第17話 ばっどもーにんぐ

 突如、息苦しさを感じた。冥界のそこから引き上げられるように光へと向かって俺の意識が覚醒していく。

 俺こと宮野理人が感じた息苦しさが俺の目覚めた要因であり、今なお格闘している俺の敵だ。呼吸ができないというわけでは無いにしろ、凄まじく甘ったるい匂いと酸素の少なさが寝起きの朦朧もうろうとした意識に更なる追い打ちを加えてくる。

 だが不思議と不快ではない。むしろ幸せな気持ちに近い。天国へ上るような感覚だ。いっそこのまま死んでしまおうかとすら考えてしまうくらいには満足感に浸されてしまっていた。

 …いかんいかん。こんなところで死んでたまるか。朝起きて息苦しいけど気持ちよかったので死にましたとか言ったら流石に地獄行きだわ。

 地獄や天国という概念が果たして本当に実在するかどうかはまた別として、だ。俺が神様なら『そうか、では地獄へ行け』となるだろう。誰だってそうする。俺だってそうする。

 なので名残惜しさ全開放ではあるものの、その空間からの脱出を試みた。冷静に状況を推察するに、俺は今現在、何かで圧迫されているといった状況だろう。

 布…にしては質感が柔らかい。さらさらしている。すべすべもしている。絹のような質感、といったところか。

 しかし我が家では絹の服は姉さんや母さんが数着持っている程度だ。エレナはともかく俺は持ってないし、エレナもわざわざ着替えるような真似はしないだろう。

 今俺が感じている圧迫感は三つ。左側頭部の絹のような感触。右側頭部にも同じような感触。後頭部に少しそれよりは柔らかさが足りない――髪の毛があるのでよく分からないと言われればそれまでだが――圧迫感が一つ。

 左右の圧迫感は包み込んでくるような柔らかさがあるが、後頭部の方は当たっている程度、恐らく普通の布だろう。

 ならば左右の暴力的な弾力はなんだ。

「うぅ…んぅ、やぁですよぉアヤく、ん…」

 ゾクリ。

 背筋を悪寒が駆け抜けるのが明瞭に感じられた。少し寝ぼけていた思考が、人間としての尊厳の死を目前にしてこれまでになく活性化する。

 死の危機に瀕した時、人間の脳のリミッターが外れる、という話をラノベやテレビなんかで見たことがある。恐らく今はその状態だ。

 呼吸が難しいという状況においても、未だかつてなく俺の脳は聡明で冷静だった。

 背後の布、というのは恐らく服だろう。

 ベッドで横になっているという状況を鑑みれば、考えられる布の感触といえば、シーツ、服、枕、毛布とかそのへん。

 毛布なら毛の感触で分かるし、シーツの場合はその奥のマットレスの中にあるスプリングとかの影響でもう少し固めの感触のはず。枕ならもっと弾力性があるだろう。

 よって俺が判断したのは服。

 …そして気が付いてはいけなかった真実。気が付かない方がまだまともだった。人間としての死に気が付かずに即死することができた。

「おはよぅ、ございま、す…っ、アヤくん、朝から激し…っ」

「ちょっと待てこれは事故。いいな?」

「別に怒らないって…ひゃっ、息吸わない、でっ…ひゃぁっ」

「呼吸するなとか殺す気かよ…いやそりゃ今回の場合は文句言える立場じゃないけど…っ!」


 恐らく、いや確実に俺の頭の所在は文字通り、『エレナの胸の中』に違いない。

 他にこの弾力を生み出せるのはエレナの太ももくらい――こっちじゃなくて本当に良かった←よくない――のもので、導き出せるのはエレナの胸に違いないという確固たる事実。

 呼吸を止めるにしても吸い込んでおける量も少ない。このままでは本当に死んでしまうぞと冴えわたった頭脳が警鐘を鳴らす。こんなことで警鐘を鳴らされるのもとても悲しいことだが、四の五の言っている暇もあるまい。

 かくなる上は、強行突破しかないだろう。

 意を決する。

「…ごめん、許して」

「へ…?アヤく…っ、ってちょっ、ひゃああああっ!?」

 両腕で左右の弾力を押し上げて即座に頭を引き抜く。どんな状況になったらこんな動きをするのかと自分でも驚くような首の曲げ方で最小限の時間で首を引き抜くことに成功する…が、脱出して今日初めて見る幼馴染の顔はとても淫らなものだった。

