レモンバーベナのせい


 ~ 十一月十三日(月) 美術部 ~


   レモンバーベナの花言葉 広い心



 写真部を訪れて以来、俺を携帯でぱしゃぱしゃ撮っては『ちがう』とか『駄作』とかつぶやくこいつは藍川あいかわ穂咲ほさき


 悪かったね、駄作で。


 今日の穂咲は、軽い色に染めたゆるふわロング髪をティーカップの形に結って、そこにレモンバーベナの苗を浸しているのですが。


 バカの一等賞です。


 日本では香水木と呼ばれるレモンバーベナ。

 海外では葉っぱでお茶を淹れることもあるようです。

 とは言えさすがに苗ごとカップに突っ込むような真似はしないでしょう。



 そんなバカ……、もとい、バカに見える穂咲と一緒に本日訪れているのは、美術部です。


 おじさんが望んでいた、穂咲に将来就いて欲しかった職業。

 それを探し続ける旅路は長く。

 であるがゆえに、君は飽きちゃったんだろうね。


 どう考えても自分がやりたい事を探すだけになっている本日のチョイス。

 でも、そう思い通りにはいかなかったようで。

 穂咲は、油彩が苦手なのです。


「うう、この香りが…………。あたしの手と目をさいなむの」

「ほんと、普段と違ってびっくりするほど下手だね」


 テーブルに置かれているレモン、リンゴ、ワインボトル、籐の籠。

 そこから一つだけクローズアップして書いたようだけど。

 俺の見る限り、カボチャなんか置いてないと思うよ?


「よし! では、今日はあと十五分! 各自切り上げる準備をするように!」


 先輩が手を叩くと、すぐに道具を洗い始める人、キャンバスに慌てて筆を走らせる人、色々いるようだけど。

 しょんぼりと両肩を落としたのは君だけだ。


「どのくらい書けたのかな? …………なんだこれは。カボチャ?」

「うう、油絵は苦手なの。水彩画、書いてもいい?」


 さすがに眉根を寄せる先輩に、クラスメイトの江藤君が慌ててフォロー。


「せ、先輩! あの、後片付けは自分達でしますから、時間まで書かせてあげてください!」


 真面目で引っ込み思案の江藤君。

 おどおどしながらも、部長さんに無理を言ってくれて。

 頭が下がります。


「藍川さん、上手なんです! ほんとなんです!」

「……さっきも言った通り、十五分で切り上げるからそれまでだけだ。道具は貸してやる」


 先輩の温情にも感謝です。

 でも、そういう事なら急がなきゃ。


 俺は水入れを一杯にして持って来ると。

 その間に、江藤君が絵の具と筆、そしてパレットを準備してくれていた。


「ほんとに優しいね、江藤君。ほら、君からもお礼くらい言ったら?」

「…………ほんとに嬉しいの。ありがとうなの。ちょっと筆がくたびれてるけど」


 江藤君、苦笑い。

 ごめんね。こんなやつでほんとにごめんね。


 でも俺の視線がどれだけ呆れていても、ものともしない穂咲さん。

 絵の具をパレットで薄く溶くと、下書きもなしにべたっと画用紙へ塗りたくる。


 ほとんど水と言わんばかりの黄色で、床に置いた画用紙の半分程をびしょびしょに塗っているけども。

 ああ、レモンを書いているんだね。


 次に取り出した絵の具は、青、緑、茶色。

 これを少しだけ黄色に溶かして画用紙に乗せると。

 レモンの表面に凹凸が浮かんでいく。


 筆の速さに関心が湧いた何人かが寄ってきて。

 そのうち一人がぽつりとつぶやいた。


「上手いな……」

 

 うん、相変わらず上手い。

 でも、穂咲の絵はここからが本番。


 おおよそレモンとは関係のない赤い絵の具をパレットに取って、それをぽつぽつと画用紙へ置いて、水だけ付けた筆で伸ばしていく。


 するとあら不思議。

 テーブルに置かれたレモンより、ともすれば本物に近く見えるほど、香り立って来るほどの品が完成した。


「ふう! 満足なの!」

「相変わらず上手いね」


 俺が江藤君と共に褒めると、穂咲は珍しくえへへと目の横あたりを掻いた。


 すると床に敷かれたままの絵を皆さんが覗き込み。

 厳しい品評会が始まったのです。


「デッサンが甘いけど、レモンの香りが湧きたつようだね」

「色の使い方はまずまずかな。それに、まるでレモンの香りがするようだ」

「質感がまるで出ていない。なのに鼻を突くレモンの香りを感じる」

「というかこれ、ほんとにレモンの香りしない?」


 一人の先輩が画用紙を持ち上げて鼻を近付けて。

 そして皆さん揃って、鼻をクンクン。


「なんだこれ? レモン汁?」

「似たようなものなの」


 そう言って穂咲が持ち上げた水入れ。

 区分けされたうち、透明なままの水にはレモンバーベナの葉がたっぷり漬け込まれていた。


 なにをやっているんだか。

 自由人もほどほどになさいな。

 真面目に芸術へ取り組む皆さんに叱られるといい。


 そう思っていた俺の目に、とんでもない光景が舞い込んできた。


「天才だ!」

「これはいい! 風景画に森の香料を混ぜるとか!」

「ラメを溶かすのもいいわね!」

「いっそ、みずあめで絵の具を溶くとか……」


 途端に始まるバズセッション。

 ケンケンゴウゴウ。

 カンカンガクガク。


 うそでしょ? なに?

 ハンパない食いつき方してますけど。



 ……みんなおちついて。

 こんな邪道、ダメぜったい。



 呆然と立ち尽くす俺を捨て置いて盛り上がる美術部の皆様。

 ああ、早く過ちに気付いて下さい。


「自由な発想を!」

「広い心で!」

「絵は、表現は、いつだって自由でいいんんだ!」

「自由! バンザイ!」



 …………うん。


 もうておくれ。



 ねえ、そこでそうだそうだと腕を振り上げている君。

 君のせいで、ウチの美術部がコンテストに出入り禁止になりそうなんだけど。


 俺は絶望的な未来予想図に頭を抱えたまま、美術室にいとまを告げた。



 …………背後からは、いつまでもいつまでも、自由を謳歌する嬌声が響き続けるのだった。


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