第19話 朝から転校生と登校した結果。

「おい…どうしてこうなってる…」

 半笑いを形作る口元や目元は完璧に能面。とりあえず表情筋だけ動かしておきましたよ、とでも言わんばかりに感情が抜け落ちている。

 一番しっくりくる表情でこの感情の欠如量なのだから、真顔でもしようものなら彫像のようになっていたかもしれないな、と人知れず頬に手を当てる。

 目の前にはこちらを真剣に見つめる女生徒。周囲にはちらほらと野次馬が集まりつつある。やつらとしてもこのような面白そうな状況に無関心というわけでは無いらしい。

 やや円を形成しつつ遠巻きに眺める彼らの視線は嫉妬や殺意といった負の感情から羨望、情熱といった熱烈な感情まで様々だ。

 恐らく前者は俺に対して。後者はエレナに対してのものだろう。そりゃ朝からこんな美少女連れたやつが登校しようものなら殺意の一つや二つ湧くだろう。仕方ない。

 これは人間として、男としてのさがなのだ。女生徒もいるのでそうとも言い切れないが。

 百合百合なのは個人的におっけーだがエレナが巻き込まれるのも少しよろしくないと思うので女性の中にも敵がいると思って行動しなければならない。

 女性だと思って侮るのは愚の骨頂だと短い人生の中ですら理解できている。むしろ情報戦などという意味では男よりも普通に脅威だ。


 ただそんな視線の中にはその騒動の中心となっている人物の心境に対する思慮など無い。ただ思い思いに視線に感情を乗せてぶつけているという何とも一方的な図が形成されつつあった。

「聞き間違えかもしれんし…とりあえずもう一度言ってもら――」

「アタシは、あなたに、突撃取材をしに来た」

「やっぱおかしいよね。なんか取材されるようなことしたかな俺。心当たりがないこともないんだがそれはそれとして、なぜ俺に」

「宮野クンは様々な人から注目されている。新聞部としてアタシは取材に来た。それは新聞部としての義務。拒否すればいつまでも付きまとう」

 有無を言わさぬ口調だった。もうなんというか『逃げれるものなら逃げてみろ』という宣戦布告というか挑発的というか。そんな印象の表情と言葉。

 新聞部は結構生徒同士のゴシップや噂などを積極的に取り扱うことがある。もちろん、本人たちの許可が下りなければその企画は白紙に戻る。

 嘘だということにしておいてくれ、というのは否定していくあたり、ジャーナリズムのなんたるかは多少なりとも心得ているように思える。

 だがそんなものに巻き込まれる俺…と傍らのエレナはたまったものではない。朝送ってもらって玄関に入ろうとしたらこのありさまである。

 今朝はあんなわちゃわちゃしていた後でも時間に余裕があったので、今現在もその余裕は持続している。

 そのため朝のHRホームルームまでにはあと二十分ほどの余裕がある。簡単な受け答えならば可能だということは想像に難くないが…わざわざこの場に来る

「…でも何でわざわざ靴箱前で待ち構えてんだよ」

「なんかこう、取材してるって気持ちになる」

「気持ちの問題かよ。結局話を聞くのは」

「教室」

「じゃあ意味ねえじゃねえか」

「形から入る主義。あなたにはまだ分かっていない」

 なぜ俺が怒られているのか。甚だ疑問でならない。憤りたいのはこちらの方である。

 そこまで怒ることでもないとはいえ、朝からこんな状況になればなんというか、いろいろいらっとくるものもあったりする。

 ショートカット+ジト目というのは中々いいと個人的に思っているので無下にはしないが、明川あたりが同じことをして来たら『帰れ』と冷たく突き放す自信があるというのもまた事実。

 結局は人で判断しているのだ。日頃の行いがまともであることに感謝しながら去れ。新聞部の刺客よ。

「とにかくはやく教室に来て、待ちくたびれた」

 言うが早いか、即座にきびすを返す佐原。行動力は他の追随を許さないと噂されるだけはある。

 新聞部の他の知り合い曰く、情報とは鮮度が命らしい。読者の興味がわいているうちに取材しないとあまりいい反響は得られないんだとか。

 そう考えれば彼女のような存在は新聞部としても無くてはならないような存在なのかもしれなかった。新聞部の事情など知らないこちらからすればはた迷惑な話であったが。

「そんな一方的な…」

「アヤくん…なかなかヘヴィなお方でしたね、彼女」

 お前が言うな、というツッコミが喉まで出かかったが辛うじて飲み込むことに成功する。エレナを傷つけてしまうかもしれないし、怒らせて俺が傷つく可能性だってある。口は禍の元である。

