ハツコイソウのせい


 ~ 十一月三日(金祝)  密会 ~


   ハツコイソウの花言葉 秘密



「違うの~~~!!!」


 祝日。

 甘美なるかな。


 日頃の勉強の遅れを取り戻すために朝からがっつりと机に向かい、昼飯のビーフストロガノフ(ねぎだく)に舌鼓を打って、庭の花に水をやる。

 いつもと同じ時刻に起きたおかげで、これだけ充実した一日を過ごしたのにまだ一時前。


「上手くいかないの~~~!!!」


 人間らしい生活。

 ゆったりと、お花を愛でる静かな昼下がり。

 ちょうどハツコイソウも満開になって、驚くほど色とりどりな姿を秋風に揺らしている。


 雑だけど、運だけは人一倍な母ちゃんが適当に植えた配色が実に見事。

 花壇に並ぶハツコイソウは、その花びらを二色のグラデーションで彩って。

 ピンクから青へ。白から赤へ。黄色から薄紫へ。

 それぞれが二つの色彩を揺らして、まるで季節外れの蝶が舞い踊るような美しさ。


「誰かに助けて欲しいの~~!!! ……そうだ!」


 よし、急いで駅前に出かけよう。


 静かな祝日を、俺は断固として守り抜く。

 勉強道具を持ってワンコ・バーガーへ逃げ込もう。


 そう決めて、手早くじょうろを片付けて。

 足早に部屋へ戻ると、クッションに腰かけた穂咲が俺を待っていた。


「おかしいだろ!? どんな速さで隣から走って来たんだ!」

「そんなことはどうだっていいの。それよりも、ママに内緒な事をするの」

「ちょっとは言葉を選びなさい。お茶を運んで来た母ちゃんが転げるように階段降りてったじゃないか」


 今夜は赤飯だな。


「あのね、あれを急に思い出したから例の物を作ってみたんだけど、どうもあれと違うみたいなの」

「説明する気はないのでしょうか? 指示語ばかりで分かりません」


 俺の文句を聞く耳、君が持ってないのは承知の上なんだけどさ。

 腕を引っ張らないでくださいよ危ないから。

 階段から落っこちちゃうから。


 普段は非力なくせに、なんで君はこういう時だけ力持ちなんでしょうね。

 俺は痛む手首をさする間も与えられることなく、お隣さんの勝手口からキッチンへと放り込まれた。


「いてて……。ん? この香りは……」

「しーっ! ママには内緒なの。シークレット・ミッションなの」


 ほう、シークレット・ミッション。

 それは母ちゃんからのメッセージを受けた携帯を片手に、ニヤニヤしながらこちらの様子をうかがうおばさんに見守られる事を言うのでしょうか。


「想定されている案件と異なりますので、どうぞ舌打ちしながらお店にお戻りください。さっきから店員さんを呼ぶ声がひっきりなしです」


 いやいや。

 だからと言ってほんとに舌打ちされても。

 なんか四角い箱置いてったみたいだけど、何それ?


 さて、それよりさっきの難問に取り掛かりますか。

 穂咲語通訳一級という国家資格保持者の俺による解答編、開始です。


「第一問。あれを思い出したと言うのは、シークレットミッションのことですね?」


 ぴんぽーんとばかりに頷く穂咲。


「第二問。例の物を作ったというのは、この鍋に入ったクリームシチューの事ですね?」


 ぴんぽーん。


「第三問。あれと違うというのは、お前が記憶してる味と違うって事でしょうから俺には分かりませんよ」


 ぶっぶー。


「道久君に思い出して欲しいの」

「どえらい無茶をいつもいつも」


 まったくこいつは。

 おばさんに内緒でクリームシチューを作って、それが記憶の味と違うとか言われましても。


「目玉焼きの時は偶然分かっただけです。今度は無理だろうから。…………その顔やめろ」


 こりゃまた正円にかなり近いほど膨れたね。


「あのね、違うの、これ」

「だから分からないです。味が違うと言われましても……」

「いいから食べるの」


 ああめんどくさい。

 それにお腹いっぱいだよ。


 でもそのまま膨れると、顔が縦より横の方に長くなっちゃうからしょうがない。

 鍋一杯のシチューを小皿に取り分けて、ずずっとすする。

 すると、俺の場合は眉根が落ちて、顔が縦方向に縮んで丸くなった。


「……どういうこと? ケチャップの味しかしない」

「そんなの入れてないの」


 うそだ。

 でも、確かにシチューは見事なクリーム色。


 もう一口すすってみたけれど、ケチャップをそのまま飲んでいるよう。


「思い出の味以前に、これはプチ奇跡が鍋の中に発生しています」

「やっぱりそうなの。……これじゃ、ママのお手伝いもできないの」


 しゅんと肩を落とした穂咲の頭をぽんと叩く。

 そうか、おばさんの手伝いになると思って家事にチャレンジしてみたんだね。


「なんで俺の昼飯はうまく作れるのに、こんなことになるのさ」

「だって、あれはママのお手伝いじゃないから」


 なに、その変な理屈?


「まあいいか。すぐに上手にできるわけないけど、少しずつ練習したら必ずうまくなるから頑張りなさい」

「そんな保証、あるの?」

「あるよ。編み物も少しずつ上手くなったじゃない」


 俺の言葉に、ようやくご機嫌を取り戻してくれたよう。

 穂咲はぱあっと笑顔を浮かべて頷いてくれた。


「分かったの! じゃあ、これからもちょいちょい秘密の特訓をするの!」

「はいはい。もうバレてるとは思うけどね。…………え? ちょっと待て。じゃあ、この失敗作を処理するの、俺?」


 ぴんぽーん。



 …………その時、ようやく気が付いた。

 おばさんが置いて行った小箱。


 そこに書かれた『食べ過ぎ・胃のもたれに!』という頼もしい文字に。


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