ポルポローネ

 ミンシカは舌鼓を打った。

「これおぃひぃ」

 ポルポローネがどんどん減っていく。

「本当にここでやるの?」

 バールは死霊術の書架の列の間にある通路の行き止まりに置かれた大きな姿見の前にいる。ミンシカはその側の書架の間に隠れるようにしゃがみこんで、焼き菓子を頬張っていた。

 気の進まないバールはちらちらと落ち着きなく背後を気にしたり、周囲に目を配ってみたが、今のところ他に誰の姿もなく、夕げの時間が近づくほど来館者が減ることを予想すると、このあたりが人目につかなくて最適なのかもしれない。


「でも、ミンシカが無事でよかった。……あれから大変だったんだよ」

 バールは気分を変えるようにミンシカに話しかけた。

「しってる」

「知ってるの? ……行方不明だった人が見つかったことも?」

「……」

 ミンシカは指先についた粉をペロペロ舐めながらバールを見つめる。

「どの魔法にする?」

 話題を変えられ、答えに詰まった。

「バールには目的がないの?」

 ミンシカの質問がぐさっとくる。

「なんでもいいんだ、おれに使えるものなら。使えるかどうかもわからないし、魔力はあるって言われたけど、講義もたくさん受けたけど、ちっとも……出ないんだ」


 ミンシカは書架から這い出して来ると、鏡の前でひざを払って立ち上がりその場でくるっと回ってみせた。回りながら高らかな声が上がる。


「きれいな星が見たいっ」


 声の途中からはじける光の粒が頭上の宙空からあふれ、渦を巻いて飛び交う。

 はっきりとした力の差を見せつけられるような気分がした。

 手のひらに飛び込んで来る星の粒に触れながら、バールは光に巻かれて微笑む少女に目を向ける。

「ミンシカ、きみはどうして杖も呪文も唱えずにこんなことができるんだい?」

「バールにもできるわ。おいしいお菓子のお礼に力をかしてあげる」

 小さな流星を引き連れてバールの前に立ったミンシカは、彼の手を取って頭に乗せる。

「まっすぐ前を見て」

 言われて顔を上げると姿見に自分と後ろ姿のミンシカが映っている。

「自分の中に魔力があることは忘れて」

「うん」

 鏡の中の見慣れた自分の顔に視線を固定したまま、素直に耳を傾ける。

「バールの魔力はあたしよ。星は飛んでる?」

「とんでる」

「あたしが力を与えるから飛んでるの! あたしが力そのもの –––––– バールはなにが見たい?」

「おれは……」

 星の光りが強くなり、意思が手の先に伝わっていく気配がする。

「あたしの魔力でなにが見たい? あたしに願いをかけて」

 心が動く。ミンシカ––––––しゃべる魔力に引っぱられ漠然とした想像力が輪郭をかたどろうとする。

「おれが会いたいのはかっこよくて……」

 バールは目を開いたまま深く意識の海に潜り込んでいった。

「もっと、もっと、かけて、願いをあたしにちょうだい……」

 ミンシカの声がくぐもり姿がぐしゃりと変わって、ぐうぅっと体積が増していく。

 手の平に感じる変化は、今や完全にバールの意識と同化して違和感がなく、ふくらむ不安定な形を固定しようとさらに意識が注ぎ込まれ、焦点が絞られていく。

 研ぎ澄まされた意識と無意識のはざまでふとよぎったもの。

(マノアさん……?)

 強さと安心感の象徴。その言葉を起点に意識が晴れ上がり、想像の粒子は整列した。

「つよくてかっこいい女性ぃっ」

 空いてる方の手を拳に固めてバールは吠えた。


 気がつくと、自分よりも頭ひとつ高い位置にある見知らぬ人物の顔を見上げていた。

 ふんわりとした淡い空色の髪を高く結い上げた豊満な体つきの女性、黒い裾広がりの衣フレアスカートは肩を露出させた細身タイト衣装コスチュームに変わり、割れ目スリットの隙間から陶器のように白く形のいい脚が飛び出している。

(でかっっ)