「…どうする?佐原の取材、受けるか」

「私は別にかまいませんよ!佐原さん、でしたっけ。あの方とも仲良くなっておきたいですし!それに…」

「それに?」







 一呼吸おいてエレナの瞳が鈍い輝きを宿す。まるで獲物を前にした狼のように瞳を細めるとその表情をやや妖艶なものにし、彼女の顔に張り付いていた微笑みはそのままに、感情を希薄にさせる。

 オーラが変わった、といえば多少はイメージがしやすいだろうか。

 それに呼応するかの如く、周りから息を呑む音が聞こえる。勿論全員が、とは言わないけれども、その豹変した雰囲気に周囲が飲み込まれているのは手に取るようにわかった。

 長い間同じ時を過ごした幼馴染である理人でさえ、静かに放たれているプレッシャーに冷や汗を滲ませていたのだ。初対面の人間ならば腰を抜かしていてもおかしくない。

 内なる面に何か大きな感情を秘めていそうだということはこの時点で火を見るよりも明らかであり、同時に容易に詮索するのは藪をつついて蛇どころか龍を出すようなものだとこの場の誰もが感じている共通の感情であることは想像に難くない。

「悪い虫が付くのは、私としても好ましくないんですよね…」

 囁きとも呟きともとれるその言葉が放たれた際の声量は非常に小さかったものだ。

 質問の主たる理人あやひとではなく、虚空の誰かに向かって放たれた言葉。

 否、もしかすれば誰かの耳に届けるという意図すら存在していなかったのかもしれない。

 けれども。

 先ほどの冷水のようなプレッシャーによって静まり返ったこの場においては、声量はその程度で十分だった。

 ゾクリと寒気すらしてくるような声音。まるでそれは死神の死刑宣告にも等しい冷徹さ。されども表情は想い人の隣で佇む少女そのもので。

 あまりにもアンバランスな言葉と表情にまず人々は驚愕し、それさえも芸術の一つではないかと思わせるほどの精緻さをもった顔立ちに人々は感嘆する。

 天使と悪魔が両立する存在とはよく言ったものだ、と俺は密かに自嘲し、戦慄。

 スイッチ一つで人格が変わるというわけでは無いが、それでも薄氷の如き危うさであろう。静かな闘志を秘めるその少女は歴戦の軍人もかくやといった凄惨さを滲み出させていた。



「おい…エレナ?」

「はいっ!あなたのエレナですよっ!…どうしました?なにかご不明な点が?」

 刹那、そのプレッシャーは霧散した。何事もなかったかのように。世界すらもいつも通りと言わんばかりに静かに風を吹かせている。

 いつも通りに可憐で甘えん坊な幼馴染が俺を見上げ、屈託のない笑顔を見せ、首を傾げて見せる。

 俺の脳が必死に情報を整理、認識、反応を繰り返す。先ほどまでの幼馴染の豹変はなんだったのか。

 冷徹なあの雰囲気は気のせいだったのか。気のせいだったに違いない。きっとそうだ。そうでなければならない。そんな風に脳が認識の方向性を決定する。記憶してはならない。知ってはならない。

 奈落の底を彷彿とさせる禍々しさなど目の前の天使が持ち合わせていいはずがない。そんなものは彼女には必要ないのだから。

 事実を根本から捻じ曲げるべく、脳が修正を開始する。

 だが脳の抵抗をあざ笑うかのように背中にびっしりとかいた冷や汗が如実に先ほど感じていた恐怖――否。それは違う。末恐ろしいというのは何かベクトルが違う。

 そう、もっと自分より上位の存在を見たかのような圧倒的実力差を押し付けられる感覚。

 …畏怖いふ、というのが一番正しい表現なのだろうか。それを冷や汗は思い起こさせる。本能が警鐘を鳴らすほどに今の俺は戦慄しているという事実に混乱し、現在と先刻との差異に困惑してしまう。肌が粟立ち、心拍数は狂い、呼吸は乱れる。

