第7話

ゴールデンウィークの初日。快晴。外出には最高の日だ。

アヤノの母親から許可を取って二人きりで少し遠出をした。

学校以外での外出を許可された事に驚いたが、昼に一度連絡を入れて欲しい、門限は破らないで欲しい、行き先を教えて欲しい、とキツく言われ、それを素直に飲んだ。

一緒にいることが多いとはいえ、デートらしいデートは今日が初めてかもしれない。

デートならばいっそ鎌倉の海にでも行きたかったけれど、ゾンビは紫外線だけでなく海水に弱い。

しかも観光地にある主要な飲食店は大体がゾンビ禁止で、その癖外に繋いでおくスペースもないという。古い街程ゾンビ対策は遅れている。無論、余りに先取りしているのもどうかとは思うが。

だからマサキは色々考えた結果人気の無い森に散策に行くことに決めた。

緩やかに整備された山のふもとにあり、どちらかと言えば大きな自然公園と言ったところだろうか。陽の光を極力避けて木陰の道をゆっくり歩く。これならそんなに負担はないはずだ。マサキは子供の頃から何度も祖父とここに来たことがあるし慣れている。

アヤノは揺れながら時折よくわからないうめき声をあげる。それは鳥の声にかき消される。でも時折何か歌っているのはわかった。今日のアヤノは機嫌が良い。


この道を歩いていると自分の子供の頃を思い出す。

いつもマサキを外に連れ出してくれるのは祖父だった。兄はいつも勉強ばかりしていたし、年齢差もあってほとんど一緒に遊んだ記憶は無い。

マサキの母はそんな兄に付きっきりだったし、父は仕事が忙しくやはりマサキに構う事は少なかった。ゼロではなかったし全く愛情を感じなかったわけではないが、なんとなくマサキは放任されていたと思う。同じ屋根の下に暮らしていたのに、マサキは亡き祖父と二人で暮らしていたような、そんな錯覚を覚える事がある。

だからアヤノが女の子であるとは言えゾンビになっても門限が厳しかったり毎日綺麗に洗濯した制服を着せられたり髪だけはきちんと手入れされているのは少し羨ましくもある。マサキはある時から自分の事はある程度自分でやる事を覚えた。全てではないが、洗濯と簡単な料理位なら手間を掛けずに出来る。


少し奥に行くと小さな神社がある。

歩き疲れたのかアヤノはここに来て急に動きが鈍った。

お参りをして、ベンチ代わりに置かれている石の上に腰掛ける。今日は連休初日とは思えない程人が少なくて良い。マサキはアヤノから背を向けて大急ぎで弁当を食べる。

ふとアヤノの母親に言われた事を思い出し、スマホで1枚だけアヤノを撮影し、そのまま送信した。電波が弱かったので時間が掛かった。

神社の境内でアヤノをモデルに何枚か写真を撮った後、また無心にスケッチをした。

帰宅してから写真を参考に色をつけようと思ったから。今日は荷物が増やしたくなくて画材の持参は最小限にしているのだ。

太陽がやや西に傾いている。

時計を見てそろそろ帰る時間が迫っている事に気付いた。

石の上に座ったアヤノの頬に触れる。こんな時でもマスクをつけたままにしていないといけないのは申し訳ないが致し方ない。

湿気のせいかそのマスクは微かに濡れているように感じた。周りに誰もいない事を確認すると、マサキは息を止めてそっとアヤノの頬にキスをした。マスク越しの一瞬のキス。なんのロマンも無い。しかも相手は無反応なゾンビだ。

それでもマサキは今日の事を出来るだけ覚えていようと思った。


帰り道、疲れたのか歩みがより遅くなったアヤノに合わせてゆっくり歩く。危ない道を歩く時は手を差し伸べる。帰り道にスピードが落ちるアヤノ。もしかしたら家に帰りたくないのだろうか。まさかそんなこと。

不意に立ち止まってアヤノの顔を見つめてみる。答えなどあるはずないのをわかっていて「帰りたくないの?」と問う。アヤノは呻きながら頭を少し揺らしただけだ。それは肯定なのか否定なのかよくわからなかった。

マサキはマサキで、帰りの電車が永遠に駅に止まらなければ良いのに、と祈る。何に対してかはわからない。

またいつものようにアヤノの家の門扉の前でアヤノを彼女の母親に受け渡す。今日に限ってアヤノはいつもより手を放すのが遅かった。少し躊躇った。今日から連休のため、学校が始まるまではほぼ会えなくなる。名残惜しい。きっとそう感じたのだろう。マサキはそう思い込む事にした。


その日の帰り道に何故か今更初めて気が付いた事がある。

サワグチに教えられたアヤノの入れ墨に似ているというおまじないのマーク。

その模様のステッカーを軒先に貼っている家がこの界隈に多い。

ふと耳を澄ましてみる。このステッカーを貼っている家に限ってゾンビのうめき声が多く聞こえて来るように感じた。気のせいだと思いたかった。それでもマサキの体を緊張が走る。そしてその緊張はマサキをとてつもなく早足にさせた。

その時不意に後をつけられているように感じた。気のせいだ気のせいだ全部気のせいだ。あの角を曲がればすぐに駅前の商店街で人が増える。そこまで行ってしまえば怖くない。

「待てよ」

あと数歩、というところで背後から声を掛けられる。

聞き覚えのある声な気がして振り返ると、アヤノの友達だという男子がいた。例のアヤノの事で何度かマサキに因縁をつけて来た彼だ。確かアイカワという名前だったか。

………驚いたのは彼が横にアヤノではないゾンビをひとり連れていた事だ。唇を糸のような物で縫い合わされた少女のゾンビがアイカワに手を引かれゆらゆらと揺れている。


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