第8話
駅前広場のベンチに並んで座る。おかしな三人組だ。アイカワの連れていた少女ゾンビも大人しく座っている。呻き声を出さない代わりにずっと頭が揺れている。ゾンビは大体同じような動きをするものだが、自分が学校で見掛けるゾンビ達に比べると落ち着きが無い方かもしれない。
「で、どんな用件なのかな」
マサキがそう聞くとアイカワは手のひらで口を覆い、何か考えている素振りを見せた。そして振り絞るような声で問い掛けて来た。
「なあ、マサキは何をどこまで知っててアヤノと一緒にいるんだ?」
そう突然聞かれても、質問の意味がよくわからない。なんとざっくりした、曖昧な問いだ。
「………俺が偶然アヤノが自殺するところに居合わせたから俺が俺の手でゾンビにしただけ、そういう話じゃないの?学校でもそう言ったよね?」
それ以外答えようがないのだが、アイカワは困ったような顔を見せる。
何をどう話せば差し支えなくマサキに話が通じるのか考えているのだろうか。
自分はアイカワがそれなりにアヤノを好きなのはわかっているのだが、一体何を考えているのか、どういう立場にいるのかについては全く知らない。ただ、同じ学校の人間ということしかわからない。
アイカワは頭を掻きながら姿勢を正すとゾンビ少女の膝にそっと触れた。
「このゾンビ、シノって言うんだけど、シノは俺がゾンビにしたんだ。アヤノがゾンビになる二~三か月くらい前かな。一月の終わり頃」
話が余りに唐突過ぎて、マサキは面食らう。こないだサワグチに嫌な話を聞かされた時と同じ位驚いた。
しかしアイカワは気にせずシノというゾンビに触れたまま話を続けようとする。その先の話は更にマサキの頬を叩くような内容だったのだ。
「そもそもシノが死んだのはアヤノの親父のせいなんだよ」
アヤノとアイカワとシノは幼馴染。というより三人共遠縁ではあるが親戚同士とのことだ。
シノもアヤノに負けず劣らずエキセントリックな所がある少女で、案の定死にたがりだった。
これは思春期の女の子には珍しい事ではない。それをアヤノとアイカワの二人で一生懸命なだめすかしてずっと上手に付き合っていたという。子供の頃からずっと。
マサキは横目でシノを観察してみる。ショートカットで、キリッとした美人であるアヤノに比べると、可愛らしさはあるがどこかぼんやりとした雰囲気があった。
「アヤノの親父が新興宗教の幹部なのは知ってるか?日本中に支部がある×××っていう教団だ」
そのアイカワの問いにマサキは首を横に振る。宗教の名前は知っている。例の大学で問題になっているあれだ。こないだサワグチが言っていたあれだ。しかしアヤノの父親の事は実はほとんど知らないのだ。その事を素直に伝える。
「あの親父はここから三駅先にある中小企業のお偉いさんでもある。裏の顔は宗教家。母親は言いなりだ。俺たちが物心ついた子供の頃から。あんたはあっち側の高級マンションに住んでるからよく知らないだろうけど、俺たちが住んでるところはクズみたいな連中が多いんだよ。怪しい宗教にハマっている家も多い」
彼、曰く。
アイカワとシノは頻繁に会っていたし、連絡もマメにしていた。アヤノにはよく「あんた達付き合ってるみたいだね」と笑われた。
今年の一月、雪が降った寒い日だった。その日は二人で映画を観た後勉強を教えて貰う約束をしていたのに当日朝になり突然シノから「急に体調が悪くなって行けなくなった、うつすと悪いからしばらく会えないし、しんどいから連絡もほとんど出来ないかもしれない」と連絡が来たのだ。
違う高校ではあるが、シノは頭が良かったのでアヤノに教えて貰えない時はシノに勉強を見て貰う事もあった。
その電話をした時、シノの声は震えていた。
しかもシノがいるのは恐らく家ではない。背後から聞こえる音。多分宗教の祈祷所だ。シノの家からとても近い。
アイカワもシノも、勿論アヤノも、祖父母の代からあの宗教に属している。これはとても面倒で、我々の意思など関係なくそうなってしまっているのだった。
その時は背後の音に気付かなかったフリをしてアイカワは「看病しにいく?」と冗談めかして聞いてみた。するとしばらくの無言の後シノは答えた。
一時間後に私の部屋に来て、と。
そしてアイカワが慌ててシノの家に行くと、時既に遅く彼女は自室で服毒自殺をしていた。
口の中に紙が見えてこれは例のあれか、とすぐに悟って急いで復活の呪文を唱えた。
シノはあっさりとゾンビとして起き上がった。
ゾンビになって暴れるシノを押さえつけマスクを装着させる。少しおとなしくなったのでゆっくりベッドに寝かせたその時、遺書に気付いた。見るのには勇気が必要だった。だけれど見ないわけにはいかない。きっとシノは何か言いたいけれど言えない事があって、アイカワにあんな態度を取ったのだろうから。薄いクリーム色の便せんを恐る恐る開いてみると、そこには「アヤノの父親にレイプされた」と記されていたのだった。
その時の衝撃は言葉に出来ない。
呆然と座り込んでいると、そこにアヤノが現れた。シノがもしものためにアヤノにも連絡していたのだった。先に到着したどちらかが復活の呪文を唱えてくれるように。アイカワは咄嗟に遺書を握りつぶそうとしたが、寸出のところでアヤノに奪われる。
その遺書を見た瞬間のアヤノの顔は酷く歪んでいた。
アイカワの話は突飛ではあったがそれなりにわかりやすかった。
シノが死にたがりなのを利用して、アヤノの父親はシノをゾンビにしようと仕向けたのだ。
件の宗教には少女のゾンビの裸に触れる事で悩みが消える、罪が消えると信じられている。特に血筋が良く美しいゾンビであればある程良いとかいう戯言がまかり通っているのだ。
