第2話

 校内でゾンビを連れて歩く生徒はそれ程珍しくない。

 多いわけではないが、一定数いる。

 しかしクラスでは地味なグループに属する自分が、美人なアヤノのゾンビを連れて歩いているのは密かに気分が良かった。

 突然自分が特別な存在になったような気がした。

 昨日まではゾンビなどろくに興味もなかったのに。

 今マサキの隣にはアヤノがいる。

 ゾンビとして自分の言う事を聞いてくれるのだ。なんというときめきと優越感。やはり「好きな子」というのはどんな形であっても特別だ。


 校内でゾンビを手に入れた者は職員室に申請しなくてはならない。

 美術室に行く途中に担任に会ったので一先ず口頭で申請した。担任は慣れた手つきでアヤノの胸ポケットの中の遺書を取り出した。

 担任はアヤノの親に連絡しておくと言った。後で美術室に書類を持って来てくれるそうだ。担任も手慣れた物だ。マニュアル通りの対応。とても安心感がある。


 この高校はいわゆるマンモス校と言われる学校のため、生徒が数人死んだ位屁でもない。

 不謹慎な話だが昔からたまにあることだそうだ。ゾンビとか関係なく。悲しい事に。

 いじめが原因の自殺とかならそれこそ大問題なのだが、大体の死因がそうではないのだ。人が多ければ多い程、わけありの数も増えるということ。

 だからこそ学校としても悩ましく憂慮すべき事態なのだが、良い防止策が無いのが現状だった。

 屋上のフェンスは直しても壊す輩がいる、出入り禁止にすれば鍵が壊される。

 最近は死にたがる側も狡猾であらゆる手段を取って来るのだからどうにもならない。

 余談だが、付属の大学では自殺者こそは少ないがその代わり新興宗教の勧誘が流行っているらしい。

 ただ漫然とした絶望が世界を包んでいる。

 大体こういう物はいつも若者を中心に広がっていく。


 現在六百人前後いる生徒の中で約八分の一程度が自殺した挙句にゾンビとして復活し、誰かの所有物として登校している。

 見せしめのように首輪をつけられ駐輪場に繋がれたままのゾンビもいれば、教室の後ろに繋がれたゾンビもいる。ペット扱い、又は下僕として見せしめとしてあらゆる理由をつけて自分のゾンビを連れ歩いている。

 ゾンビは意外と大人しく、口にマスクさえしておけば人を襲うことはない。

 ただ歩く死人としてぼんやりとしているだけだ。恍惚の人、と呼んでも差し支えないと思う。

休み時間、校庭では気の荒い男子達が自分のゾンビ同士を喧嘩させている。見世物小屋だ。

 自分の手を汚さず、自分が怪我をする事なく、ゾンビを戦わせる。代理戦争で汚れるのはプライドのはずだが、ヤンキーになり損ねた半端に勉強が出来る荒くれ達はそんなこと気にするはずがない。ゾンビの喧嘩を嘲笑う声がゲラゲラとこだまする。


