多少本気出したら大事になった
止められた化け物は素早く後方に飛び、距離を取った。
化け物は目を真っ赤にしながら真(まこと)を見据える。その目には怒りや殺意、そして恐怖の色が見られた。
全身のトゲを逆立たせ、前足を伸ばし、後ろ足を曲げ、戦闘体勢を取った。
「どうした?掛かって来いよ」
一方真は気にする様子も無く、フットワークを利かせながら化け物を挑発する。
化け物は挑発に乗ったらしく、前足に生えた三本の爪で攻撃を仕掛けてきた。
黒くカミソリのように鋭利な刃物はまっすぐ真の頭部めがけて降りてくる。
「<レベルゼロ>」
ボキボキと骨の砕ける音が聞こえてくる。そりゃそうさ。そもそもあんな化け物にロングコート何て、生身同然の状態で挑む時点でこうなる事は分かり切っていた。
真が殺られたと思ったショックで博(はく)の思考はしばらく停止していたが、すぐに意識を取り戻して、目の前に広がる信じられない光景を網膜(もうまく)に写す。
殺られたと思っていた真は両手をコートのポケットに突っ込んで、余裕の表情を浮かべている。一方の化け物は、先程攻撃に使用していた前足を押さえながらうめき声を上げている。
良く見て見ると、その前足は関節でもない場所であり得ない方向に曲がっていた。
「ま、こんなもんか」
その場の時間が暫し止まった。
生徒も教師も化け物も一体何がどうなっているのか理解ができなかった。
ようやく思考を取り戻した化け物は、一歩、二歩と後退(あとずさ)りしてから手負いの現状で出せる最速と思われるスピードで先程まで自分に生えて居たトゲで引っ掻き傷だらけの廊下を駆け抜けて行った。
少なく見積もっても二メートルはある巨体がチーター並みの速さで逃げ去って行く。
これには、真も初めて表情を変えた。
変えたとは言っても、ずっと余裕の笑みを浮かべていたのが偶然昔の貯金箱を見つけて、中に五百円程入っていて、少しだけ驚いたように口を丸く開けるだけだった。
すぐに真は背後に居た化学科の教師に向かって声を発した。
「先生、今日は見ての通り急用が出来たので、今日のところは早退させてもらいます。ついでに警察にも連絡しておいて下さい。では」
言い終わると、真は化け物を追いかけるべく先程化け物が逃げ去った方向へ駆け出した。
しかしその様は駆け出したと言うよりも、「跳んだ」と表現する方が正しいかもしれない。
実際、誰も真が動く瞬間を捉え切れなかった。それこそ、動いた瞬間に生じた風圧や衝撃波が無ければ瞬間移動だと言われても納得できる程に。
「一体...あいつは何なんだ?」
◇
「結構マズイな」
そうぼやきながら真は化け物と学校中を走り回っている。
もうここまで来たら、さすがにお分かりでしょうがやはり普通じゃない。
三本の足だけでよくもそんなに走れる物だと感心する程のスピードで逃げて行く化け物に対して真は、化け物が勢い余って破壊した瓦礫(がれき)をまるで猿の如く掴んだり踏み台にしたりを繰り返しながら追っている。
「何としてでもこの先に行かせる訳には行かない」
真が案じているのは他でもない。化け物が逃げている先には中等部の校舎がある。
まだこの事態が伝わっていない可能性がある以上、すぐに仕留め無くてはならない。
◇
真と離れた後、柚梨は中等部で普通に授業を受けていた。
「それでは、授業を始めます」
数学科教師の号令でいつも通り三時間目の授業は始まった。
柚梨は、数学の練習問題を解き進めながら
──今日の昼食は何かな?最後に家の冷蔵庫を確認した時に残っていた食材から考えて炒め物かな?
何て中学生にしては多少可愛らしい事を考えていた。
授業を始めて数分が経過すると、突如高等部の方から轟音と悲鳴、そしてその後に続く静寂が聞こえて来た。
「えっ何?どうしたの?」「何が起こっているの?」「テロリストの襲撃?」
皆が口々にざわめき始める。更にそれに追い討ちをかけるように放送が入る。
『現在、校舎内にて正体不明の怪物が侵入しました。各教室の先生方は速やかに避難指示を出して下さい。繰り返します...』
「ウソでしょ...?」「私達、どうなっちゃうの?」「警察にはもう連絡ついたのかよ?」
ざわめきは一瞬にしてはパニックとなり、教師の指示はほとんど通らなかった。
その中でも、最も混乱したのは他でもない柚梨だった。
「姫村さん!どこ行くの!戻りなさい!」
──戻る?そんな事、できる訳無いじゃない。
怪物、轟音、悲鳴、静寂。
普通に考えれば、怪物が現れ、暴れて、皆が殺された。そう考えるしかない。
──お兄ちゃんは、無事なの?
