第10話

夕暮れの学校の屋上。今日は珍しく誰もいない。

錆び着いたベンチに座っている。隣でアヤノは大人しく座っている。微かに歌うがここ数日は大分弱々しい。

マサキは意を決してアヤノの母親に電話を掛けた。

いつもは大体メールで連絡し合う事が多いので多分驚かれるだろう。


プルルルルル…待つ間に息が止まりそうになる。目を閉じて繋がる事を祈る。


『………もしもし、マサキさんですか』

囁くような、細い声が聞こえてきた。

「はいそうです」

声が震えないよう、いつもよりワントーン低い声になる。

『家の娘がどうかしたんですか?何か緊急事態ですか?』

「すいません、ずっと気になっていた事があってそれを確認したくてお電話させて頂きました」

『………なんでしょう』

警戒の声。でもここで躊躇ってはいけない。


「アヤノさん…彼女の遺書の内容を教えて頂きたい」


電話の向こうでアヤノの母親が息をのむのがわかった。


『どうして今更………』

あの母親の薄幸な白い顔が電話の向こうで俯いているのが目に見えるようだ。しかし情に絆されてはいけない。


「一緒にいるのにそれがわからないのはどうしてもすっきりしなくて。同級生などでゾンビを連れている者は大体遺書を読んでいると。その上で理由を承知してゾンビと付き合っている者が多いそうです。言い方が悪くて申し訳ありません、飼い主としてそもそもの死んだ理由を知るのは権利として認められる、と担任に聞きました。アヤノさんをこれからも大事にしたいので、アヤノさんの事は少しでも多く知っておきたいのです」


少し話は盛っている。しかしイムラやサワグチ、アイカワ、そして数少ない友人などからの話を繋ぎ合わせてマサキはそう判断したのだった。


「どうしても嫌という事でしたら強制はしませんが、僕は娘さんの体に入れ墨が入っている事を知っています。自傷の跡がある事も知っています。そして彼女に虐待の可能性があったとも思っています。十七歳の娘に入れ墨が入っている、それはおかしいですよね。学校で特に酷いいじめは無かった事もわかっています。なので彼女の体の傷は学校以外でついたものでしょう。そしてあなたのご主人…アヤノのお父さんが地位ある立場である事も知っています。そしてそのお父さんの犯した罪も僕は知っています。すいません、これは脅しです」


意志が途切れないよう、息継ぎをほとんどせずにほぼ一気にそう言い切った。脇の下に汗をかいているのがわかる。


電話の向こうの数秒の沈黙。このまま電話を切られてしまうかと思ったが、大丈夫なようだ。微かに息継ぎが聞こえる。電話越しに緊張しているのは恐らくお互い同じだろう。

そしてこの沈黙の間、電話の向こうから微かに祈祷のような声が聞こえる。

「…すいません、もしかして法事か何かの最中だったんでしょうか。何かそちらの身内に不幸があったのでしたら急いでアヤノを帰しますが」

わざとそう問い掛ける。こんなに流暢に思っている事を話せるなんて、生まれて初めてかもしれない。

『すいません、場所を移動します』

数秒の沈黙の後、アヤノの母親の背後から聞こえた祈祷の声が遠のく。

『………もしもし』

「はい、聞いています」

『娘は私の夫………要するに自分の父親の暴力を理由に自殺しました』

余りに想定通りの答えに今度はマサキが言葉を失う。自分の心臓が揺れるのがわかった。

あの日駅前で話したアイカワが本当はアヤノの事が好きで自分に嫉妬して嘘をついたのだと思いたかった。むしろその方が楽だったのに。


『夫はいつも後ろから娘の髪の毛を掴んで、自分の後継者だから印をつけると後頭部を抑え込んで首や背中に入れ墨や火傷の跡を。特にゾンビになる直前は何かにつけて衝突する事も多く、アヤノの怪我が絶える事はありませんでした』


