第16話 叡智の少女
「アレクセイー。昼ご飯出来たわよー」
階下から母親(仮)の呼ぶ声がする。俺は手紙をポケットに入れ、1階に向かった。
「そういや、服も変わってるな。気付かなかったとか、俺どんだけ疲れてるの...」
図書館で着ていた服は黒のシャツに藍色のズボン。だが今は、カラーリングこそ同じだが、素材が麻のようなものだ。
1階に行くと、テーブルには料理が置かれていた。黒パン、スープ、焼いた肉っぽいもの。偏食な俺でも食べられそうで少し安心。
黒パンは少し硬く、スープはやや薄めの味付け。肉は香辛料が効いていて俺好みの仕上がりだった。
知らない人の家で食事とか...、慣れないな。けど状況が分かるまで、なるべくここの人たちの振る舞いに合わせなければ...。
食事を終えて、ちょうどひと段落ついた時...
「アレクセイー。そろそろ行くぞー」
先程の青年がやってきた。どうやらこの後どこかへ行くようだ。
「...おう」
俺は返事をすると彼の方へ歩み寄った。すると...
「お前、筆記具とか持っていかねーのか?」
「あ....ああ、忘れてた忘れてた!!」
慌てて2階の、さっきまでいた自分の部屋と思しき一室へ行く。
「えーっと...これとこれは必要そうだな....。お、バッグあるじゃん。これに入れていくか」
とりあえずめぼしいものを、近くにあった鞄に詰め込み急いで、待たせている彼のもとに行く。
「お待たせ」
「よし、じゃあ行くか」
俺はまた、彼の後ろをついていく形で歩く。これからどこへ行くのか、それが今の懸念事項だ。
歩いて2分ほど経った時、前を進む彼の足がとまる。着いたのは教会だ。
彼はそのまま、その中へ入る。
(教会.....。こっちで俺が信心深い性格だったらどうしよう。俺、聖書とかコーランとかそういう類のもの暗記してないぞ...)
教会の中には、年齢がバラバラな少年少女たちが集まりt机に向かっていた。だいたい20人くらいか。
そして、その子たちにシスターらしき人二人が、何か話しかけている。子供たちは.....何か書いている?
青年はシスターと子供たちの方へ歩いていく。俺もそれに倣う。
「あら、アレクセイ、ジャック。来ましたね」
シスターのひとりがこちらに気付き、話しかけてくる。この青年はジャックというのか。
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
ジャックは、子供たちが集まっている辺りの後ろに席をとった。俺は彼の横に座る。
そこでは、どうやら教会が村の子供たちに勉強を教えているようだった。
「うーん。なんでソレド公国がセース朝に変わってんだ?」
隣のジャックは世界史の勉強をしているようだ。
「それはな.....ソレドがここのアゾル朝に戦争で協力して、んでソレドが疲弊してる時にアッレ族が攻め込んで、セース朝を建てたんだよ」
「あー、そういうこと.....って、お前よく知ってるな。ここまだ教わってないだろ」
「!.....それはだな....前に本で読んだんだよ...」
「そうか。お前本好きだもんな」
危ない。言い訳が少々苦しいと思ったがなんとかごまかせた。ジャックが今やっている所はグレードⅢで既に習ったところだったのでつい教えてしまった。
さて、ここに来たはいいが、俺は何をしよう。一応、実年齢は20で、グレードⅤまで修了してるから、多分ここで勉強することないんだけど....。
そこで俺は、この教会が蔵している古書を見せてもらうことにした。シスターに尋ねると、勉強はしなくていいのかと言われたが、まあそこは押し切った。いくつか既習範囲の問題を出されたがすべて答えることが出来たので、シスターもそれ以上何も言わなかった。ほんと、真面目に勉強しててよかった。
蔵書庫に案内された俺は、目を輝かせながら、それらの背表紙を眺めた。
司書という職に就いている俺が見たことのない本が、ほとんどだったのだ。
シスターが子供たちのもとに戻った後、俺はそれらを読んでいった。もちろん全部読めるわけがない。結論から言うとその日読めたのは3冊だけだ。
*
読書に没頭して気付かなかったが、シスターが蔵書庫に俺を呼びに来た時、既に日は傾き、空と、そして書庫は茜色に染まっていた。
教会の外ではジャックが俺を待っていた。
「別に待ってなくてもよかったんだが...」
「いつも一緒に帰ってんだろ」
「...そうだな」
徐々に夕闇が空を覆っていく中、俺とジャックは家路についた。
昼に食事をした、自分の家とは素直に呼べない家に入ると、既に机の上には夕食が。そして中年の男が座っていた。
「アレクセイ。帰ったか」
「え...っと、ただいま」
恐らく父親(仮)だろう。
母親(仮)も食卓につき、夕食を食べ始めた。
「教会での勉強はどうだ?」
「まあぼちぼちだよ」
「そうか? 将来のためにもしっかりしとけよ?」
「分かったよ」
その後は無言で食事が進んだ。しばらく、人としっかりとした食事を摂っていなかった俺にとって、食器の音だけが響く食卓は、なんだか気まずかった。特に、この父親(仮)と母親(仮)は知らない人物なのだ。なんだか不思議な気分だ。