 頬には朱色がかかっており、目元がとろんとした天使がそこにいた。心なしか呼吸は荒く、焦点が定まっていないように思える。

 朝から男子中学生の理性を蒸発してくる幼馴染がいるっていうのはこれから先、思ったよりも負担なのかもしれない。

 無駄に冴えている脳は、幼馴染が乱れる姿をありありと思い浮かべるくらいのことは余裕らしい。授業中に冴えわたってくれよ俺の頭脳。

 授業中に瀕死になるのは正直言って御免だが、本気出せばこれくらい動くのだからもう少し普段頑張ってもいいと思うんだ。

「アヤくん…すごい、よかったです…ぅ、なんか奥から、きてぇ…」

「もういいそれ以上しゃべらないで俺の尊厳が危ぶまれる」






「アヤ。朝から元気がいいのはいいことだけどぉ…ちょっとやりすぎじゃないかなぁっておねぇちゃん思うのぉ。部屋まで聞こえてきてたよ…?」

 現れたのは救世主ではなく魔王。

 誤解の王である。一度信じたらすげえ理屈こねないと納得してくれないのが姉さんだ。とくにこの手の話題は俺が得意としている類のものではないので、非常に厄介。

「まぁなんていうの…?朝からごちそうさまって感じなのでぇ…?」

「アヤくん、朝から元気です…でもでも、そういうのも私いけちゃいます!!!」

 元気だと形容している俺よりも元気そうなエレナ。そんなエレナを見て苦笑いを微笑みに姉さんは変化させる。

「んー…エレナちんが幸せそうだし、もういいやぁ…。一応言っておくけど今まだ五時半だから一時間くらいなら続きしてても大丈夫だよ、その間におねぇちゃんご飯作っておくからぁ」

「何言ってんだよ姉さん!?」

 隣でエレナが『アヤくんがしたいなら…』なんて世迷言を垂れているが知るか。無視だ無視。

 朝からこれ以上精神を疲弊ひへいさせられてはたまったものではない。

 美少女と隣で寝るという事実だけで心が休まらないのだ。これ以上犯罪臭漂う行為を続けるわけにはいかない。このことが明川あたりに知れてみろ。殺される。

 流石に黒崎先生も庇ってはくれないだろう。やりすぎと言われて見捨てられるに違いない。俺は悪くないのに何たる理不尽。

「いい加減茶番やってないで起きるぞ…いや流石に朝も早いからエレナが寝たいなら寝ててもいいけど」

 俺たちの住んでいる場所は都心。学校までは少しばかり時間がかかる。

 昨日行ったショッピングモールはその間に位置しており、それとなく交通の便もいいので電車とかでそこにくる生徒も多かったりする。

 どこかで聞いた話だが、交通の便が良すぎると消費者は『え?ここ行くくらいならもうちょっと先のもっとでかいとこ行くよな?』ってなってしまうので交通の便の良さはそこそこが良いらしい。経営戦略という物も大変である。

 そんで、なぜ俺たちがわざわざそんな遠くにある学校に通っているかというと、近所は学校が建てられるスペースがないとかそういう理由で近所に学校がない。なんともあほな地方公共団体である。無能にもほどがあるのではないか。

 住民の抗議に仕方なくといった感じで作られたのが今通っている学校である。自治体の担当する区域のすみっこに未開発の地があったので『丁度良くね?』的なノリで作られた。むちゃくちゃ。結構遠いしね。

 勿論公共交通機関を利用したり自家用車を用いたりするのにかかる費用は自治体が持つとのことなので、俺たちは仕方なくそれに従っている。スクールバスとかもあるけど、何せ範囲が広いもんで申請したやつの家だけを通っていくというタクシーに近い動きをしてる。もう何が何やら。



 そこまで考えてみて気が付いた。

 …よく考えたらこれ。毎日三十分はエレナと一緒に狭い空間にいるということではないだろうか。よく考えてみてほしい。

 無駄に積極的なエレナだ。きっと甘えてくるに違いない。嫌というわけでは無いにしろ毎日だ。

 他の人に見られたらと思うとゾッとする。

 はいそこ。毎晩一緒に寝るのにそういうこと一々気にするのかとか聞かない。

「準備したので寝る…起こしてぇアヤくん」

「あいよー。おやすみ、また一時間後な」



「…?添い寝してくれないの?

 寝てる間にちょっとくらいならいたずらしても…いいから、ね?」




 これが毎朝だぞ?やばない?

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