 マノアから具体的に連想した強さと安心感の象徴というべき双丘を持ち上げるように腕を組んで、見覚えのある赤い瞳をすがめた女は、血に濡れたような赤い唇を開いた。

「最っ低っっ」

 バールは目をむいた。

「ミンシカ!?」

 ミンシカだった少女は大女になってバールを見下ろしている。

「まったくもう」

 ぶるるっと大きなミンシカが体を震わすと姿が元に戻り、バールは残念そうな情けないような声を出した。

「あぁぁもったいない……すごくかっこよかったのに」

「あんまりうれしくない。わかったの、バール?」

「え、なにが?」

「だから今みたいにすればいいんだってば」

「?」

「魔法を使う時、バールは想像する真似ばかりしてて、本当に願うことを忘れてるのよ」

 そう言われても、バールは首をひねる。

「願う?……炎を出そうとか考えるんじゃだめなの?」

「あたしが炎を出そうとする時は、」

 ミンシカはぱんっと体の正面で手を打ち鳴らした。


「図書館なんて燃えてなくなれ!!」


 開いた腕の中に激しく燃えさかる炎が膨れ上がり、バールは思わず身を守るように両腕をかざして顔をそむけた。

 ポンッ

 空気が抜ける音とともに一瞬にして熱と光が消失する。

 見るとミンシカが大量の汗をかき、ぜぇぜぇと肩で息をしていた。

「ぜぃいっ、はぁあっ、ここで炎を出すのはがんばっても一瞬しかムリだけど……」

「今、炎が消えたのは防御魔法のせいだね? うぅーんとつまり炎を想像するだけじゃ足りないってことか」

「はぁっ、そう、はぁ、求める、の。禁則魔法の呪いを上回るくらい強く願えばあたしの方が勝つの。一瞬だけど」

「魔法を魔法で越えたの? 気持ちの大きさってこと?」

 次々と質問を重ねるバールにミンシカはぐしゃぐしゃと自分の髪をかき混ぜた。

「もーなんでわかんないの?」

「ごめん」

「気持ちだけじゃダメ。魔力を魔法にするには、力を自分のものにして、もうひとつの意識で自分に指示を出さなきゃいけないの。人間は自分の持ってる魔力しか使えないから、魔力を意識するのが苦手だわ。魂みたいに同化してるものなのに、名前を与えて縛りつけてる」

 いくつかの言葉が頭の中で回る。ミンシカが伝え続けてくれていることを捉えようとバールは黙り込んだ。

「……自分の中にある魔力を忘れろって言ったのはそのせい? 今、おれは魔法を使えたのかな? ただミンシカの質問に答えを出そうとしたら、想像が止まらなくなって、あふれて重くてフラフラするから、崩れないように必死に解答を出そうとしただけなんだ。ミンシカはおれにどう力をかしてくれたの?」

「このあたりの世界をやわらかくしたの」

 すぐには理解できないバールにミンシカは続けた。

「あたしの方からバールに同化して、魔法が生まれやすいようにした」

「それってどういう、……そんなことができるの?」

「この図書館でならできるわ」

 バールは再び黙った。


「なぜ、って聞かないの?」

 ミンシカの赤い瞳がバールを見つめる。

「そうやって時々おれを試すよね。……大丈夫だよ、ミンシカ。おれは試されるほど警戒する必要のある人間じゃないよ。ミンシカに嫌われたくないのは、自分のためなんだ。おれはできれば、自分の力で魔法を使えるようになりたい」

「……わかった……それなら、さっきはあたしが力をかしたけど、今度はバールが自分の魔力でやるといいわ。あたしの周りは魔法が発生しやすい領域になってるから、やりやすいと思う」

「ありがとう」

 バールは笑顔になる。

 本心を伝えても付き合ってくれるミンシカの気持ちが嬉しかった。

「で、なんの魔法にする? ちゃんと決めておかないと、魔法が生まれやすいぶん時間をかけて魔力を練ってると、あっという間に力を使い果たすわよ」



 召喚魔法しか考えられないとバールはミンシカに言った。今もっとも強く願えるとしたら、それしかない。

「召喚魔法は準備に時間がかかるのにぃ。誰とも契約してないんでしょ? 古代魔法の契約式は頭に入ってるの?」

「?」

「このぉぉ……あとは空間移動くらいしかないじゃない」

「空間転移のこと? 師匠が簡単そうにやってたなあ。でも、ここの地面は硬いよ。 魔法陣は何で書いたらいいんだ?」

「血は?」

「書き終わるまでに、どれだけ出血すればいいんだよ」

「召喚術士なのに蝋石チョークくらい持ってなさいよ」

 召喚術士どころか魔法使いとしての自覚もないので、まったく言い返せない。

「善処します––––––と、それなら」


 マノアに心の中で謝りながら、むしろ感謝しながら、残っていたポルポローネを砕いて床に魔法陣を描く。

「欠けのない円をかいて、その中に左右対称の模様を描くこと。書き順はなんでもいいけど、でき上がりの形はひと筆描きにして。単純なものならそれくらいの呪いが必要よ」

 ミンシカの指示に従って、二つの同じ円をほとんど並べてかくと、片方に龕灯カンテラを置いた。

「両手をそれぞれの円にかざして、正面を見る」

 テキパキ指図を飛ばすミンシカは、鏡に寄りかかるように距離をとって地面に座り、バールの周囲全体を眺める。

「こら集中っ、力入りすぎっ。さっきと同じようにやればいいのー」

「ミンシカ、でも、自分の魔力なんて感じられないよ!」

 つっ立ったまま途方に暮れているバールをミンシカは首を傾げて見上げる。

「なに言ってるのバール。見えなくて意識もできないなら、それはバールにとってないのと同じよ。見えない魔力はあたしだって使えないもん。だったら呼んで」

(呼ぶ?……)