しかしアヤノの父親はアヤノの事はゾンビにせず生かしたまま自分の後を継がせるつもりだった。
流石に血筋を大事にする宗教の幹部とは言え、自分の娘をゾンビにするのは忍びなかったのだろう。しかも信者とは言え他人に娘の裸を触らせるなど言語道断と考えた。だから親類縁者の中で最も美しく、そして自殺願望があったシノに白羽の矢を立てた。
シノが例の方法で自殺するように仕向けたのはアヤノの父親。
それを知らずゾンビにしたのはアイカワだ。
そしてそれをアヤノに知られた。
アイカワはまさかシノがアヤノの父親に犯されて自殺をするとは思っていなかったし、呼び出されて家に行ったらシノが口に紙を詰めて倒れていたので慌てて呪文を唱えてゾンビとして生き返らせただけだ。誰だってそうするだろう。
好きな子がそんな姿で倒れていれば。当たり前だ。
アヤノは自分の父親が心底人間の屑である事を知っていた。しかしその屑がシノを殺し、そしてアイカワにバレてしまった。それ以来ずっとアイカワとの関係がギクシャクしていた。
成程、アヤノがアイカワを拒んだのにも理由があったのか。ゾンビだって葛藤するのだ。
「でもそれからそんなに間を置かずにアヤノまで自殺するとは思ってなかったし、まさか赤の他人のマサキがアヤノをゾンビにするとは本当に想定外も想定外だった」
アヤノの自殺は勿論、マサキの行動にもアイカワが驚いたのと同じように、アヤノの両親も驚きそして激しく憤ったそうだ。
特に父親はあんな赤の他人にアヤノを奪われるなんて、と何度も繰り返していたという。
だからなんとかマサキを宗教に引き入れられないかと考えたが、未成年である上富裕層であるマサキを相手に余り強硬的な手段には出られない。
実際マサキの両親もそれなりに社会的地位は高い。そもそも祖父が地元の有力者であった。
決して愛しているわけではない家がまさかこんなぼんやりと自分を守る事になるとは。
大人の世界とは全く予期せぬところで子供の世界を大きく動かすのである。
しかしあちらはこちらの事をすっかり調査済みということか。こないだ駅で母親に色々聞かれたがなんとなく家の事には踏み込まれたくなくて極力曖昧に答えたつもりだった。マサキは自分の家族が余り好きではないから。
ふと思い返すと何度も家の中にマサキを招き入れようとした母親。
理由はやはり勧誘目的だったのか。駅での件はなかなか踏み込む機会が無かった故に痺れを切らしてのことかもしれない。身震いする。
最初は浮ついていたので出来れば早く懇意になりたいとは思っていたが、むしろならなくて良かったということか。
「俺も最近まで少し洗脳が残ってたからあんたにアヤノを取られた事にイライラしたし、アヤノはゾンビになっても俺を拒否するしで因縁をつけるしかなかった。あんたは多分、アヤノとの関係が薄いからこそアヤノに取って嫌な印象がないんだろうな。だから言う事聞くんだ」
関係が薄い、と言われると少しカチンと来る。
これでもゾンビになってからはとても大切にしているし、二年の時は同じクラスだったのだから。無論、ほとんど話した事はないにしても。
「………なんで今日、あんな場所で声掛けて来たの。しかもそんなゾンビまで連れて」
今度はマサキがそう問い掛ける。
「多分シノはそろそろ弱って完全に死ぬ。そしたら用済みだ」
そう絞り出すように声を出したアイカワの手に力が入るのが見えた。
その時マサキは気付く。
ゾンビでも死ぬ事があるのか。
「そう考えたら俺は目が覚めた。シノはあの宗教にゴミみたいに扱われた、これからはあんな宗教には関わりたくない。あんたはいいとこのお坊ちゃんだし、アヤノの家には近づくとやばい。それを知って欲しかった。本当は今すぐにでもアヤノを手放した方がいいと思うけどあんたはしないだろ。だったらアヤノが死ぬまではずっとそばにいてやれ。でも死んだら全力で逃げた方が良い」
まるでそんなの、ロミオとジュリエットみたいじゃないか。しかもあんなに美しい話ではない。
今のアイカワの話で大体の察しはついたが、マサキは確認のつもりでアイカワに聞いてみる。
「最近のこのゾンビ騒動ってやっぱりあんたらの宗教が仕組んでるって思っていいの?」
アイカワはシノの手に触れながら静かに頷く。口にいれるための紙を配っているのはうちの宗教だ、とはっきり答えた。
「………なんで?なんで自殺させたりゾンビにさせたりするの?」
わからない事だらけだ。世の中不条理が多すぎる。
「自殺を良しとしない宗教ってあるだろ。地獄に落ちるとかなんとか。でもうちの宗教は『自殺をしても生まれ変われる、そしてゾンビとしてもう一度死ねば自殺の罪はチャラになる』みたいな教義があるんだよ。死にたがりからすれば福音みたいなもんだろ。自殺の肯定だよ。それでも死にたいけど死ぬ勇気が無い人は少女ゾンビの裸に触れば悩みが消えるとか罪が消えるみたいに信じ込んでる。そして生き残った信者で新しい世界を作れるとか思ってるんだ。面倒だし意味がわからない、破綻した論理だろ。結局ただの人殺し宗教の癖に」
シノを連れて帰って行くアイカワの後ろ姿を見送りながら、マサキはしばらく色々な事を考えた。
そしてこんな人の多い駅前であんな際どい話をしても良かったのだろうか、という事に気が付く。もし誰かに見られていたら、アイカワの立場が悪くなるのではなかろうか。
それが心配である。
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