ミセバヤのせい
~ 十月二十五日(水) 水泳部 ~
ミセバヤの花言葉 大切なあなた
いつも賞味期限直前の調味料をいただいている手前、先輩からのお誘いを袖にするのも忍びなしと、料理部のスーパーバイザーという変な職に納まった
ねえ、昨日から違うよって何度も言ってるけども。
晴れた日に日差しを避けるようメッセを送ればいいの、とか言い続けてるけども。
なにから突っ込んだらいいのかよく分からないけど、とりあえず一つだけ。
サンバイザーじゃないよ?
そんなスーパーバイザーは、軽い色に染めたゆるふわロング髪をエビに結って、頭の上一面をピンクのミセバヤの花で埋め尽くしている。
雄しべが飛び出して、人によっては驚いてしまう見た目だけど、五枚のピンクの花びらが実に可愛い。
『見せたい』という古語そのままの名前に恥じない、見ていて幸せな気持ちになることができる手毬咲きのお花なのです。
……さて。
そんな穂咲に質問です。
「見せたいの?」
「じろじろ見ちゃいやなの。ちょっと理性を疑うの」
「じゃあ見ませんよ」
「そうするの。でも、ちゃんと感想を言うの」
「なにそれ? 哲学?」
独特の塩素臭。
揺れる水面に、黄色いフロートが縦に伸びる。
ここは室内温水プール。
響き渡る準備体操の声を発しているのは、女子水泳部の皆さん。
ねえ、感心して見てないで。
君もするんだよ、準備体操。
「いくらなんでも、水泳選手になって欲しいなんて思わないんじゃないの?」
おじさんが、穂咲に就いて欲しいと願った職業。
スーパーバイザーでは無い以上、探し続けるしか手立ては無いのだけど。
「海に行った時の思い出があるから、関係あるかなって」
「そうなんだ。……で? 思い出した?」
「着水してみない事には何とも言い難いの」
さいですか。
「昨日聞いてみたら、今日が女子水泳部の練習だって言ってたからちょうどよかったの」
「俺にはちょうど良くありませんよ。どうしろというのでしょう」
もっとも、穂咲を男子水泳部の練習に出すわけにはいかないけどさ。
俺はいったいどこを見てたらいいのでしょうね。
「秋山君! 先輩が許してくれたからって、ジロジロ見るんじゃないわよ?」
「見ませんから。原村さんなら分るでしょうに。こいつに付き合わされてるだけですから」
軽快に笑うのは、穂咲が帰り道に定期的に会いに行くワンコの飼い主、原村さん。
クラスメイトがいてくれて助かったよほんと。
「奈緒ちゃんの水着姿がセクシーなの。あたしはどう?」
「別に何とも思いませんから。あと、そっちを向けないから寄らないでください」
見るなと言ったり、褒めなきゃ怒ったり。
女子ってこの手の困らせ二択好きだよね。
私と仕事、どっちが大切? みたいな。
「えと……、一年生君。君がここで何にもしてないと怪しまれると思って、仕事持って来たよ」
「助かります! せんぱ……うおいごめんなさい!」
「あはは! もう、どっち見てたらいいか分かんないみたいだね!」
ほんと、どこを向いてたらいいのさ。
タイムの資料の書き写しか。
このノートから、こっちの記録用紙に書き込んでいけばいいんだな。
助かる。
ビバ、仕事。
プールに背を向けて、床に座り込んでノートを広げて。
なるべく綺麗な字で書き写していく。
仕事だからね、真面目にこなさないと。
……私と仕事、どっちが大切? か。
俺は仕事を大事にしたいって思うけど。
ちょっと具合が悪いとか、どうしても会いたいとか言われても、慌てて仕事を放り出して面倒をみるようなことしないと思うんだよね。
仕事なんだから。
一生懸命にやらないとだから。
「藍川さん!?」
「大変っ!」
にわかに響く悲鳴。
それが耳に入った瞬間、頭が真っ白になった。
何事か。
そんなことはどうでもいい。
俺は慌てて立ちあがってプールに駆け寄ると、水面に浮かぶミセバヤの花をめがけて飛び込んだ。
「穂咲!」
無我夢中になって泳いで、目的の場所にたどり着いたけど。
……どこにも、ミセバヤの茎がいない。
「あれ? 穂咲は!?」
水面から顔を出すと、おおという歓声がプールサイドから沸き上がる。
その中心でスイムキャップを片手に拍手しているのは、どう見ても茎の方。
「………………なにがあったの?」
「帽子をかぶろうとしたら、お花をプールの中に飛ばしちゃったの」
「紛らわしい」
ぐったり脱力したその瞬間、俺は青ざめることになった。
「一年生君。その、手に持ってるの……」
「…………ごめんなさい」
記録用紙。
台無しにしちゃったよ。
うな垂れる俺に、原村さんが例のセリフで問いかけてきた。
「仕事と穂咲、どっちが大切なの?」
顔、真っ赤。
返事を出来るはずも無く、俺はプールから逃げ出した。
……その日、各クラスの学級日誌には。
放課後、突如学校に現れたびしょびしょマンの目撃情報が多数掲載された。
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