 ミンシカが離れた場所からバールの目を通して心に囁いた。


「 バールはなにが見たい? 」


 言葉に押されるように、バールは自分と願いがひとつになるのを感じる。衝撃を受けた自分の顔が鏡の中にある。

 あれは自分の姿をした願いそのもので、ミンシカの魔力のように何にでも自在に変わるものだ。

 境界がなくなっていく。

 力を感じられる。

 それは自分の内と外に渦巻いていた。

 願い、望む、求め、叶える、あとはひと言、


(命令すればいい)


「「召喚術士とは––––––」」


 バールは鏡の中の自分と声をそろえた。


『研究者としてこの世界のこともだけど、異界も守りたいの』


『余計』


『一人の召喚術士として、敬意を払っていくつもりよ』


『とりあえず今日はあんた何回か死んでるからね?』


『可能性の幅だと思えばいいわ』


『幻獣はモンスターに似て、衝動をうちに秘めてるものよ』


 マクシミリアンの言葉が次々に浮かんでは消えていく。


『あなたに教える詠唱を型通り行うから、よく見て聞いて』


『 我が声は汝なり 』


「 我が声は 鍵なり 」


 口をついて言葉が流れる。


「 されば声によりて 世界を開かん 」


 この声に力があると信じて、自分が力そのものだと信じて、世界を開く重責を引き受ける覚悟をもってバールは命じた。


 その少し前、ミンシカは焦っていた。

 二つの魔法陣が白く光り、輝きが増していくのに、バールは姿見を凝視したまま固まっている。

(まだなの? はやくしないとっ)

 魔法陣に注ぎ続けられる力が、目的を得られず余波が風になって吹きつけてくる。

(魔力をどんどん消耗してるっ、そんなにいらないのにっ! もう見てらんない! このままじゃ、空になっちゃう!!)

 風に逆らってミンシカは立ち上がった。

 ふ、と。

 風と光が途切れた。手遅れかと思った真空の沈黙のなか白い気配を追うように、今度は鮮烈な赤光が魔法陣をなぞり出現する。再び風に巻かれるミンシカの耳に、バールのたどたどしいがはっきりとした声が聞こえた。

(この詠唱うたは……!)


 バールが力ある言葉を放つ。


「《てんいっ》」


 風が止む圧力のあと、耳に痛いほど静まり返った空間で、最後につぶってしまった目をバールはゆっくりと開けた。

 見事、右にあった龕灯カンテラが左の魔法陣に移動している!

「やったっ!」

 はち切れんばかりの笑顔をミンシカに向ける。

「ミンシカできたっ、できたんだ、……ありがとう!」

「ううん、どういたしまして」

 どこか引きつった顔で少女は答えた。

「あれ、なんか変だった?」

 発音が甘かったかな、とバールは振り返って思う。

「……空間転移じゃなくて、空間だったわ。そっちの方がすごいと思うけど」

「?……え、じゃあこの龕灯カンテラはどの世界を通って左側の魔法陣に戻ってきたの?」

「知らない。……あたし手で移動できる距離のものを、そんな大がかりな方法で魔力を削ってまでやる人はじめて見た」

「……」

 ほめられてないな、とバールは思った。


「ここから出たら、同じようにはできないんだよね」

 図書塔とミンシカのおかげで、本来必要なはずの詠唱や杖を使わずに魔法が実行できていることを、バールは心に留める。

 たとえそうだとしても、得られたものは大きい。

 目に見えない魔力ちからが現実の境界を越えて魔法かたちに変わる瞬間を知り、バールの体や頭はその感覚を覚えた。

「同じことができるように、上に戻ったらもっとちゃんと勉強するよ」

 今まで知識で理解しようとしていた講義の内容を、感覚を交えて捉えられるようになるかもしれない。

「バール、元気そう」

「うん、元気だよ? うれしいから」

 ミンシカは少し疲れているようだった。

 あたりがゆっくりと陰っていく。

(ん?)

 また息を吹き返すように光量が元に戻った。範囲はひとつの明かりだけでなく辺り一帯に及んだように見えた。

「バール」

 居心地のわるさを感じて周囲を気にするバールをミンシカが呼ぶ。

「今日はもう帰って」

「ミンシカ、またアレが出るんじゃないかな」

 記憶をよみがえらせないようわざと死霊という単語をふせた。

「だいじょうぶよ」

「だけどミンシカ、おれのせいで疲れてるよね?」

「あたしももう休むから」

「本当に?……」

「また明日ね」

 赤い瞳はまっすぐバールに注がれていた。そこに威圧感はなく信じるのも信じないのも任せるというように。

「……おやすみ、ミンシカ。約束だよ」

 昨日と違いバールはちゃんとミンシカに別れの挨拶ができた。


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