食事を済ませた俺は恐らく自分の部屋であろう一室に行った。
「さて、これからどうするか.....」
今日は、周りに態度を合わせるので精一杯だった。だが、忘れそうになるが俺は今異常な状況下に置かれている。
まず、この現象の本質。どうやってこの状況に陥ったかだ。ここは『竜と姫』の世界だということは分かったが、肝心の“どうやってここに来たか”が分からない。
やはり、考えてしまうのは術で幻を見ている説だな。現状、俺の想像力ではそれ以上考えられない。.....そうだな、あとは“本の中に閉じ込められた”、とかな。
まあ、理由も方法も考えてもあまり意味はないな。それよりこの状況を打破する方法だ。幸い、手がかりは0ではない。
俺は昼にポケットに突っ込んだ手紙をもう一度見る。
――ミオ=アレクセイ殿
役者たちの運命を知る者よ。そなたの力を持って、姫君とそなた自身の悲愴な運命を回避し、この寓話を上書きせよ。さすれば、現世への道は開かれん。
“役者たちの運命を知る者”ってのは俺のことだろうな。役者ってのは『竜と姫』の登場人物か。“姫君とそなた自身の悲愴な運命”は...、テレーゼ姫が夫である主人公を殺して竜になることか? そう考えるとやはり、『竜と姫』の主人公にあたるのは俺ということになるのか...。幸先が思いやられる...。
“この寓話を上書きせよ”の詳しいことは分からないが、“悲愴な運命を回避し”ってところから、どうにかして姫と俺の悲劇を阻止しろ、ということだろう。そして、そうすれば恐らく元の世界に帰られる。術を打ち消すことでも出来るのか?
さて、そうなった時に言うまでもなく出てくる問題が一つ、どうやって悲愴な運命とやらを回避するのか。俺自身が殺されずに済むだけであればこのまま、この村でのんびり過ごせば良い。だが、手紙が指令しているのはそれだけではない。姫様の悲劇も起こすなというのだ。
テレーゼ姫の悲劇は、彼女を虜にした竜が殺されたことが原因。ジャックによれば姫は既に竜に心を奪われているようだ。つまり、大元の原因を摘むのはもう手遅れ。
ではどうするか、竜を殺さずに姫の心を解放する方法。正直、今すぐには思いつかないな。そして、時間的猶予はあまりない。一刻も早く解決策を見つけねば...。
「とりあえず寝るかー」
思考が限界に来て、考えが詰まったら寝る。それがいつもの俺のやり方で、そういうスタンスで今までやってきた。
幸い、寝台に横たわったらすぐに意識は消えてくれた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
仰ぎ見ても、正面を見ても、そして自分が踏みしめている地面を見ても、澄み渡る青空。綺麗な空色だ。
以前も来たことがある。“あの子”曰く、ここは俺の精神世界らしいが.....
「なんだ? お前さん、信じてなかったのか?」
「.....急に現れないでください。驚きます」
「そこまで驚いているようには見えぬがなぁ」
そうこの子だ。前もこの子とここで会った。俺が所持している『
「どうしてまた現れたんです?」
「なんだ? 我と会うのが嫌だったか?」
「いえ全く。むしろこんな可憐な少女に会えて、俺嬉しいです」
「“どうして”と言ったな。前に話しただろ? 君の精神世界の半分を貰う、と。お前の意識が不覚醒状態の時に顔を出す、と」
「なるほど、確かに前にそう言ってましたね」
「じゃろ? ところでお前さん、随分と面白いことに巻き込まれておるな」
「面白いって.....。結構深刻なんですよ」
「ハハっ。お前にとってはそうかもなっ」
「ええ。あなたは.....そういえば名前をまだ伺ってませんでした」
「名前とは...我のか?」
「はい」
「そうだな。私は単なる魔導書の自我だからな。名前など持っておらんよ。なんならお前がつけてくれ」
「俺がっ?!」
「おう」
「え、えーっと.....そうですね...。じゃあ.....“ソフィー”...とか?」
「ソフィーか...」
「気に入りませんでしたか?」
「いや、気に入ったよ」
少女は白いスミレのような澄んだ笑顔を見せた。
「で、ソフィーは何かこの状況に心当たりはあります?」
「そうだな.....。とりあえず、お前が考えてるような、術の発動兆候は見られないな」
「じゃあ、幻惑魔法は使われてないってことですか?」
「そうだな」
「じゃあ、一体...。いや、今は他に考えるべきことが」
「ほう?」
「どうやって姫さんを竜の呪縛から解放するするか...」
「『竜と姫』か.....」
「ソフィーも読書経験がおありで?」
「まあな。つまり、あの竜を殺さずにあの姫さんを救うのが今回のミッションってわけだな?」
「俺、そこまで言いましたっけ」
「ふふっ。お前さんと精神を共有してると言っただろ?」
「恐ろしい.....」
「まあ、我から助言を与えることは出来ない。お前が自分の頭で考えるんだな」
「そうですか...意外と冷たいですね」
「そう言うな」
そう言うとその少女は消えてしまった。
俺の意識も覚醒した。
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