第2話 アビリティ


「疲れた……」


そう弱々しく呟いた言葉は誰の耳に届くこともなく、強く吹く風に呑まれて消えた。


「朝は寝坊するわ、電車は遅れるわ、おかげで遅刻するわ、課長に大目玉食らうわ、社長に呼び出されてこの前の『アエノシロ』での戦いを興奮気味に永遠とたっぷり一時間語られるわ…残業は増えるわ…あー…書類の山が目の前に見える……」


頭を抱えた。これは今日中にできませんよ課長~!とか言っている。完全に仕事病である。

涙目になりそうな彼女、千年は今日起こった不幸の数々をブツブツと文句にしてこぼしていた。


「傘は忘れたからこうやって、廃墟のアパートの前で雨宿りしてっけど…」


ゴォオオオという強烈な風の音。木々は引っこ抜かれるのではと思うほどに揺れ、ミシミシと周りのコンクリの壁が軋んでいた。


「傘あっても意味なくね?すっげぇ風。さすが台風だよね…」


遠い眼をして、彼女の脳は過去に起こった出来事を次々と走馬灯のように思い出していた。

思えばロクなことが起きない人生だ。覚えが悪く記憶力も悪い自分はいつもみんなの笑われ者で、要領の悪い自分の弱い部分が誰かに見つかり笑いのネタにされるたびに泣きそうになった。


「つくづく、弱い存在なんだよなぁ。」


そんな自分が嫌いだ。大嫌いだ。だからひと一倍頑張った。他の誰よりも数倍頑張らなければ“ふつう”になれなかったから。

だが、その“ふつう”の仮面をかぶっているのが辛くなってきた。何度も後悔してそれでも前に無理やり進んで、走ってきた。


「限界…なのかもしれんなぁ」


走りすぎたのかもしれない。本当に疲れてしまって、自分にとって大切なモノってなんだっけと頭を捻るも何も出てこないまでに重症になっていた。


もともと、身体も丈夫とはお世辞にも言えない。すぐにでも倒れてしまえるような持病持ち。すでに通いつけの医者にはいつでも準備は整えるようにしておけとまで言われてしまっている。


準備って、なんの準備だっつーんだ。葬式か?葬式の準備なのかええおい?


「冗談キツイぜとっつぁん」


思わずからわらいさえ出てくる。

風は相変わらず酷く外で暴れまわっている。雨の音も激しい。あーあ。家に帰ってオンラインゲームしたかったなぁ…


そう言えばあのオンラインRPG『アエノシロ』、難しいトコで止まってるんだよねー…と呑気に考えていた千年ちとせは、ふと頭上で誰かの話し声が聞こえ、立ち上がった。


「誰かそこにいんの?」


勇気を出してそう聞いてみたが、どうやら聞こえていないらしい。


「おーい?」


コショコショ話しみたいに静かで、しかし確かに聞こえてる。


(待って…何でこんな嵐の日に…誰かのコショコショ話しなんてハッキリ聞こえてくるの…?)


“ふつう”ならば、あり得ない。


そう思ったが最後、彼女はいきなり雷が落ちた音で驚いて瞼と耳をふさぎ、叫んでしまっていた。雷はとても大きく、どこか近辺きんぺんに落ちたのか…周りの電灯が消えてしまい、そこ一帯いったい明かりがなくなった。


「て…停電…?」


本当に、今日はついてないなと考えながら…彼女は携帯を取り出して周りを照らした。


そこでハタと気づく


「話し声がしなくなった……?」


瞬間、カサ…と何かがこすれる音。なんなんだと思いながら携帯のライトをボロアパートの傍の階段へ。すると、闇に紛れた何かが彼女へと攻撃をした。


「うわっ?!」


間一髪で避けた彼女はコケそうになりながらもなんとか体制を整え、その何かがまた攻撃してくるのを目のはしって…


「ていっ!」

『?!』


素早く足払いをかけて転ばそうとした。しかしその影のような人物は避ける。


「やっぱ、のようには…いかないよねぇ…」


まいったねこりゃどーも…といいながら脱力しそうな身体を精一杯集中力でとどめていた。


「少しだけ使える“アビリティ”を発動するかしないか…」


だって…。この相手は発動しなければ勝てないような気がするし


(発作がいつでるかもわからないし…)


