第18話 目覚める際は周囲にご注意を。

「アヤとエレナちん…!朝ごはんできたよ…って腕枕かぁ、お姉ちゃんの入る余地ないじゃん残念。悔しいから写真とっとこ」

 静寂に充ちた部屋。そこには弟とその幼馴染の寝姿を激写する変態がいた。本人はお姉ちゃんとしての職務を果たすつもりらしいが、そんな事情を知らない一般人からすれば通報ものである。

 勿論悪意はない。それだけに異常だというかなんというか。

「んー…やっぱアヤもエレナちんもかわいいなぁ。弟はいつまでたってもかわいいもんだって思うわやっぱ。待ち受けにしよ」

 若草色のケースを装着したスマートフォンを片手に笑う姿は、不自然であり不気味であり変態じみていたとしてもなお、彼女の美貌を以てすれば絵になるほどの麗しさを宿していた。

 少し一部の糸がほつれはじめたとはいえ、大切にしているということが一目でわかるエプロンを身に纏ったその姿はさながら若奥様。

 男性の夢見る妻を体現したかのような女性。

 これで男っ気が無いのは偏にこの異常なまでの弟への愛故にだろう。恐らく弟のために死ねと言われたら瞬時に死ぬだろうとすらその弟に言わしめた溺愛っぷりはもはや依存に近い。

 弟の方も嫌がる素振りすら見せないのでお互いさまというべきか弟も満更ではないような印象を周りが抱いていることをこの姉弟は知る由もない。

「お魚とかお味噌汁とか作ったけどこんなに気持ちよさそうに眠られるとなぁ…起こすのも申し訳ないような」

 逡巡するそぶりを見せる姉。母は他の国で仕事、父も旅にでていてどこにいるかもわからない。そんな状況で家を取り仕切る親代わりの姉としては起こして朝食の場に連れ出すべきだろう。

 だがそれはそれ。心は弟や小さい頃から見てきたその隣で眠る天使を甘やかしたい気持ちでいっぱいのお姉ちゃんだ。迷ったとて誰がその迷いを糾弾することができるだろうか。

 少なくともここにはそれを責める人などいない。お姉ちゃんであったとしても何も言われないのに、しっかりとその務めを果たしているので、むしろ褒められるべきだろう。どうしたものかと狼狽える姉をよそに、ゆっくりと先ほど指定された一時間通りに、弟の方が目を覚ました――。








「あぁ…?そろそろ一時間か…。起きるぞエレナ…十分寝たろ?」

 一時間でセットした体内時計が時間だと告げている。二度寝はやはり気持ちがいいものだ。きっとこの感情は日本全国、いや万国共通だろう。

 一度起きたのに再び床につくという背徳感がなんとも素晴らしい。

 しかしいつまでもそれが可能なのは休日のみだ。毎日そんな風にして生きることができたら苦労はしない。それができないから人間という物は苦労して生きているのだ。

 確かに例外はいるにしても、大多数の人間にとって週のはじめは心地よいものではないだろう。でもそうじゃいけないの。

 そんなこんなで俺は傍らのエレナを起こす。ゆっさゆっさとゆする。

 俺の腕の上で気持ちよさそうに眠る天使には酷だが、ここは現実だ。残酷過ぎる世界だ。地上に降りてきてもらって悪いが頑張って起きてくれ。

 ゆするたびに無防備な胸が揺れる揺れる。滑らかに重心を移動させる様は、男子諸君の目を引き付けて離さない魔性の果実。えっちだ。

「もう、時間?」

「そうだ時間だ。多分きっかり一時間のはず」

「そっか…えへへ、おはよっアヤくん!一日に二回おはようなんて、変な感じっ!」

「かわいい…世界の宝だ…」

「は、恥ずかしいよアヤくん!急に何を言いだすんですか!?」

 俺としてもわざわざ恥ずかしがらせる意図で言ったわけでは無い。ただそう。純粋に言葉に出てしまったというだけの話で。

 例えば、そう。自分が好きなキャラクターでもアイドルでも芸能人でもいい。

 その人達がとても自分にとって魅力的なことをしていたら『尊い』とか言っちゃうだろ…?そういうもんだよな?

「そ、そうだ。アヤくん、一つお願いがあるんだけど…」

 不意に腕の中の幼馴染がはにかみながら上目遣いで見上げてくる。かわいい。

 潤んだ瞳がまだ眠りたいという体の欲求から出たあくびのものか、それともその『お願い』とやらに関係が深いものなのか。

 だがいつまでもこんなにくっついているわけにもいかない。個人的には大歓迎なのだが、時間に支配されたこの社会が許してくれない。

 そのくせ会議の時間とか平気で何時間も伸ばすのにね。ひどい国だぜ。へっ。

「なんだよそんな可愛い顔して」

「いつも通りですよね?いつも通りですよねアヤくん?私普通ですよね?」

「いつも通り可愛いぜ(?)」

 自分も何を言っているのかわからないが、きっと寝ぼけているのだろう。そうに違いない。我ながら適当過ぎる納得の仕方だとは思うが、急に何かを口走ったりする当たりあながち間違いでもないような気がする。

