ちょっと恥ずかしいです。

 でもそうするとお姉ちゃんのいい匂いがする髪も目の前に来るので、私もお返しに深呼吸しかえしてやります。

「ぎゃ、ぎゃー!なんですかその聞いたことも無い栄養素…よーし、自分だってメグミニウムを生成しませんと…」

「何言ってるの?澪」

「何でいきなり常識人ポジションに立ってるんですか!?」

「だっていきなり澪が意味不明なこと言うから…ちょっとお姉ちゃん、びっくりしちゃって」

「ミオニウムはおかしくないんですか!?」

「だってあるから。あるものはある、ないものはない」

「メンデレーエフが助走付けて殴りに来ますよいい加減にしてください!」

「あはははは、澪っ、おもしろいね…ふふふふ」

「もぅ…なんですか自分ばっか変みたいに。でもお姉ちゃんが楽しそうに笑ってるの見て安心しちゃった」

「それはアタシも。最近辛そうだったから心配してた。でももう遠慮なく攻撃できる」

「な、なにおう!?かかってきなさい!」

 そんな風に笑いながら自分たちは数年ぶりに子どもみたいにじゃれ合いました。頬っぺたをつねり合ったり、互いに脇をくすぐったり。

 相手の事を思いやりながらじゃれ合うのが楽しくて楽しくて。その夜は久しぶりにお姉ちゃんと一緒にお風呂に入りました。

 お風呂場では自分の胸と妹の胸を比較してしょんぼりと落ち込んでしまうというアクシデントに出くわしましたが、『お兄さんが胸は小さい方が好き』と話していたとデマを流しておいたので事なきを得ました。犠牲として払ったものが大きすぎるような気もしますが、姉妹愛の為の尊いお兄さんという犠牲があったことは心に刻み付けておきます。

 夜も久々にお姉ちゃんの部屋で一緒に眠りました。いっぱい話したいことは在りましたが、いざ布団に二人で入るとなんだか安心して急に眠くなってしまって。

 お姉ちゃんの心臓の柔らかい鼓動を子守唄に、自分たちは抱き合って眠りました。

 あ、そうそう。

 眠るお姉ちゃんの前髪には、可愛らしい貝殻の髪飾りがあったとかなかったとか。



 まぁこれがいわゆる仲直りリスタートに至るまでの経緯であり…

   現在進行形で、お兄さんに頭をぐりぐりやられている理由でもあるのです。


「おい、聞いてるのか澪、お前ら姉妹は俺の性癖を捏造する趣味でもあんのか!?」


 あはは。

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