ブバルディアのせい


 ~ 十一月二日(木)  陸上部 ~


   ブバルディアの花言葉 不屈の精神



 白い息がリズムに乗って。

 グラウンドに留まる汽車ポッポ。


 でも、石炭は君の胸の奥で煌々と輝いて。

 細い顎を伝う汗をピカピカと眩しいものに変えている。


 一段と冷えた日だというのに。

 空気に白い輝きも映り込むような今日なのに。

 君の熱は、まるで真夏の太陽。


 でも、尖らせた唇から力強く熱風を送り出してぴたりと止めると、世界は氷に閉ざされる。


 そんな青で覆われたレールを、汽車は静かに、けれど力強く走り出す。


 目指す駅は、山の頂より少し上。

 たった一ミリでもそこを越えればたどり着く。


 今まで何度も中腹までしか登ることのできなかった汽車が、諦めることをまるで知らない勇敢な汽車が、速度を上げる。



 今度こそ。

 今度こそ。



 音もなく、空へ汽笛が鳴り響く。


 

 今度こそ、バーを越えてみせる。



 想いが、信念が。

 秋の空を埋め尽くすように、高々と鳴り響いた。




 ――軽い色に染めたゆるふわロング髪。

 授業中は背中でのんびりと揺れていた小麦の波。

 それを放課後になるとしっかり結わえて。

 覚悟の証に、頭に乗せていたブバルディアの花を俺に手渡して。


 …………ブバルディア。

 十文字に開くピンクの花びらが、その根元だけ燃え上がるように赤く色づく情熱の花。


 まるで上気させた頬と熱い信念を持った、今の君のよう。

 俺は花を握る手に力を込めながら、胸の中に溢れる熱い想いを吐き出した。



「跳べ―――――――っ!!!」



 熱い想いは白い翼になって、彼女の背中を確かに押し上げた。

 でも、彼女は天使になることができなかった。


 体は山の頂に達したものの、残る腕が落とした赤と白に塗られた冠雪と共に、地に落ちる。


 彼女は、今度も天使になることができなかったのだ。




「ああもう、見てられないよ。バーの上に落ちたんだ、どこか痛いだろ」

「大丈夫なの。……あとちょっとなの」


 一生懸命ということは実に美しい。

 時に見る者の心を穿ち、涙させ。

 時に見る者の人生すら変えてしまう。


 でも、見守ることしかできない俺は、心配でたまらない。

 そしてどうしても言いたいことがあるけど、それを言ってはいけない。


 苦しい。

 こんなに苦しいことが、他にあるだろうか。


「ちょっと休んでから行ったら?」


 俺の言葉に、首を左右に振る穂咲。

 自らバーを元の位置に戻し、脳裏に成功をイメージしながら俺から離れて行く。


 手の平を虚空へ掲げ。


 とん、とん、フッ!

 

 とん、とん、フッ!


 呼吸と首の動きとで飛び上がり、イメージが固まったところで再び息をつく。



 今度こそ。

 今度こそ。



 音もなく、空へ汽笛が鳴り響く。

 

 今度こそ、バーを越えてみせる。


 想いが、信念が。

 秋の空を埋め尽くすように、高々と鳴り響きながら俺に迫る。



 不屈の精神は必ず花開く。

 俺は、そう信じている。

 いや、そう信じさせてくれ!



 呼吸すら忘れて。

 助走の一歩が数十秒にも引き伸ばされて。


 上体のバランスもいい。

 歩幅もいい。

 踏み切り位置は、さっきより心持ち手前。


 仰向けに宙へ弾かれた体はしなり、バーを巻く軌道を取り始める。

 そのまま落ちることさえなければ行ける。


 でも、背中がバーの真上へ届くより先に、穂咲の体は沈み始めた。


 そんな。これではさっきと同じ。

 残った腕が、バーを落としてしまう。


 あと少しだけ、もう少しだけでいいんだ!

 神様!

 俺に、その子の背中を支える力を下さい!



 ……そんな想いが力になったのか。

 彼女はバーをかすめかけた腕を思い切り振って、空中で身をよじる。

 そのまま体は半回転。

 最後には、顔からマットへ落ちた。


 少しだけ触れたバーが支えの上で軽く跳ね。

 そして一つ音を立てると、その場に留まった。


「…………やったの。…………越えたの! やったーーーーー!」


 マットの上から、静止したバーを見上げる穂咲が膝立ちになって諸手をあげる。


 一生懸命ということは実に美しい。

 時に見る者の心を穿ち、涙させ。

 時に見る者の人生すら変えてしまう。


「おめでとう。本当におめでとう」


 目に、胸に。

 熱いものが沸き上がる。

 機材を提供してくれた陸上部の先輩も、拍手と共に穂咲を称えてくれた。


「ただ今の記録、65センチ」


 俺は穂咲を起こしてあげるために歩いてバーをまたぎ、マットに上った。



 ……言えるはずはない。

 でも、俺の気持ちはずっと一つだった。



 君にだってまたげるよ、これ。


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