 しかし目の前の幼馴染の様子もなんだかおかしい。

 恥ずかしそうに身をよじらせている辺りが特に。気が付いたら抱きしめてしまいそうになるほどの可憐さと目を離せば消えてしまうのではないかと錯覚させる儚さゆえの存在の危うさが俺の視線をとらえて逃がさない。

「おはようの、ちゅー、しよ?」

「いいよ……………ん?」

 ノックアウトである。悩殺されるとはまさにこのことなんだろうと今、身をもって知った。無意識で了承してしまうくらいに魅力的な提案。

 男子の望み、希望、理想、妄想、ありとあらゆる要素が詰め込まれている存在からのこの提案だ。即座にそう答えてしまっても咎めることは誰にもできないと思う。

 加えて寝不足気味であった事が災いした。やはり二度寝などするべきではなかったのだ。

 そもそも『キス』ではなく『ちゅー』という表現を用いた点から的確に俺の好みをとらえていく。ギリギリではなくストライクゾーンのど真ん中を。

 少し甘えたように言ってくるあたり、俺の書物やゲームを通して性癖を握られてしまっている可能性が高い。

 思考能力が著しく低下しているということがここにきて牙をむいた。二度寝は重罪だということだろうか。


 ――そんな後悔にも似た思考は次の瞬間掻き消える。


「ん…っ……」

「っ…!?」

 目の前に真っ赤になった幼馴染が迫る。文字通り目と鼻の先に迫られ、視界がエレナで満たされた。きっと今、俺の顔も紅潮しているに違いない。

 きっと彼女の言う通り、親しき者とのスキンシップ――恋愛絡みの意味も多分に含まれていただろうが――のつもりなのだろうが、健全な男子中学生としてはそのわずかな時間すらも永劫の時の様に感じてしまう。

 一つひとつの感覚が研ぎ澄まされ、唇に一瞬触れたその柔らかさが脳を直接揺さぶってくる。そしてその事実が俺の思考を凄まじ勢いでかき乱す。

 目が眩むような錯覚を覚えた後、二度、三度瞬き、額に冷や汗を浮かべた。この行動に対して俺は一切構えていなかったために、冷静になり切れていない。

 心の準備という物は非常に大切らしいということは、やはり事実のようだ。

「ごちそうさまっ?」

「……おう」

 困惑したように幼馴染が問いかけてくるが、その言葉自体はただの感謝の言葉であり、彼女の表情は一々絵になる微笑みだった。待ち受けにしたい。

 こんな幼馴染に対して俺は終始ペースを握られてしまっている。将来もずっとこうなのだろうか。寒気がするな、ちくしょう。

「アヤくぅん…」

 もしこいつが犬だったら千切れんばかりの勢いで振られているのでは、と思えるくらいテンションが高く幸せそうだ。

 そうなれば必然的に俺の強張っていた目つきも軟化するのが自然。

「はいはい…俺は何処にもいかねえからそんなに甘えてこなくてもいいっての」

「結婚してくれるってことですね!ありがとうございます」

「まぁ…その、前向きに考えておくよ」

「…あれ?ちょっと待ってください恥ずかしいですやっぱこういう話やめましょ」

「待つもなにもエレナから言い出したことだろ…口だけか?」

「キスだけに!」

「やかましいわ」




 ふと、我に返る。

 このまま俺たちが硬直していては学校に間に合わないし、一階のキッチンで料理を作ってくれている姉さんに申し訳がたたない。

 下に降りて『ご飯を冷めさせてしまった原因はイチャイチャしてたから』とかぶん殴られても文句は言えないので、速やかにベッドを抜け出す。ご飯を美味しいうちに食べてもらいたいというのは料理をする者にとって共通の願いだと思ってる。

 その辺は食べる側の礼儀という物だろう。

「んじゃ行くぞ…姉さんが待ってるだろうからな。多分匂いからして魚とかその辺だろうし冷めないように早く行こうぜ」

「うんっ…!了解です、アヤくん!お待たせしても悪いですしね!」

 自分の嗅覚は毎日の姉さんの料理によって人より鋭くなっているような気がする。

 香ばしい匂いが俺の部屋までやってきていることで俺の朝は来るといっても過言ではない程である。

 お腹も現金なもので、朝ごはんの匂いを嗅ぎつけたのか、急激に食べ物を要求するように動き出した。姉さんの料理はうまいから仕方がないと言えばそれまでなのだが。

 意気揚々とドアに向かって歩いていく――その途中で、何かに躓いた。

 何か片付け忘れていたものでもあったかと足元を見るとそこには。















「尊い…ありがとうございますおねぇちゃんはもうお腹いっぱいです…死ぬぅ…」


「姉さん…姉さん…ッ!?」



「…ひゃぁぁ、こりゃ多分見られちゃいましたぁ…これはもうアヤくんに責任取ってもらうしかないです…」

 不穏な背後の声は、聴かなかったことにした。

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