そこまで生々しい話は聞きたくない。

こんな話を淡々と他人に喋る事が出来るなんて、多分この母親も病んでいる。全く感情の無い声だ。むしろ一番怖いのはこの母親かもしれない。

だが、アヤノが首の後ろ………正しくは後頭部周辺を触られるのを嫌がる理由がわかった。父親に後ろから攻撃される事が多かった、ということだろう。


「………遺書にはそれだけしか書かれていなかったのでしょうか」


不愉快な虐待の話を続けさせたくなくて気力を振り絞ってそう問い掛ける。

マサキは自分の膝をじっと見つめる。左手は隣に座るアヤノの手に触れていた。アヤノはぼんやりと空を見ている。

電話の向こう側で紙をガサゴソする音が聞こえる。恐らく母親は今まさしくアヤノの遺書を読んでいるのだろう。しばらくの静寂の後、電話の向こうで息を吸う音が聞こえた。


『誰かからもっと愛されたかった、と』


この電話でわかった事が他にもあって、アヤノの父親はゾンビになった娘をなんとかして延命させようとしているという事。

今となってはゾンビになってしまったのは仕方がない。

しかし長生きするゾンビは少ない。

長生きするゾンビには価値がある。

死は無駄ではない、と信者に示す事が出来る。

本当はアヤノには生きていて欲しかった。

ゾンビなんかにはなって欲しくなかった。

幹部としてゾンビを操る側にいさせたかった。

それが父親の願いだったのだという。

………それなら何故アヤノを虐待などしたのだろうか。

思い通りに育たなかったから?反抗的だったから?なんと勝手な父親だろうか。


「アイカワ君がここ数日欠席している事にもあなた達が関わっているのでしょうか」


自分はある程度踏み込んだ事情を知っているぞ、という更なる脅しのつもりでアイカワの名前を出した。


『彼は数日謹慎させられているだけで、明日にでも学校に戻れるはずです。怪我を理由に熱を出したので正当な理由での欠席のはずです』


そこで電話は一方的に切られた。あの母親は相当父親の目を気にしているようだった。


ひとつ大きく息を吸って吐き出す。スマホをカバンの中に丁寧に仕舞い込む。


アヤノは辛い思いをしていた。

だから死にたかった。彼女は敢えてゾンビになる覚悟を決めたのだ。恐らく親への反抗のつもりで。

そのアヤノを生き返らせる意味は果たしてあるのだろうか。

生かす事。それが彼女の望みではないのかもしれない。

しかし自分はこのままアヤノを失う事はしたくない。もう一度だけでいい、生きた彼女と話がしたい。

だから生き返らせる。

それくらいの欲、誰だって持つはずだ。例えエゴだとしても。


自分はゾンビになってからのアヤノをとても大事にしてきた。

それをきっとアヤノも受け入れてくれる。

自殺する時だってもしかしたらわざわざマサキ目掛けて落下してきてくれたのかもしれない。

あの家には関わるな。そう言われても、自分はアヤノを失いたくない。


マサキは決まった手順を終え、しばらくアヤノを見つめていた。

軋むベンチに改めてきちんと座らせ、マスクを外して素早く折り鶴を口の中に入れる。

アヤノは何度か頭を揺らした後、ゆるやかに体の力が抜けたのでそのままベンチに寝かせた。

今度目を覚ました時、彼女はゾンビではなく人間に戻っているはずだ。

そしたらこの綺麗な夕暮れを一緒に見たい。


五分。


十分。


彼女はなかなか目を開けない。

失敗か。

やはりネットでそんな簡単に方法が見つかるとは思っていなかった。あのサイトはガセだったのだろう。

マサキは深く溜息をついた。再び自分の膝を見つめる。今は心臓ではなく視界が揺れている、そんな気分だ。


ゾンビとして完全に電池が切れて死んでしまったのならきちんとこの亡骸をアヤノの両親に返却し火葬し燃やさないといけない。

マサキは頭を抱えしばらく目を閉じた。

結局これで終わりなのか。

その時ベンチが揺れた。

驚いて顔を上げアヤノを見ると、驚く事に彼女はしばらく瞬きを繰り返していたのだ。


生き返った!


マサキが彼女を見つめながら驚きで口をパクパクしているとアヤノはゆっくりとだるそうに上半身を起こす。

白い頬に黒髪が張り付いている。しかしそれは夕焼けの赤に染められ、特異な写真を見ているようだった。

そして真っ直ぐマサキを見て口から鶴の折り紙を吐き出すと、苦しそうに息を吸い込んだ。そして彼女は涙をボロボロと流しながら、しかし意志のある声ではっきりと言った。


「………あなた、誰だっけ?」


絶望が体を走り抜ける。



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