 マサキは一先ず美術準備室にあった紐でアヤノの右手首と椅子のパイプを結び付けた。

 アヤノはうつろな眼で床に座り込んでいる。時折ユラユラ頭を動かして他のゾンビを呻き声で威嚇しながら。出来立てほやほやのゾンビだから意気が良い。

 美術部の中には勿論ゾンビ所有者も複数いる。それぞれがそれぞれの方法でゾンビを大人しくさせている。


 部活で使うつもりで持って来ていた手ぬぐいをとりあえずマスク代わりにしてアヤノの口を塞いだ。これで無駄に他人を襲うリスクは減らせる、はずだ。

 マサキが準備していると友人のイムラが少し遅れてやって来た。

「あ、アヤノじゃん」とマサキの傍らに目をやって笑う。イムラとマサキは一年の時からずっと同じクラスで仲が良い。


 ふと、去年同じクラスだった時にアヤノと言葉を交わした事を思い返していた。

 大した会話ではない。それでも鮮明に覚えている。

 ある日の放課後、部活を終えたマサキは忘れ物に気付いて教室に戻った。その時点で既に五時半を回っていた。

 夕焼けに染まる教室で、アヤノは机に突っ伏して寝ていたのだった。音楽を聴きながら。

 一斉下校時間が迫っていたので、一瞬躊躇ったが近づいてアヤノを起こした。

「………あの、アヤノさん、下校時間。そろそろ先生が見回りに来ますよ」

 そう言いながら机を軽く叩くと、彼女はずるずると起き上がった。しかしマサキの顔を見てもしばし呆けていた。何回かゆったりと瞬きをした後にヘッドフォンを外すと「起こしてくれてありがとう、美術部君」と台本を読むように言ってフラフラと立ち上がり、ヒラヒラと手を振りながら帰って行った。

 それ以外はろくな会話をしなかった記憶がある。でも、席替えで席が近くなった時、斜め後ろから見るアヤノはとても絵になるとずっと思っていた。

 そう言えば彼女はいつもヘッドフォンをしていたような気がする。

 あの日、アヤノは一体何を聴いていたのだろう。

 一度クラスメイトとイギリスのロックバンドの話で盛り上がっているのを見た事がある。

 マサキは帰宅して、動画サイトでそのバンドの    ミュージックビデオを見た。ロックバンドが室内で激しく演奏しているだけのそれをかっこいいなと思ったけれど、それ以後なかなかアヤノに話し掛ける勇気は出なかった。


 課題のデッサンをこなしていたら担任がやって来た。

 ご両親の希望で、アヤノの事は毎日彼女の家に送り迎えする事になった。学校にいる間や僅かな放課後は主な所有者であるマサキに面倒を一任するとの事だった。

 何故か親は我が子がゾンビ化しても極力学校に通わせたがるのだった。授業などまともに受けられるはずもないのに。

 こういう取り決めはよくある。

 所有者以外の人間とゾンビの接触は禁じられていないし不可能ではない。ただ本当にペットと同じで「誰の言う事を一番良く聞くのか」としたら「最初にゾンビ化させた所有者」なのである。


 アヤノの家は学校から近かった。

 高校の最寄り駅から二駅先のターミナル駅の南口を出て徒歩十分。マサキの家はその駅の北口からやはり歩いて十分。道路ひとつの関係でマサキとアヤノは中学校の学区が違う。

 地元が同じとは言え、少し手間が増えるのは事実だ。

 明日からは送り迎えがあるから少し早起きしないといけない。むしろ自宅から駅まで自転車を使った方が多少は楽になるかもしれない。そんな事を計算しながら電車に乗る。アヤノは大人しい。

ガタンゴトン。見慣れた景色。見慣れた駅。違うのはゾンビが横にいるかいないかというその一点に尽きる。

 最寄り駅が同じなのは知っていたが、具体的な自宅の場所は良く知らなかった。担任に貰った地図を頼りに住宅街を歩く。

その間マサキはずっとアヤノの冷たい手を握っていた。


 マサキは子供の頃からこの街に住んでいる。

 昔からマサキが住む駅の北口は有名な高級住宅街とまではいかないが、それなりに良い街で治安が良い。しかしアヤノの家がある南口の奥の方には一部スラムのような場所があるのだ。だから南口側のとある運河より先には子供だけでは絶対に行ってはいけないと小さい頃からよく言われていた。地図を見る限り、アヤノの家はそこに少し近い。


 目印になる駄菓子屋を超えると、それらしき白い壁の家が見えて来た。

 チラホラと汚い家が増えて来る中、アヤノの家は比較的大きく尚且つ綺麗に見えた。

 遠目に見ると決して新しくはないが、丁寧に手入れされた家だと感じた。外観だけ見れば悪い家ではない。ちょっと昔のちょっと立派な家。これはあくまで高校生の浅はかな判断ではあるが。

自宅に近づくにつれ、アヤノのうめき声が大きくなる。

 数十メートル前からインターフォンを押す瞬間の事を考えてマサキはとても緊張していた。

 なんと言って彼女の家族を呼び出せばいい?

