第9話
ゴールデンウィークが終わって数日ぶりにアヤノを迎えに行く。
宗教のマークだらけの住宅街を歩きながらアイカワの話を思い出す。今日久しぶりにここを歩くことに恐怖がなかったわけではない。
しかしアヤノはマサキのものでもある。所有権は主張したい。
呼び鈴を押す。するといつも通り不幸そうな顔の母親がアヤノを連れて玄関まで出て来た。先日のあの饒舌な母親はどこにいってしまったのだろう。そしていつも通りの形式的な挨拶を交わしてゆっくりと歩き出す。振り返るなんて怖くて出来ない。
休みが明けてからここ数日、アヤノの体が「ほつれてきた」ように感じる。
アイカワの言っていた事は本当だった。
ゾンビでも死ぬ。
アヤノは明らかに体が急に弱って来た。歩くスピードもかなり遅くなってきて、送り迎えに支障が出る日もあった。今のアヤノはどこか悲しそうに見える。
美術室でアヤノを見たイムラが一言「………なんか死んじゃいそうだな」とすぐに見抜いた。
今まで他人のゾンビにそれ程興味がなかったので、ゾンビがそんな簡単に弱って死んでしまうなんて考えた事もなかった。
「今まで誰にも言ってなかったけど、俺の家にも一時期ゾンビがいたんだよ。だからわかる」
イムラの兄が昨年末に一体のゾンビを手に入れたのだが、冬場の乾燥に耐えられずかなり早い段階で消費期限が来てしまったという。その話は初めて聞いた。
少し悲しそうな顔でイムラは「兄貴とは仲悪いし、あっという間にダメになっちゃったからあんまりベラベラ喋る事でもないかなと思ってさ」と言った。
マサキにしか聞こえない位小さな声で「だってうちの兄貴、嫌な事があるとゾンビの事殴るんだよ。『こいつは親にも友達にも見捨てられたクズだから何してもいいんだ』って言いながら。サンドバッグにするつもりでゾンビの飼い主になった奴が自分の身内とか滅茶苦茶気分悪いだろ」と付け足しながら。
イムラ曰く大事に扱えばそれなりに長持ちする。
しかし乱雑に扱えば突然電池が切れたように止まり、簡単に死を迎える。
結局あのガラムマサラのおまじないは不完全で一時的な延命でしかないという事だ。
下らない信仰のために使い捨てにされるゾンビ。なんて悲しいのだろう。
彼女が自分の前からいなくなるのは嫌だ。どうすればいいのだろうか。
このままゾンビとして死ぬか、それとも他の道があるのか。アヤノの意志を知りたいが、現段階でそれを問うのは無理な話だ。
自分は兎に角少しでも長くアヤノと一緒にいたい。
なんとなくアイカワともう一度話をしてみたくてアイカワのクラスに行った。アヤノは美術室でサワグチのモデルをさせている。サワグチの言う事を全て聞くわけではないが、おとなしくしている事も多いので短時間なら任せてしまう日もあった。
聞けばアイカワは怪我をしたとかで数日休んでいるという。
無事なのだろうか。不安になる。だが彼の家を知っているわけでもないし連絡先も聞いていなかった。案の定複雑な家庭事情のせいかクラスの連中との交流も少なかったようで、それ以上どうする事も出来なかった。
アヤノを失う辛さ。それを想像するだけで体が重くなる。彼女を家に送り届けた後、余りの悲しさに負けて汚い運河の橋の欄干から下に向かって吐いた。泣きながら、えずきながら吐いた。
困ったことは昔からいつも最初にインターネットで調べていた。
自分は子供の頃から余り友達が多いタイプでもなく、親との関係も悪くはないがドライだったのだ。マサキは未だにアヤノの事を両親には正確に話していない。人間不振、と言い切れる程でもないのだが、人に相談する事が少し苦手だ。先ず電子の海に質問する癖がついてしまっている。
真夜中。少し湿気が気になる。滲む汗を拭く。
薄暗い部屋でマサキはパソコンとずっとにらみ合っていた。高二の頃、バイト代を貯めて買ったノートパソコンだ。それまでは従兄弟のお下がりの古いパソコンを使っていたが、いい加減ガタが来ていた。新しいパソコンは最適なスピードでマサキに新しい情報を与えてくれる。
今日の最大のニュースは各都市で過激派に寄るテロが起きたという大事件。
いくつかは未遂に終わったようだが、それでも多くの犠牲者が出たという。
遠い国の出来事。
アイカワの聞いた宗教の名前で検索を掛けてみる。
この宗教のお蔭で生きる勇気が湧いてきた、という人間のブログがある一方で数は少ないがきな臭い噂も少なからずあるようだ。
「ゾンビ 生かし方」…この検索ワードは違う気がする。
「ゾンビ 延命」…これもなんだか違う。
「ゾンビ いつ死ぬ」…これは違う。
「ゾンビ 人間に戻す方法」…これだ。
緑色の折り紙で鶴を折る。
マスクをずらしてゾンビの口の中に入れる。
これがおまじない。ただし一番確実な蘇生方法である代わりに、何かしら副作用もあるという。こんな簡単な事だとは。拍子抜けもいいところではないか。
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