第53話 苦手意識の捨て方

「…え?なに?ワタシに勉強を教わりたかっただけ?」

「そう。お前、将来どうするのかわかんないけどさ。もし迷惑じゃなかったら勉強を教えてもらおうと思ってさ。数学とかは得意なんだけど国語とか英語がからっきしで」

「ちょっと待って、じゃあワタシが脱ぐ必要は」

「一ミリも無かった」

「…お嫁にして」

 …最後のほうがよく聞こえなかったが、俺の言うことをやっと理解してくれて服も着てくれたので。ようやく本題に乗れるが。今までの時間が無駄じゃないとは思うが勉強を教えてもらうという当初の目的とはうまくかみ合っていなかったので正直少し安心している。そして俺がこいつを教師に選んだのは一つ理由がある。

「お前英語得意でしょ?授業とかで聴いてても発音ぶっちぎりで上手いし。先生褒めてたぞ。あいつやべえんじゃねえかって」

 正直な話俺は驚いている。下手なリスニングCDよりも正確で流暢な発音だった。検定とかを持ってる日本人なんかよりもよっぽど自然で気取っていない、英語らしい英語とでもいおうか。自然な息遣いで言葉を発しているような印象を受けた。

「…まぁワタシの母国語は英語だからな。…ただ幼少期からワタシはスラム街で育ったんだ。だからその、教養としての英語を学んだのは、えっと、君の…」

「理人でいい。なんならエレナや姉さんみたいに好きに呼んでいい」

「…そうか。じゃあ理人、ワタシが理人の母、要するに君の母親でありワタシの主人に仕えてからのことだからあまり過度な期待はしないでほしい。日本の英語とは異なる表現だって少なくないし、もしかしたら独特の訛りがあるかもしれない。その地域独特の言い回しだってあるかもだ。だが、それでもかまわないなら手を貸そう」

 なんだかどこか不服そうではあるが勉強は教えてくれるらしい。正直に言って百人力だ。何の比喩でもなく。コイツは日本語も堪能。下手したら俺なんかよりもよっぽど知的な文章が書けるかもだ。今度お礼に美味しい食べ物でもご馳走しよう。お金あったかな。

「頼むわ。本当に助かるんだ。俺は国語とか英語みたいな言語系が苦手で…」

「苦手…ねぇ。どれくらい苦手?流石にテストで一桁取るような次元じゃないだろう。なんでもいいからテストの回答を寄越せ。模試でも定期テストでも何でもいい。問題と答えがセットになってるとなお良し」

「あぁそれならそのファイルに全部まとめてある…けど人に見せられるレベルじゃないぞ」

 構わん、寄越せと言いながら俺の手から渡されたファイルを開いて「Ummm....」なんて考えこんでいる。そんな風に頭を抱えたくなるほど絶望的な点数だっただろうか。平均を下回っているテストも少なくないし、そりゃ唸るのも当然かもしれないが。

「別に悪くはない。悪くないがよくもない」

 やっぱりか。正直褒めてもらえる点が見つかってモチベーションが上がるかも、と期待していたところがない訳ではなかっただけにすこし残念な気持ちだ。いや、勝手に期待して落ち込むのもどうかって話だが。だがその意見は的を得ている。良くも悪くも俺のテストは平均的だ。平均的にできているともいえるし、平均的にできていないともいえる。そんなテストだ。数学や理科がむりやり底上げしてくれているからどうにかなっているものなのだが将来を見据えるとやはりこのままではいられないらしい。

「まぁ待て。結局は初歩的な問題だ。本をあまり読まないだろ、お前」

「…活字は苦手でさぁ。やっぱりそんな風な体たらくで言葉が上手くなろうだなんて都合がよすぎ――「ワタシも同じだ」

「…え?そりゃ流石にうそでしょ」

「嘘ではない。確かにワタシは多くの書に触れ、その内容を紐解き、噛み砕いて自らの糧としてきた。だけど活字が苦手なワタシにはそれが苦行でしかなかった」

 端的にいって意外。というかそれ以外に形容する言葉が無い。知的で豊かな語彙を持ち合わせている彼女が本を読むのが苦手だということが信じられない。

「だが、本というのは理人、お前が考えているよりもずっと面白い。日本の学校では文章を読むとき、どのように習うんだ?ワタシは学校での授業は今日が生まれて初めてだったからワタシにはまだ感覚がつかめていないんだ」

「どうやってって…そりゃ単語の意味とか漢字とか、問題だったら『これは何を意味していますか~』とか『作者はどんなことを考えて書いたでしょうか~』とか…正直な話よく分かんねぇよ」

 深刻に考えて現在の自分が何も分かっていないということに落胆してしまう。もっとしっかり文章に触れて生きるべきだっただろうか。文章というのは知性の泉とも表現されるし。

