御伽の世界と魅せられた姫君

第14話 ≠異世界転生

暑期も過ぎ、日の出ている時間が短くなった。まだ暗くはなってはいないものの、遠くの空で白んでいる月を、俺は窓から眺めていた。


最近は色々なことがあったが今ではすっかり、元の落ち着きを取り戻している。その違いがなんとも言えない感傷的な趣を感じさせる。


本の匂いは俺にとっては、常に隣合わせのものだったのだが、しばらく距離を置いてしまうと、こんなにも懐かしく感じるのか、しみじみ思う。


今、この研究室には俺ひとりだけだ。アイザックの一件で、軍は後処理に追われている。シオリさんも例に漏れない。この仕事での癒しだった彼女を奪い去った(図書館に来る頻度が一時的に少なくなっただけだが)アイザックには万死をもって償ってもらわなくては。まあそうでなくても社会的には既に死んでいるのだが...。


アイザックはその後、精神院に監禁されているのだが、彼のその稀有な魔法の才能を潰すのは惜しいと、軍事利用を検討する意見が出ている。倫理的な問題から反対する意見もあったが、なにせ14人も殺しているのだ。賛否両論分かれている。


あいつも人気の騎士から一気に没落したな。犯行の動機も分からず終いだし、後味が悪い。軍の信用損失とか、色々爪痕を残したものだ。


っと、物思いに耽っている場合ではない。事件調査の時に溜め込んだ仕事を進めなければならないのだ。


(.....。ここってどういう意味だ?)

今やっている仕事は文学史の研究、だいたい4000年前のものだ。

具体的には当時の主義、思想の分類とかなんだが、いかんせん、歴史的背景を知らないと意味が分からない単語が多い。いつもならシオリさんにすぐ聞けるのだが、あいにく今はそれが出来ない。


(はぁ。取りに行くか)

仕方なく、調べ物のために本を取りに行くことにした。




一般の人に解放しているフロアにある書架から、目的の本を探す。本来はここから職員が本を持ち出すのは禁止されているのだが、書庫から探すよりこちらの方が楽なのだ。


「おっ、童話か。懐かしいな」


探し物をしようと目的の書架に向かう途中、ふと児童向けの童話のコーナーが目に付いた。

俺は成人している。もし周りに小さいお子さん連れの人たちがいれば怪しまれたかもしれないが、時間も時間である、人気はない。俺は興味津々に、その一角を巡った。


「『時計屋と嘘つき』、『ヴィオル弾きの老婆』、『グルームレイク』...、読んだことがあるのが多いな」

幼少期から本が読むのが好きだった。有名どころは基本、読んだことがあるのだ。


「この辺は聞いたことないな.....。『仄かな瞳』、『友なし王』、『妖精の遺産』」

大人になった自分すら心惹かれるタイトルがたくさんある。さすが国内一の蔵書数を誇るだけある。


「読みたいな...。でも今読んだら仕事が.....。くそ、なんで仕事中ってこんなに他のことが気になるんだ」



結局誘惑に負け、俺はその後2時間、手当り次第に童話を読み漁った。


「うん、童話と言っても馬鹿にできないな」

童話、童謡などは子供に対する躾や情緒形成が目的で書かれたものが多い。内容を深く考えさせるものがたくさんある。



「これは...読んだことあるな...」


目に留まったのは『竜と姫』というタイトルの本。悪い竜に心を奪われた姫君と、その姫に惚れた青年の話だ。あらすじは覚えているのだが.....詳しくは忘れてしまったな。


俺はその本も読みたいと思い、表紙をめくった。


結局俺は、その本の表紙をめくった後でも、最初に書架を一通り目にした時と、『竜と姫』の装丁が変わっていることに気づけなかった。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



昔の文学には“異世界転生”というジャンルがあり、人気を博していたそうだ。世界崩壊以前は魔法という概念は空想の中に留まり、世界は科学技術を基軸に繁栄していた。そんな世界の住民が超次的な力で別の世界に送られ、いわゆる“俺TUEEEE”で無双したり、元いた世界の知識で革命を起こす。そんなジャンルだ。


俺もそれらの作品を読んだことがある。かなり面白かった。

そしてその物語の主人公は、いざ、突然転生した時、きっとこう思うのだろう。



「ここ、どこ?」


――目の前にはのどかな草原が広がっていた。





最近の非日常な出来事のおかげで、不測の事態に直面しても落ち着きのある思考ができるようになった。

状況を整理しよう。と言っても考えることはそれほど多くない。


童話コーナーで本を読んでいたら、突然どこかの草原に立っていた。いや、正確には『竜と姫』を読もうとした時だ。


まさか、かの“異世界転生”に本当に巻き込まれたわけではあるまい。魔法の類がある世界、こんな異常事態に陥ったのも何か理由と、説明のつく方法があるはずだ。



「それにしても.....」


綺麗なところだな。

今立っているのは小高い丘の上だ。正面は見渡す限り青々とした草花、遠くには山脈が左右どこまでも続いている。湖らしきものもある。湖面は遠くの山を映し、注ぎ込む川は所々に走っている。

先程までのデスクワークで疲れた心身が癒される。

俺は力が抜けたようにその場に倒れ込んだ。


「あぁー気持ちいなー」


背中に感じる柔らかな芝の感触。頬を撫でる心地よい風。隣にある木の陰から木漏れ日が差し、俺を微睡みに誘う。


「こんな状況でも、寝て、しまえr............」





――何時間くらい経ったかな、寝る前の日の高さからして...、だいたい3時間くらいか。


なぜこんな境遇に立たされているかも分からないのに呑気なことだ。我ながら思う。


せめて人でもいればいいのに、少なくとも見える範囲に人はいない。



――ちょうどそう思っていた時、


「おい、アレクセイ! こんなとこにいたか...さっさとかえるぞ!」


後ろから誰かから話しかけられドキッとする。


「!?.....えーっとすいません、どちら様ですか?」

話しかけてきたのは知らない青年だ。俺と同い年...、いや年下だな。


「...? 何をくだらない冗談言ってるんだ? 真面目なお前らしくないな」

「え...? あ、いや.....」

「『真昼間からどこをほっつき歩いてるんだ』ってお前の母さん、カンカンだぞ?」

「.....。ああすまない」


正直、この男が誰なのかさっぱりだが、この状況を理解する上では役に立ちそうだ。幸い、この男は俺のことを知っているみたいだしな。



歩き出した男の後ろに、俺はついていった。

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