 女の家に行くなんて未だかつて一度も経験がないのだ。そんな自分がスムーズに話せるのだろうか。

 しかしその身勝手な緊張は杞憂に終わった。家の外でアヤノの母親が待っていたからだ。


 それなりに綺麗ではあるが余り似ていない。


 第一印象はそれだった。

 化粧はしているしきちんと白髪染めもしているようだ。顔立ちは悪くないし年齢の割に身なりに気を使っていると思うが、痩せぎすでどこか地味な印象が拭えない母親だった。幸が薄いというのはこういう人の事を言うのだろう。

 マサキは上ずった声で、しかし出来るだけ丁寧に挨拶をする。

 担任から預かった書類や注意書き、遺書のセットも渡す。アヤノの母親はずっと悲しそうな顔を見せていたが、応対はとても落ち着いていた。

そして明日から毎朝決まった時間に迎えに来る事を伝えると、母親は「もしもの場合に備えて」と携帯電話の番号を教えてくれた。

 出来れば門限を守って欲しい、と言われた。父親がとても厳しいから、と。

 マサキはメモとペンを借り、電話番号とメールアドレス、部活がある曜日を殴り書きして渡した。大体部活のある日は何時くらい、無い日は何時位の帰宅になるかという旨を伝えながら。

 指が震えている事、そして制服のシャツの袖口に僅かだが血が付いている事にその時気付いた。やはり自分はまだ緊張している。


 考えてみれば成り行きと勢いで好きな子をおかしな形で手に入れてしまったのだ。感情がぶれるのは当たり前だ。


 母親はお茶でもどうかと言って来たが、初日からいきなりそこまで踏み込むのもなんだか申し訳ない気がした。それにもう夕食の時間が迫っている。なので丁重にお断りした。自分は紳士だとこっそり己惚れてみる。


 短い帰路につきながらマサキは唐突に叫び出したい衝動にかられた。

 しかしここでひとりでいきなり大声を出したらただの変態だ。

 早足で歩きながらモヤモヤがどうしても抑えられず、コンビニでコカコーラを買って一気飲みをした。

 春だが夕暮れはまだほんのりと肌寒い。体を震えが駆け抜ける。


 こっそり遺書を見ておけば良かったと今になって思う。

 しかしもう彼女の親に手渡してしまった。

 アヤノと親交のあった女子は何人か知っているが、全員違うクラスだしマサキとはそれ程仲が良くない。

 それにマサキが知る限りでのアヤノの性格からして、数少ない友人に相談しているとも思えない。だから女子から何か死のヒントを聞き出す事は難しいと判断した。担任も簡単に遺書に目は通したそうだが「いじめではない」としか言わなかった。そしてマサキに「出来るだけ大事にしてやるんだぞ」と言ってそれ以上の答えを避けた。

とは言えこれから家族と接する機会はあるのだから、タイミングさえ間違えなければ遺書の中身を知る事は出来るだろう。きっと彼女も何かに絶望してこの手段を選んだのだろう。


 皆何かしらの理由で世界に絶望している。そしてそういう奴は大体が生まれ変わりを信じている。あくまでマサキの主観ではあるが。

「生まれ変わったら幸せになりたい」

 それで何故ゾンビになる事を選ぶのかは自分にはわからない。

 運が良ければ優しい誰かの所有物になれる。それだけの事なのに。ただ思考停止して生きる。それが幸せなのだろうか。きっと彼らに取っては幸せなのだろう。

 安易な生まれ変わりごっこ。

 そこに希望を持つ病んだ人達。

 それではゾンビを所有する側の心理はなんだろう。

 考えてみよう。

 恐らく玩具が欲しいだけだ。

 少なくとも自分がゾンビを所有するならそれだけだと以前は思っていた。

 神様になった気分を味わいたいだけ。誰かを救った気になりたいだけ。誰かを簡単に支配したいだけ。

 でも今はどうだろう。

 やはり日常が少しだけ非日常になっただけに感じる。自分もただ新しい玩具を手に入れただけなのかもしれない。

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