File2:夢のような過去

 走り始めて四時間ほどだろうか。

 辺りはすっかり暗くなってしまった。

 沈黙の空気が車内に流れる。

 このまま進めば国境だ。

 国境目の前の検問所まで来た。

 ここを通ればメキシコに入れる。

「止まれ、こんな時間に何用だ?」

 検問所で止まり、警備員とおじさんが車の窓を開けて話す。

「友人に会いに行くためだ。時間がない、通してくれないか?」

「身分証明書を提示し通すかはそれからだ」

 警備員と揉めていると、不穏な金属音が後ろから鳴る。

 何か、重い何かが近づいてくる。

「な、なんだ?」

 警備員は音の鳴った方まで歩んで行く。

 一歩、一歩、また一歩と、それは近づいてくる。

 暗くてよく見えないが、人であることを確認した警備員は声をかける。

「な、何者だ?」

 返事はない、次第にシルエットは大きくなり、姿があらわになる。

 金属でできた動くマネキン、機人だ。

「なんだ、機人かよぉ……でも、うちには配備されてないはずじゃ?」

 安心しきったのか、機人に近づく警備員。

 おじさんは窓から身を乗り出し、叫ぶ。

「いますぐ離れろ! そいつは危険だ!」

「は? 何言ってんだお前?」

 おじさんの言葉に逆らうように、警備員は機人と顔を合わせる。

「排除対象ヲ確認、直チニプログラム実行二移リマス」

「え?」

 一瞬だ。

 先ほどまで繋がっていたそれが飛び、赤い放物線が描かれ、落ちる。

 警備員の足元は次第に赤くなり、体は力なく倒れる。

「排除完了」

 無常に響く声、僕とおじさんはようやく何が起こったのかを理解する。

 おじさんはアクセルを力いっぱい踏む。

 突然車が動き、体が揺れる。

 しかし、揺れに驚くほどの余裕はなかった。

 手は震えは強くなり、ずっと頭を押さえて伏せていた。

 自然と涙が出て、抑えることができない。

「……追ってきてないか」

 おじさんは少しでも安心させるためか、口に出して言ってくれた。

 それで少しでも楽になるわけではないけど、無言よりはよかった。

「友人のとこに言ってる暇はなさそうだ。メキシコに着いたらすぐに空港を使ってもっと遠くに行くぞ」

「……どこ……に?」

 喉から無理やり言葉を出して聞く。

「……ロシアだ」



 ◇   ◇



 朝だ。

 窓からさす日差しを浴びて目を覚ます。

 昔のことを夢として見るとは、今日の運勢は最悪なのだろうか。

 というか、完全な夢だったのではないだろか。

 いや、そうであってほしいという俺の欲が見せた夢。

 所詮は欲、事実であることに何ら変わりない。

「ハットリ君、そろそろ起きなさーい」

 ドア越しにモーニングコールがくる。

「あと十分……」

 俺は再び毛布を被り、目を閉じる。

 そして、すぐさま扉が開けられ、毛布を盗られる。

「あと何分ってやつはナシ! ご飯できてるんだからさっさと起きる!」

 仕方なく起き上がり、パジャマを着替え、階段を下りてリビングへ。

 テーブルには既に料理が並べられており、おまけに新聞まで用意されている。

「用意がいい、流石はアオイだ」

「家事ならまっかせなさい!」

 アオイ・サクラ、ロシアに来てからなのでもう十年前からの付き合いになる。

 今は俺とマスター、そしてこいつを含めた三人で暮らしている。

 俺たちは家事ができないので、家事全般が得意なアオイは欠かせない存在だ。

 まあ、それ以外さっぱりだが。

「マスターは?」

「カズタおじさんならもう出かけたわ。今日も釣りですって」

「相変わらずだな」

 俺は用意されたハムエッグを載せたパン加え、ミルクで流し込む。

 そして、新聞を軽く読む。

 この朝食と行動から俺の一日が始まる。

 いわゆるルーティーンというやつだ。

「アオイはもう食べたのか?」

「私は自分の作ったものを誰かが食べてるのを見るだけでお腹いっぱいだから」

「食費に優しい腹だな、太るけどな」

「余計なこと言わないの!」

「痛い痛い!」

 頬を引っ張り、更につねってくる。

 このコンボほど痛いものはない。

「アオイさんのお腹はスレンダーでございます!」

「よろしい」

 俺は引っ張られた箇所をさすりながら新聞を見ていく。

 そして、一面に書かれた記事に目を止める。

『アメリカ奪還作戦、いよいよ始動』というものだ。

「いよいよだな……」

 アメリカが機人によって乗っ取られてからもう十年経つ。

 俺がこっちに来てから五か月ほどでアメリカから人類は消えた。

 死者は一億人ほどと言われ、逃げ切った人のほとんどはメキシコやカナダで防衛ラインを築き、侵攻を防いでいる。

 そして、いよいよ奪還の時が来たというわけだ。

「アメリカのこと? そういえば、ハットリ君の故郷だったね」

「ああ、テキサス州ってとこなんだけど知らね?」

「ヒューストンがあるとこでしょ? 有名じゃない」

「だな。さて、そろそろ行こうぜ」

 俺は立ち上がり、既に用意していたカバンを持つ。

 同時にアオイも着ていたエプロンを外し、さっさと準備を済ませる。

 お互い玄関で靴を履く。

「ねぇねぇ」

 アオイが袖を引っ張ってくる。

「なんだ?」

「行ってきますのチューは?」

 俺は少し考える。

 本来、行ってきますと言う相手にするものを、誰もいない家にする。

 つまり家にキスしろと言ってるのかこいつは。

「……家にキスしてどうする」

「ちーがーう! 私に! するの、しないの!?」

「……結婚したらな」

「これは脈あり?」

「勝手にしろ」

 俺とアオイは外に出て、家の鍵を閉める。

 朝の心地いい風に長くなってきた茶色い髪が揺れる。

 俺はアオイに顔向けできず、少し早歩きで進む。

 アオイは半歩ほど開けて後を追った。

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