アイ・ドント・ノウ

タチバナエレキ

第1話

 放課後、学校の裏庭にいたら好きな女の子が屋上から落ちてきた。

 目の前で倒れる彼女を前に、僕は早口でガラムマサラガラムマサラガラムマサラと唱えた。


 最近マサキの通う学校では自殺が流行している。

 正しく言えば、絶望的な世相を反映して世間一般で死ぬ事が流行っている。

 悲しいが事実なのだった。


 口の中に「おまじないを書いた紙」を忍ばせ、ポケットに遺書を入れて何かしらの形で自殺を試みる。その紙に秘密があるらしい。おまじないと遺書、両方がないと全てうまくいかない。

 自殺が成功した後、第一発見者がその死体と目を合わせてガラムマサラと三回唱えるとその死体はゾンビとして甦る。

 そしてゾンビはその「復活の呪文」を唱えた人間の所有物になるのだ。

 ただし自殺成功から一時間以内にその儀式が為されないと失敗となる。そうしたら自殺者は本当の死者として手厚く埋葬されるだけ。


 なんという不謹慎で不条理なオカルトだ。こんな科学技術が発達した現代に、信じられないような古臭い儀式で緩やかにゾンビが増殖している。

現在日本中でこういった事象が多発しており社会問題となっている。

 生まれ変わる事を信じてカジュアルに自殺をする者が増え、街を歩けばファッション感覚でゾンビを連れて歩く者がいる。住宅街を歩けばそこら中の家の庭からゾンビのうめき声が聞こえる。

地獄絵図とはまさしくこの事だ。


 自殺者が三万人を超えた時に社会問題になったというが、その後一度緩やかに自殺者が減り、反動のように緩やかに子供が増えた。しかし出生率の向上がある程度落ち着いたらまた自殺者が増え始めた。

 エンドレスのいたちごっこである。


 さて話を戻そう。

 マサキは何故その時裏庭にいたのか。

 裏庭の倉庫に美術部で使うイーゼルを取りに行っていたのだ。

 基本的には美術準備室に用意されているものではあるが、置ききれない分が少しだけ倉庫にある。今より生徒数が多かった頃の名残だ。捨ててしまえばいいのに、とずっと思っていたが、捨てるのも簡単ではないらしい。今年は何故か美術部の入部希望者が多かった。だから足りない分を倉庫に取りに行くように顧問に指示されたのだった。


 落下してきた女子は隣のクラスのアヤノだった。

 二年生の時に同じクラスだったが、この春からクラスが分かれたばかりだ。


 そしてマサキはずっと彼女に片思いをしていた。


「………アヤノ、アヤノだよな?大丈夫か?」

 勿論どこからどう見ても大丈夫なはずがない。

でも一応声を掛けた。完全に声は上ずっていたし腰も引けていたがこれは人の生理現象として当然だろう。

 彼女は血だまりの中でヒクヒクと動いていた。

長い髪に隠れてよくわからないが、血だまりの状態から察するに後頭部の辺りが多分傷ついている。首にはいつも彼女が使っていた大きな赤いヘッドフォンが巻き付いたままだった。

 沈黙の中、地面に叩きつけられたアヤノと目が合う。その時彼女の薄く開いた口の中にあのおまじないを書いた紙が収められているのが見えた。そして数秒後、彼女の痙攣がぴたりと止まる。

………死んだ。これは確実に死んだ。

その事を確認した瞬間、マサキは躊躇わず早口で三回ガラムマサラと唱えたのだった。考えるより先に口が動いたのである。


 機を逃さぬよう。それはつい最近死んだ祖父の遺言である。


 そしてマサキは彼女のお世辞にも余り美しいとは言えない死体をしばらく眺めていた。

 遠くから陸上部の声が聞こえる。吹奏楽部の練習が聞こえる。外を走る車の音が聞こえる。

 だが、今この時、この裏庭倉庫の前にはマサキとアヤノしかいないのだ。

 なんというドラマチックな世界なのだ。


 裏庭に呆然と立ち尽くしている垢ぬけない美術部員の男子。その目の前に倒れている血みどろのセーラー服。風に揺れる葉桜。

 これは友人に借りたカルト映画のワンシーンだろうか。


 正直臭い。

 それは否定出来ない。

 ゾンビを手に入れた連中はこれに日々耐えているのか。信じられない。好きな女でなければ、家族でなければ、大事な人間でなければ耐えられない。いや、むしろ誰であっても耐えられる気がしない。


 アヤノはなかなか動かない。

 マサキは仕方なく両腕に抱えていたイーゼルを一旦地面に置くと、しゃがんでアヤノの顔を覗き込んでみる。

 呪文が聞こえていなかったのだろうか。諦めて教師を呼びに行くべきだろうか。

「おーい」

 そう声を掛けると彼女は突然バネのように起き上がった。逆にこっちがびっくりして派手に尻もちをついてしまった。

「あ…あ…あ…」

 ゾンビになったアヤノはマサキの方に右腕を突き出して声を揺らした。


 成功だ。


 マサキは片腕で持てるだけのイーゼルを持ち、空いた片方の手でゾンビとなったアヤノの手を取った。持ち切れなかったイーゼルは彼女の空いた手に持たせた。素直だ。とても良いことだ。


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