第4話
美術準備室に入ろうとすると、中でイムラとひとつ下の後輩であるサワグチが言い合いをしていた。
身長百八十センチ近い現部長のイムラが百五十五センチしかない副部長のサワグチを見下ろして口論している様は、一見ただのリンチにしか見えない。
サワグチは肩より長い茶髪を乱暴に結んで今日の準備をしている。その横でイムラが諌めるように声を掛け続けているのだった。
マサキが軽くドアを叩くと二人同時に顔をこちらに向ける。
その時イムラは困ったような顔をしていた。サワグチは唇をへの字に結んでこちらを睨む。
興奮しているのか、サワグチの掛けている茶色いセルフレームの眼鏡が微かに曇っている。
イムラが躊躇うような口調で「今日もアヤノはいる?」と聞いて来た。
「うん、屋上でスケッチしようと思って。だから廊下で待たせてる」
何を今更、と思いながら答えると、サワグチが声を上げた。
「マサキ先輩、私もアヤノさんモデルに描きたいんですよ。ダメですか?アヤノさん、私が至近距離に近付いても嫌がらないし大丈夫だと思うんです。出来るだけマサキ先輩の邪魔はしませんから」
サワグチの突然のお願いにマサキは面食らった。
間に割って入ってきたイムラが「マサキは嫌がるよ、お前がやろうとしてる事知ったら。マサキはアヤノの事大事にしてんだよ」と止めようとする。
「普通に俺の隣で一緒にデッサンするとかじゃダメなの?アヤノが嫌がらない限りモデルにするのは自由だよ」
そうマサキが聞くとサワグチは足元に置いていた紙袋から白い布のようなものを取り出した。
「………服を着替えさせたいんです、被服部の友達が作ってくれたワンピースに。あと可能ならポーズ指定もしたい。マサキ先輩の言うことならある程度は聞くんですよね?ゾンビでも」
そのサワグチの言葉は流石に想定外で、マサキはどう答えるべきか悩んだ。
「私も本当は自分の言うこと聞くゾンビが手に入るなら欲しいんですよ、デッサンの勉強になるだろうし。でもなかなかうまくいかなくて。アヤノさんは比較的ゾンビの中では大人しい方だし、何よりルックスが好みなんです。『所有者』が一番偉いのは百も承知です。でもマサキ先輩の監督の元なら良いですよね?」
マサキが考えあぐねて黙っている間に一気にそう捲し立てられる。
サワグチは絵の才能もあるが口も達者だ。
他の女子部員はオタク系でコミュ障気味の口下手な子、又は糞真面目で大人しいタイプが多い。だからサワグチのようにてきぱき話せるタイプは珍しい方だ。だからこそ副部長に抜擢されたのだが、何故弁論部に入らなかったのかと思うことさえある。
「今日だけ、今この部屋に誰もいない間にサワグチが着替えさせるならいいよ。俺とイムラがドアのところで見張ってるからさ。ただ、もしアヤノが着替えを嫌がったら無しな」
アヤノはもしかしたら嫌がるかもしれない、と思ってそう答えた。
「機嫌が悪い時は首の後ろを触られるのを物凄く嫌がるから触り過ぎないように気をつけて」とだけサワグチに忠告したのだが、アヤノは意外と大人しく受け入れた。
白いワンピースを着せられたアヤノは不思議といつもより柔らかい表情に見えた。
帰り、サワグチは「迷惑掛けてすいません、ありがとうございました」とマサキに深く頭を下げて帰って行った。何度かアヤノの方を振り返りながら。
その翌日。アヤノの母から「今日は娘の体調が良くないので休ませたい」と連絡があった。
たまにこういう事がある。ゾンビなのだから体調が悪いも糞もないと思うのだが、もしかしたらマサキには言いにくい家庭の事情があるのかもしれない。だから「お大事に」とだけ返事をして久しぶりに一人で通学した。寂しい。なんだろうこの虚無は。
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