 何があっても敵に回してはならない存在というのを存分に誇示するような圧力だった。


「アヤくん?顔色が悪いですよ…?なんだか汗もかいているみたいですし、もしかしたら体調が悪いのでは?」

「そ、そんなことは無いと思うぞ。なんなら測ってみるか…ってあれだな。体温計なんてないから測りようがないか」

 自分で言いだしておきながらその提案が実現不可能だったということに気が付いて乾いた笑いを漏らす。

 心臓はまだ荒々しく暴れている。今朝のような気恥ずかしさや胸の高鳴りとは違う。

 目の前で起こった光景を恐れるあまりに体が引き起こした反応。

 それ故に状況を正しく認識できていない。眩暈を堪えるので精いっぱいだ。

 自分でも何を言っているのかよく分からないというのも無理らしからぬことであろう。

「?アヤくんの体温なら別に体温計がなくても測れますから別に…ちょっと腰を落としてください」

「こうか…?腰を落としたところで何をする気だよお前」

「察しが悪いですね?やっぱり体に何か異常が…」

 ゆっくりと、ゆっくりとではあるが、脈拍は安定してきているような気がする。具体的な事はよく分からないが、悪化しているわけでは無いということは確かのはずだ。

 落ち着けとゆっくりと心臓を宥めていくが…次の瞬間、別の意味で心拍数は狂いだす。


 ぴとっ。

 エレナが俺の額と自らの額を合わせ、何かを考え込むような動作を行った。

 恐らく、熱を測っているのだろう、ということはわかる。自分で俺の体の状況ならなんでも分かると言ってのけるくらいなので自信があると思っていたし、いつかこのような状況になるとは思っていた。予測していた。

 だが、それでもだ。

 まさか公衆の面前でそんなことをされるとは露ほどにも思わなかった。

 加えて今朝の…あれキスを想起させてしまうのだ。この体勢は。

 まずい、実にまずい。なんだか落ち着いていた心臓がまた暴れだしたような気がする。

「な、なんでそんなに恥ずかしそうにするんですかアヤくんっ!こっちまで恥ずかしくなっちゃうじゃないですか!」

「そうは言ってもおま、人前だぞっ!?」

「小学校の時はみんなの前でアヤくんがやってきたじゃないですかっ!」

「それはそれ!これはこれ!」

「卑怯ですっ!ずるいですっ!」

 唐突に始まった茶番に、先ほどのプレッシャーを見失ったのか、周りから投げかけられる視線がちらほらと復活してきている。

 生暖かい恨みを込めた視線が大半を占めるようになっているのが先ほどとの違いだが、結局はいつも通り受けている視線だ。

 一々気にしていては精神がもたないのだから無視して受け流すほかない。

「なんだただのリア充か」「一瞬すげえゾッとしたんだけど」「私も」「気のせいじゃね?」「疲れてんだろ」「そろそろ上行こうぜ」


 …聞こえてくる言葉に耳を傾けてもやはり気のせいだと結論付けた者ばかりだ。

 こうしていちゃいちゃするのも気分が悪いものではないが少なくとも居心地は良いものではない。

 黒崎先生はともかく、そのほかの先生から見られても余計な誤解を招く恐れがあるのでここで顔を近づけ合っているのは得策ではないし、そうまでしてこの場に留まるメリットも無い。

「俺らも上行かない…?佐原待たせてるしさ」


「おいバカ」「やべぇ」「また来るぞ」「殺される」

 周囲から聞こえた囁きで自らの行動の過ちに気が付いた。

 …内心、自分の発言を呪う。たった今自分の不用意な発言で幼馴染の開いてはいけないチャンネルを開けてしまったということをエレナとの簡単なやり取りの中で失念してしまうとは論外にもほどがあるだろう。

 父さんの前でやれば気を抜くな、死ぬぞと静かに怒られるに違いない。

「そうですね…待たせるのは忍びないですし、はやく教室に行っちゃいましょうか!」

「…っ?」

「アヤくん?どうしました…?やはり様子がおかしいですよ」

「な、何でもないっ!さっさと行こうぜ!」

「…変なアヤくん。でも好き」

 危惧していたあのプレッシャーが到来することは無かった。ますますスイッチが分からなくなった。今の話でスイッチがあるとすれば、佐原の話だろうと踏んだのだ。

 実際周囲も俺と同じようなタイミングで同じようなことを考えていたので端から見てもそうだったに違いない。

 だが現実はどうだ。小首をかしげてあまつさえ『好き』とすら惚気て見せる余裕すら持ち合わせている。

 冷静に考えれば、今の話で反応を示してくれた方がよかった。実際にまたあの血まで凍てつくようなプレッシャーが到来すれば、佐原が原因ではないか?という懸念は確信に変わる。

 そうすれば対策などを取ることも比較的容易になるという物だ。俺が佐原の話をしなければいいだけなのだから。

 対策が打てないというのは何か危険因子があるということは確実なのに指をくわえてみているしかないということの裏返しでもある。正直に言ってそっちのほうが明らかにまずい。