千年は通院つういんをしようとし、病院まで行き、列に並んだはいいが…自分が呼ばれる前に逃げたのだった。

よって薬は予備のが家においてあるだけで。もしこんなところで発作が起きようものなら、確実に


(こりゃ死ぬなぁ。私)


相手は身軽にくるりと回転し、天井に張り付く。


「はぁ?」


思わず彼女が出した不満げな言葉を聞きながら、ソイツは天井を蹴りつけて加速し、千年ちとせへとまた攻撃を仕掛けた。


「ちょっと待ってよ!」


慌てて彼女が言いながら右へと回転するように避けながら、素早く立ち上がり砂埃りが舞い上がるその場所を目で把握し、一呼吸。


スゥと再び目を開いた彼女の瞳は真剣そのもので。そして…動作が急に静かなものになった。


「アビリティ“発動”」


相手も千年の変化に敏感に反応したようで若干、息をのむ音が聞こえる。


「なるほど…少なくとも思考“できる”生き物らしい」


そう彼女が相手へ言えば、その相手はかまわず再び千年へと攻撃を仕掛ける。黒い靄みたいなもので身体を多い包んでいてほとんど何も見えないが、どうやら手に持つ何かで千年を攻撃しているようだ。


三度目の攻撃はまた天井からで。スピードを駆使した物理攻撃。数倍早まったその攻撃は普通の人なら避けられずに致命的な怪我をおっていた。


「へー…」


普通の人なら…の話だ。


それを千年はなんともないように少しの動作で避ける。それはまるで、投げつけられた小石を避けるがごとく。


フイッと少し横にズレただけの動きは、まるで精錬された動きのソレで、ただ者ではないと感じ取れるには十分だった。


直後、彼女の隣のコンクリの地面は真っ二つに引き裂かれ、まるで大きな爪痕のようにザックリと地面に跡が残った。


暗くてよく見えなかったが、どうやら相手は鋭い刃物のような爪を使ってるらしい。


「私を殺ろうってワケ?」


ニヤリと意気揚々に彼女が笑う。


「上等!!」


彼女のヘーゼルの瞳が淡く青色に光るように輝く。まるで武闘家のようにポーズをとり、その相手へ自信満々にニヤリと笑った。


「かかってこいや」

『…』


相手は、明らかに纏う空気が変わった千年を見て何かを考えてから、地面を蹴った。ヒュウ…と風が通る音がし、それが過ぎ去るかと思いきや…パシッと千年が手のひらで何かを受け止めた。


彼女の、白に限りなく近いプラチナブロンドの長い髪がキラキラ光るように衝撃で揺れ動くが、その他はいたって静止していた。


『…?!』

「…」


千年は、あの一瞬で攻撃をしかけた相手の手首を瞬時に掴み、攻撃を相殺させていたのだった。


「ふいー…なんとかなった…かな?」


動けない事を悟ると相手は必死に逃れようとするが、ビクともしない。そんなもがく相手を見ながら、まるで興味が失せたかのように、千年が半目になった。


「かったる~…」


気ダルそうに千年がそう言いつつ溜息をするのを見て、相手は信じられないものを見ているように目を丸くし驚いた。


まだ危険かもしれない状況なのに、何故こんなに余裕があるのだろう?と。


「久々に『アビリティ』持った奴と出会えたからワクワクしたってーのに…あー身体だるー…家に帰って寝たーい…」

『お前…何者』


警戒心の強い声が、相手から放たれた。それを聞いてニヤリ不敵に笑う千年。首元の銀の十字架のネックレスがキラリ光った気がした。


「やっと何かを喋ってくれたね?」

『どう言う意味?』

「落ち着いて話をしようって意味」


千年が相手の手首を離せば、相手はバッと距離をとった。様子をうかがっているところを見るに、どうやら千年の話を聞くくらいは落ち着いたらしかった。


「よしよし。戦闘終了だな…アビリティ“解除”と…あーしんどかった……」


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