クサギのせい


 ~ 十月二十六日(木)  アロマセラピー部 ~


   クサギの花言葉 治療



 びしょびしょマンへの同情の声が、思いのほか俺を悲しい気持ちにさせる。

 そんな心情を知ってか知らずか、今日も俺を連れまわす藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪をポニーテールにして、そこから何本もクサギを生やしているのですけど……。

 さすがにそれは考え無しとしか言えません。


 独特の五枚の白い花びらと、長い雄しべ。

 その花は綺麗なんですけど、クサギは臭い木と書くその名の通り、葉っぱを千切ると臭い香りを放つのです。


 まあ、一瞬で消えてしまう匂いなんですけど。

 朝から君がニヤッといやらしい笑顔を浮かべて葉っぱへ手を伸ばす度に逃げ出さなきゃならないから、さすがにヘトヘトですよ。

 びしょびしょマンの弊害で、少し具合悪いんだから勘弁してください。



 さて、そんな香り繋がりなのだろうか。

 今日はアロマセラピー部へお邪魔しているわけで。


「これもおじさんが言ってた可能性があるの?」

「ううん? これはあたしが興味津々なの」


 さいですか。


 とは言え、俺はいい香りには目が無いので。

 今日は積極的についてきたのだが。


 残念なことに、そんなに香るものではないらしい。

 さっきから提供されるアロマオイルの香りに、いまいちピンと来ないのです。



「これはローズマリー。美肌効果と、眠気覚ましにおすすめよ」

「ちょっと刺激的なの。でも、お料理とかでも馴染みのある香りなの」

「うーん、ほんのり緑の香りがするような……」

「これはイランイラン。幸せな気分を運んでくれるでしょ?」

「甘くてエキゾチックな感じなの」

「ごめんなさい。ほとんど香りません」


 こんな時期に三年生の先輩。

 お話を伺うと、香りについて勉強する学校への推薦がこんなに早くから決まっているらしい。


 なんでも、大会で好成績だったからお話をいただいたとのことで。

 そんな方がお勧めしてくれるというのだから繊細な香りなんだろうな。

 すみません、さっきから変な感想ばっかり言って。


 一年生部員のみなさん、三人そろってムッとしちゃっているけども。

 でも、分かりもしないのに社交辞令を言う方が失礼だと思うし。

 それにしても穂咲、良く嗅ぎ取れるね。


「ん? ……君、随分鼻声ね」

「ああ、はい。風邪っぽいかも。……あ、だから香らないのか」

「そう。……なら、鼻が通る香りを調合しよう」

「香らないのに鼻が通るんですか? 凄いですね、アロマセラピー」

「ええ、奥が深いのよ。ちょっと待っててね。……サンダルウッドとペパーミントを調合して来るわ」


 そう言いながら立ち上がる所作はゆったりと流れる雲のよう。

 物腰の柔らかな先輩だな。

 いい香りに包まれていると、心が優しくなるのだろうか。


 ……否。


 毎日お花の香りに囲まれてるのに、こんなにいやあな笑みを浮かべる子ができあがるという例もあるようだ。


「ちょっとやめなさい、穂咲。ここで逃げ出すわけにはいかないんだから」

「このチャンスを待っていたの。あたしの調合したアロマオイルを食らうがいいの」


 言うが早いか、穂咲はクサギの葉をむしって俺の前に突き出した。


「ぴゃーーーっ! ……ふにぃ、臭いの……」

「なんで息止めてないのさ。君は策士に向いてません。溺れまくりです」


 周りにいた皆さんも慌てて逃げ出すし。

 しかも俺には何にも感じないし。

 迷惑な上にバカだねほんと。


 椅子から転げ落ちて鼻をつまんでいるけども。

 葉っぱをむしった手で鼻に触れたものだから逃げ道が無くなって悶えるとか。

 実に見ていて飽きないね、君は。


「ふふっ……。後でお願いしようと思っていたのだけど。これがクサギの香りか。皆も逃げていないで、勉強のつもりで嗅いでおくように」


 先輩は調合したオイルを手に俺たちの前に戻りながら、香りを確認して満足そうに頷いている。


 やっぱり、大物は言うことが違うな。

 でも逃げちゃった皆さんには申し訳ない。

 こいつが現れなければ、そんな試練を課せられることも無かったでしょうに。


 先輩の事を尊敬しているのだろう。

 皆さんは涙目を浮かべながらも指示に従って。

 うええと声を漏らしつつ、顔をしかめてクサギを体験していた。


 ……俺も、こんな方がわざわざ調合してくれた香りを嗅ぐことができるんだ。

 さすがに変なことは言えないよ。


 そう思いながら差し出されたオイルを吸い込んで、口を突いた一言は。



「くせえっ!!!」



 さすがに怒りが沸点に達した皆さんが俺たちを部室からたたき出す。

 でも、先輩だけはクスクスと笑っていたのを見たから安心だ。


 ……すごいね、アロマって。

 一瞬で鼻が通ったせいで、クサギの強烈な臭いが飛び込んで来るなんて。


 俺と一緒に叩き出された穂咲は未だにグロッキー。

 床に手をついて、口で息をしていて苦しそう。


「うう、まだ臭いの……。うえええ」

「うるさい、近寄るな。俺だってうえええだ」


 臭いの元を放って歩き出した俺を、悲しそうに見上げる涙目。

 ……ああもう、自分でやったことでしょうに。


 穂咲の腕を取って立ち上がらせて、よろよろとする体を支えてあげる。

 この姿勢、俺の鼻が一番の被害に遭うのですけど。

 勘弁してくださいよ。


 先輩のおかげでせっかく鼻は通ったのに。

 俺はすっかり具合を悪くさせながら、家路についたのだった。


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