第54話 広がり始める世界

 俺はあの後食事や風呂などを済ませて自分の部屋――まぁエレナと同室なんだが――に居た。相変わらずファンシーでフェミニンな部屋だが不思議と居心地は悪くない。エレナの匂いがするのでどことなく安心してすらいる。変態だと言われるかもしれないから一応弁明しておくと、実際に匂いには心を安らげる効果がある。アロマを焚いたり香水を付けたりするのもこうした効果を得るためなんだとか。アロマセラピーなんてものもあるくらいだから普通だ。好きな匂いは人それぞれ。俺は特に幼いころから一緒に暮らしてきたエレナの匂いが一番落ち着くってだけだから俺は変態じゃない。これは古事記にも書いてある。流石にずっと匂いばっかり嗅いでいるのも変態チックなので本を読むことにした。考え方を暁那に教えてもらった後本を読んでみると不思議と認識が変わったような感覚が…といっても読んだのは別段特別なものってわけじゃない。

 子どもの頃父に押し付けられた小学校高学年向けの児童小説だ。いや今も子供なんだが。

 数年たった今読んでみると、面白くてさっきまで読んでたんだが、意外にもすらすら読めて気が付けばあっという間に読み終わってしまっていた。昔の俺なら数ページで飽きてしまっていたのだが、当時有名な小説だったこともあり、なかなか引き込まれる文章だった。親に読めと言われて読むのと何が違うのかと思って読んでみればなるほど、純粋に作品として楽しめばいいわけだ。勉強のためにだとかそういった強制力はそもそも必要なかったんだ。まだ受験までには時間があるし、そもそも人生っていうのはこれから後何十年も続く。知っている世界がいくつもあれば、知らないより何倍も美しい世界を見つけることができるはずだ。

 …想像していたよりずっと素晴らしい教師に出会ってしまったのかもしれない。

「アヤくんアヤくん、もう寝ますか?」

 そんな風にひとりぼうっと考えていた俺のもとに、とてとてと開けっ放しにしていたドアの向こうから白髪の天使がやってきた。俺の古着に身を包んでいて相も変わらずご満悦だがまぁそれはいいとして。可愛い。

 なんだかんだ言って俺はエレナにベタ惚れらしい。他の女性に魅力が無いとは思わないし、むしろ気を抜けば血迷いそうだと普通なら思ってしまいそうな素敵なひとたちばかりだ。恵も灯も、姉さんだって素敵な女性だ。すこしおっかないが黒崎先生みたいな女性だって素敵だと思う。正直クラスにも先生の事をそういう目で見てる奴は少なくない。何人か玉砕してたやつが出て来てからは流石に特攻する奴はいなくなった…が、それでも男子の中ではかなり人気が高い。怒られ隊がいるくらいには。

「あれ、もしかして私顔に何かついちゃってますか?恥ずかしい…」

「あぁいや別にそういうんじゃないんだ、ただ見惚れてただけで」

 直後、互いに顔が真っ赤に染まる。エレナなんかもともとの肌が透き通るように白いものだから更にその朱が際立つ。

 恥ずかしそうに目を逸らし、手を両頬に当てて俯く姿を見ているだけでやはり俺にって世界で一番魅力的なのはこの少女に他ならないと確信できる。きっとこれは絶対に揺るがないという妙に確信めいたものが俺の胸中にはある。例えどんな強力な力が働こうともどこかぶれないしぶれることができない軸のようなものが確かに存在しているのを感じるのだ。

 だからエレナを超える存在には一生出会えない。如何に周囲が魅力的であろうとも。

「なんですかアヤくん…今日はなんだが積極的ですね?」

「…久しぶりに恋愛小説でも読んだせいだろうな。なんか自分が何やってるか分からない。若干夢見心地だ。でも今言ったことは嘘じゃない。お前は俺にとって世界で一番かわいくて素敵な女の子だ。誰が何と言おうと俺はエレナを幸せにする」

 更に顔を赤らめるエレナを見てそんなところも可愛らしいと感じた。他の誰かにエレナが触れられるのを想像するだけで、自分でもゾッとするような殺意や憎悪という感情が吹きだしてくる。絶対にほかの誰かには渡さない、そう確固たる意志と共に。

「ささっ、寝ましょ。もう終業式。夏休みは目の前!勉強するなとは言わないけど、少し気を抜き始めてもいいんじゃないかな!」

 ドアを閉めて俺が腰かけていたベッドに俺を押し倒しながら飛び込んでくるエレナ。流石に何もしないわけにはいかないので、慌ててエレナの方へ体を向けて抱きとめる形でベッドに横になる。手もとにあったリモコンで電気のスイッチを切り、部屋が一気に暗くなり、聞こえるのは互いの吐息と心臓の鼓動だけ。






 ――二人の夜は、終わらない。

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