「あー…そりゃつまんねぇっしょ。ワタシでもうんざりだっつのそれ」

 だが俺のそんな意識とは裏腹に、目の前の少女は確かに、と言ってのけた。

「確かに単語の意味、表現の方法ってのは大切だ。漢字も読めなきゃな。いちいち調べてたんじゃなかなか進まないし。でも、本当は文学作品における順序ってのはそれらは一番じゃない。一番必要なのは『文章を読んでどう思い、どう感じ、どう伝えるか』ただそれだけ」

「何を言っているのかよく分からないんだが…現代文とか古文とか、そういうのって内容って全部決まってるものじゃないのか?どうしてこう書いたのか、っていうのは全て正解があって…」

 そして俺はそれが分からないから苦労している。意味も分からないのに無理やり押し付けられ、そうなんだろうなぁ、と暗記しながらテストに臨むのだ。くそつまらん。英語は文法だとか単語だとかを覚えておけば大丈夫だが、国語の場合はそうもいかない。だからこそ俺はコイツに教えてもらおうとしているわけだが。

「んー、ワタシ個人の意見としては納得がいかねぇんだよ、ソレ。作者はこう考えています、ってやつ。考えたことないか?なんでそう断言できるのかって。作者がここはこういう気持ちで書きました!ここはこういうメッセージを込めています!とかいちいち解説してんのか?してねぇんだよ。後からそれを読んだ奴が多分こういう意味じゃねえかって思ったやつを教育に組み込んでる。でもそれは明らかに間違ってる。文芸の面白さはその解釈の多様性だ」

「多様性…?すまない、俺はバカだからよく分からん。解釈の多様性とはなんぞ」

 自分の理解能力の無さに絶望する俺に対して、その小さな手でペンを華麗な手さばきでくるくると回しながら、子供のような悪戯っぽい笑い方を浮かべる暁那。その仕草は何処をとっても絵になるような姿で、初めて見たときに抱いた貴族や潔癖症の使用人といった印象とは大きく異なる。だが前よりもずっと魅力的。

「例えばさ、お前、感想文って書くよな。演劇とか映画とか、音楽とか授業で見せられたことない?」

「ある」

「じゃあそれってさ。全員がおんなじこと書いてるか?」

「…?同じものを見てるんだから似たり寄ったりなんじゃ」

「違う。ワタシが聞いているのはそうじゃない。そりゃそうだろ。パンダ見てカラフルでした!なんて感想書く奴はいないし、そもそもパンダはカラフルじゃねえ。そうじゃなくて、全く同じこと書いてるかって聞いてんの。誰かの答えを写すみたいにさ」

 …そういわれるとそうじゃない気がしてくる。確かに与えられたものに対してみんな同じようなことを延べてはいるけど、その本質はどこかそれぞれ違ったものを表現している。

「そう、ちょっとわかったって顔してるじゃねえか。そういうコト。同じパンダを見ても、『耳がふさふさ』だとか『動きが思ってたより素早い』だとか『かわいい』だとか、同じ事柄に関して述べてもいろんな方向に派生してるだろ?質感や動き、見たままの直感的なもの、いろいろある。そして理人、それらに正解や間違いはあるか?」

「…無い」

全くその通りexactly。文芸の世界についても同じことが言える。ワタシは言葉の意味や漢字なんていうのは文章を読んで覚えていくものだと思っててな。誰にも習ってないのに知ってることとか言葉とかあんだろ。そんな風に覚えていくものだと思ってる。そう考えると本を読むことは一気に楽しくなる。別に誰かの示した答えと同じになる必要はないんだ。読書――つまりは『書』を『読』むっていうのは別にただ文章の波に溺れることじゃない。少しづつ慣れていっていつか深い言葉の海に潜れるように練習することをそう言うんだ。だから夏目漱石とか芥川龍之介みたいに文豪の作品を読む必要はない。もちろん素晴らしい文章を書くし、彼らの思考の片鱗でも感じられたらそれはそれで大きな収穫になるだろうけど、必修ってわけじゃない。絵本でも児童文学でも、ライトノベルでも漫画でも、純文学でも論文でも作文でも感想文でもそれは同じ。言葉の深さは違うけれど、それぞれが違った世界を抱えている。読む前から面白くないって捨てるのは、目の前にある財宝を足蹴にするようなもんだ。結局長ったらしく語ったワタシが言いたいのは、本は読んだ方がいい。実際に中学生が受ける国語の問題を見たのは初めてだが、恐らく本を読み始めるとこういう文章を抜きだせとか要約しろとかいう問題を見て、ぱっとここだな、って分かるようになるし、漢字の問題がサービス問題だなってなる。けどあくまで義務として読むんじゃなく、自分が適した世界から飛び込んでいけばいい」

「…つまり頭がいいってのは知識があるだけじゃなく…」

「そう、いろんなものを楽しむコツを知ってるってこと。義務としてなんでもとらえてちゃ見つかるものも見つかんねぇぞ」

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