そう考えるだけで気が気じゃなくなる。
気付いた時には既に、高等部につながる渡り廊下を走っていた。
渡り廊下を渡り切ると、どこからともなく轟音が聞こえてくる。
今さらではあるが、今まで麻痺していた恐怖の感情が込み上げて、足が鉄球に繋がれているように重くて動かない。
壁が破壊される轟音は確実にこちらに向かっている。とても逃げられる状態ではない。
──どうしよう...このままじゃ...
考えるより先に、轟音を作り出していた張本人が姿を現した。
猛スピードでこちらに突っ込んで来る。
人間は死が近づくと、走馬灯が見えると言うが、どうやら本当らしい。
柚梨は、今までの記憶がカメラのシャッターを切るように一瞬の内にフラッシュバックした。
確かあれは五歳頃の時の事。
突然、孤児院から知らない人の家に連れて来られた。
しかし、大した緊張はしていなかった。孤児院では、しょっちゅう水を掛けられたり、物を隠されたり、良かったと思える記憶はほとんど無かった。
その時の記憶は今でもはっきり覚えている。無表情で死人の様な目をしていた自分を家族として迎えた狩野家の皆の事。そして、そんな自分に絶えず声をかけてくれた真の事。
当時は何を言われても無口で何も応え無かった柚梨に真は根気良く接していた。
ぎこちない手つきでカードを切りながら
『なあなあ、ゲームしようぜ。トランプは好き?』
と聞いて来たり。
タンポポを摘んで来て
『息を吹き掛けて見なよ。面白いよ』
と言いつつ結局自分で吹いて飛ばしたり。
いつの間にか柚梨の方も心を許していた。
──自分はまだその恩に応えられていない。
そう思うと涙と共にこの一言がこぼれ落ちた。
「お兄ちゃん、ごめんなさい...」
既に化け物は目の前に迫っている。身構えながら目を閉じていると、近くで打撃音と激突音が聞こえた。
あわてて目を開けると、化け物は右側の壁にめり込んでいた。
そして何より目の前に黒いロングコートをはためかせながら、化け物を見つめている人影が見えた。
涙でぼやけて良く見えないが、この背中を見間違えるはずがない。
「...お兄ちゃん...?」
言いたい事、聞きたい事は沢山ある。それでも絞り出せたのはこの一言だけだった。
真の右足のかかとには化け物の物と思われる限りなく黒に近い紫色の血が付着していた。どうやら回し蹴りを打ち込んだらしい。
壁にめり込んでいながら、未だに化け物は死んではいないらしく、グルルと唸り声を上げている。
「レベルゼロの攻撃を二撃もらってもまだ生きてやがるか」
トドメを刺すべく真は手を上げると、柚梨はまた目を閉じた。
数回の金属音を経て、辺りは静まり返った。
柚梨が再び目を開けると、そこにはぐちゃぐちゃになった化け物の死骸......ではなく、どこから持ってきたのか真に鋼鉄のワイヤーで繭(まゆ)の如くグルグル巻きにされ、真は更に縛りをきつくするべく、足を巻いたワイヤーに踏ん張りながらワイヤーの端を両手で引っ張っている姿があった。
ほどけない事を確認すると、柚梨の方にゆっくりと歩いて行った。
『何考えているんだ!』
『一歩遅かったら、死ぬ所だったんだぞ!』
『何でこんな無茶したんだ!』
色んな怒られ方を覚悟した。普通なら怒られる程度では済まされない。
しかしここでもやはり真は普通じゃなかった。
「よしよし、心配を掛けたな」
真は柚梨の頭をポンポン叩きながらロングコートのポケットに入れていたハンカチを取り出して、顔を拭いてやった。
本当は柚梨には聞きたい事が山ほどあったが、今はとても聞く気にはなれなかった。
「さて。こいつどうしよう」
「それはこちらに渡してもらおう」
どこからかそんな重厚な声が聞こえた。
姿を現したのは、真とほぼ変わらない年に見える少年。スーツを着ていてどこか通常の人間とは思えない違和感があった。
「アンタ、何者だ?」
真は問いかける。
「詳しくは着いた先で話す。正門に車を手配してある。」
真は暫し考えた。
「いいだろう」
「賢明な判断に感謝する。学園側には我らの方から連絡しよう」
柚梨はそのままついて行こうとする真の裾を掴んだ。
真は全て察したように柚梨の頭を撫でながら、言った。
「大丈夫。夕食までには戻って来る。それまでお留守番頼んだよ」
そういつも通り優しく微笑み掛けてくれた兄の事がこの時、どこか遠いように感じた。
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