 …こりゃあれだ。原因を探って生きていく他ない。

 例えるならいつ発砲するかもわからない銃を持ち歩くようなものだ。今、その拳銃エレナの制御装置になることができるのは俺だけなのだから。
























「遅かったね二人とも」

 教室に入る也、声をかけてきたのは机を椅子のようにして腰かける佐原恵さはらめぐむだった。教室にはまだ半分程度の人間しかやってきていない。

 教室の後方、窓際に少女は腰かけていた。綺麗に整えられたダークブラウンのショートカットをそよ風が優しく弄ぶ様は、その瞳と相まって物憂げな令嬢を連想させた。

「窓から見ていたけど、急に静かになったりイチャイチャしだしたり…」

「そんな風に見えてたのか俺達は…まぁなんだその、待たせてすまんかった」

 ジト目で指摘され、ここまであのプレッシャーは届いていなかったのかと安堵するとともに、待たせていたことについて謝罪する。如何なることがあったとしても彼女を待たせていたことには変わりない。

 普段結構接点があるだけに若干申し訳なさを感じている。

「…いい。アタシも恩人に対して強い態度はとりにくい。そうだ、今度何かお礼をしたい」

 恩人…とは昨日の事だろうか。確かに本人から見れば恩人だったかもしれないが俺としてはただ単に動きを封じて他の人に警備員を呼んでいってもらっていたというだけのことだ。そんなのこの場にいる誰にでもできる簡単なことなのだ。

 動きを封じると言っても俺の様に物理的に封じる必要はない。話を発展させて引き付けていればいいだけなのだから。

「別にそんなに気にしなくてもいい…っつーかそういう態度とられると俺としても接し方が分からなくなるだけだからさ。

 俺はやるべきことをやっただけだって」

「アヤくんは欲がないですねぇ。もしかすればあんなことやこんなこともお願いで着ちゃったりしたかもですよ?」

「余計な茶々を入れないでくれよエレナ…」

 傍らから茶々が入った。折角俺がいい感じの話をしようとしたというのにこいつは…。確かに一男子としてそのような要求に心が惹かれないでもない。

 けれども恩着せがましく女性にあれこれ言うのは男として最低なことだと思っているし、事実父さんにもそうやって育てられてきた。そこまで女性を重視した教育をする父さんは天性のたらしだと噂だが、その影響でエレナの意思もなんとなく読み取れるようになっているのだし、別段困っているわけでもないので純粋に感謝している。

 だがそれとこれとは話が別。人が真剣な話をしているのに空気を読まないのはいかがなものか。

 せめてもの攻撃として髪の毛をやや乱雑に撫でる。流石に朝彼女が時間を割いてった髪の毛が崩れるような乱雑さではないものの、男の子の頭を撫でるような扱い方である。

 少しは反省して静かにしてくれるといいが…

「…?わしゃわしゃされるの私大好きなので憤りを表したいなら逆効果ですよ?」

 …逆効果だったらしい。ただ本気でエレナが嫌がるようなことをするわけにもいかないので結局俺に抵抗する余地は残されていない。

 せめて他にできる抵抗といえば夕飯でキノコを大量に用意することである。

 キノコが大嫌いなエレナだからこそ打てる手ではあるが、あまり調子に乗りすぎると泣きだしてしまうこともあったのでこれも注意が必要なのは変わりない。

 大切な女の子であるのだから、彼女に涙を流させるのは個人的に良しとしないことの一つだ。他の誰かがエレナを泣かすようならきっとそいつは自殺志願者だろう。

「んぅ…くすぐったいですアヤくん…っ、でもでも優しい手つきも好きなのでもっとしてください」

 気が付けば俺の手つきはとても柔らかいものへと変化していたらしい。そこで初めて宝物に触れるように、愛おしむかのように幼馴染の頭を撫でていた自分に気が付く。

 指通りの良い白髪は撫でている側も気持ちがよいものなのだ。ふわふわさは健在である。


「あのさ。アタシの存在忘れてない?かんっぺきに無視してない?二人の世界作ってない?」

「「あぁ、ごめん(なさい)。それでなんでしたっけ?」」

 ほぼ完ぺきにハモった俺たち二人に対してジト目をさらに印象深いものにして嘆息する。まぁ怒るよね。俺でも怒るもん。

「しゅ・ざ・い!もういいや、昼休み教室に残っててね?こうなったら手加減なしで根掘り葉掘り聞くから…!」



 お怒りの様です。

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