キノコマン

 残る召喚魔法は三種類。バールは講義内容を思い出しながら、指折り確かめる。

「師匠の後ろにいる方が安全なんですか? それだと何してるのか見えなくて、わからないんですけど」

 再び地面に描かれた丸い枠の中に正座して、バールは不満を口にした。

「考えればわかると思うけど、目標を捕捉する為にも、術者は自分の正面に向けて魔法を行使するわ。真っ正面で魔法の威力を受け止める覚悟があるならそうなさいよ」

「やっぱり、いいです」

 前言撤回。速やかに撤収。

「私の顔や仕草を見ても、何の足しにもならないでしょ」

「そこはフインキ? 雰囲気かな。師匠が無意識にやってることでも、オレには特別なんですよっ」

「んんー……なんか暑苦しい」

「ひどっ。じゃあ、遠くで見てますからっ」

「ちゃんと詠唱を聞きなさいよ」

「大きな声で言ってくださいよ。技名も叫んでみて下さいよ!!」

 マクシミリアンの眉間にシワが一本入る。

「…ワザ? ワザ名ってなによ、召喚名のこと言ってるの?」

「それです。師匠って呪文を叫ばないんですね」

 はぁ? 呆れた声とともにマクシミリアンの体が杖と一緒に斜めに傾ぐ。

「だって、魔法の名前叫んだ方が、かっこいいじゃないですかっ!!」

 弟子は床から熱弁を振るう。勢いに任せた、バールの本音であった。

「そういう魔法使いもいますよね? いるって言ってほしぃぃぃいっ!!」

 バールの両手が地面の土を握りしめる。

「いるけど」

「ぃやたっ!」

 思わず拳を固めて勢いよく肘を引く。何度も。

「多分、頭悪いんだと思うわ」

「なんてことを、言っちゃうんですか、失礼な」

「だって、魔法の威力にも精度にも、声の大きさ関係ないから」

「夢がないっ……」

 両目からハラハラと涙を流すバールを、なんとも言えない顔つきでマクシミリアンは眺める。

「夢かどうかは知らないけど、精神派の魔術士や、共鳴を必要とする魔法使いの中には、気持ちが入るという理由で声を張る人がいるわね」

「ほら」

「見苦しいから顔を拭きなさい。あんたは精霊使いでも、神の声を聴く神官職でもないでしょうが。かっこつけても魔法は上達しないわよ」

「うううう。格好が様になる強い魔法使いになりたいぃ」

(どっちもほど遠くなーい?)

 なぜそこまで険しいイバラの道を自分に課そうとするのか、理解に苦しむが、動機はなんであれ、意欲があるのはいいことだと思う。

 己の無力さと期待と切望に身悶えする弟子を前にして師は告げる。

「叫ばないけど、見えるようにすりゃいいんでしょ?」


 予定していた召喚魔法を急遽変更し、記憶の彼方に置いていた呪文を構成する。


 マクシミリアンは距離をとって、バールに向き合うように立つと、体の正面に降ろした銀と黒の魔杖まじょうに意識を繋ぐ。術者の詠唱とともに先端にはめ込まれた石が青い光を帯び、足元に浮かび上がる複雑な文様を描く円陣から、見えない魔力の風が吹き上がり、長衣ローブの裾と長い髪をはためかす。


「我が声は汝なり、汝は〈鍵〉なり。〈鍵〉はあまねく世界を視る者なり–––––– 我が声は〈鍵〉なり。されば声によりて世界を開かん」


 始まりの言葉は《大海の滴アル・オーシャン》の時とたがわなかった。

 マクシミリアンは自分の正面ではなく、斜め上方の空間、バールからもよく見える高い位置に、召喚円を水平に展開する。

 足元に広がる青白い円陣と同規模の魔法円は、広い実験場において小さく映る。


「〝深遠の魔術士〟レオン・マクシミリアンが名において命じる」


 青い光が術者の黒い瞳を照らしたが、透き通る瞳の奥はなお暗い。


(さっきの詠唱と違う?)

 板書を禁じられているバールは、焦る。


「我が求めに応えよ、その名は《キノコマン》」


「…キ!?」


 バールとマクシミリアンの視線の先で、頭上高くにある厚みのない魔法円から、にゅと曲げたおたまのような、二つの触覚がぶら下がる。続いて粉袋のような寸胴なものがぶりんとせり出し、それが脚のついた胴体だとわかった時には、全身が魔法円から吐き出されて、ぽてっと音を立てて地面に落ちた。


「し、師匠っ、あれ、あれなんすか」

「あんたまだ座ってたの、早く立ちなさい!」

 鋭く言われ、わけがわからないまま手をついて立ち上がる。

 向こうの方では、脚はあるけど腕のない、カサに対してやたら太めなジクを持ったキノコが、器用に起き上がろうとしていた。


「強制召喚の場合、召喚獣に対して強制力を持てるわ。ただし、彼らに能力以上のことはさせられない。自爆しろ、とかね。召喚した時点で行動内容は決定しているの。術者も魔法円の中にいるうちは守られるけれど、外に出てしまえば……」

 立つと小さな子供くらいの大きさがあるキノコマンが、顔のないのっぺりとした胴体に切ったような口を開けた。剣呑に光る歯がずらっと並んでいる。次の瞬間、

 ダンッと地面を蹴ると信じられない力強さで、バールめがけて一直線に速度を上げて迫った。

「あああああああ!? なんっでオレばっかりぃぃぃいいっ」

 逃げ腰のバールに対して、迫るキノコの方へと、マクシミリアンは魔法円から外に足を踏み出す。にじむように青い光が薄らいで消える。

「自分に近いもの、そうでなければ小さい方から喰らい尽くす習性があるわ。ちなみに肉食性よ」

「師匠っっ!!」

 バールに向けていた足を鮮やかに切り替えて、自分を呼び出した術者に向かって、キノコマンは地を蹴り跳躍した。めくれるほど大きな口腔を見せて。

「ちょっとひどいことをするよ、キーノ」

 かすかな呟きが口の端に載る。

「 マナよ我が手に 食い破れ《火炎弓フレイムアロー》 」

 刹那、放たれた低い声が、深度をもって力を呼び出す。魔術士と怪物モンスターの間に生じた光点が、呪文の解放とともにほぼ0距離から射出。

 術者の意図によって威力を抑えられた炎の矢が、キノコマンの片脚と腹をえぐって吹き飛ばす。


 ぼどっと鈍い音を立てて地面に転がったそれからは、深緑色の体液が流れ出し、じゅうじゅうと白煙を上げて床に広がっていく。

「見ての通り、体液は強酸。強制召喚の原則を覚えているかしら、」

「助けてあげないと」

「はい?」

「だって、苦しんでますよ」

 キノコマンは起こせない体を緩慢な動きで左右に揺すっている。バールには苦しげにのたうっているように見えた。

「そう思うなら、近く行って食われて来なさいよ」

「あー助けようとしても、やっぱり食われちゃうのかぁぁ」

 ジレンマ。

「バール、ほっといてもあれはすぐ消えるわ。召喚の制限時間はまだあるけど、損傷した場合、とどまれる時間はもっと短くなるから。それと」

 よく見てなさいと言って、マクシミリアンはバールにキノコ型モンスターを注視させた。

 立体物だった太めのキノコが、おかしなことに絵のような平面図に感じられる。その絵がかき消える寸前、キノコは咳き込むように体を痙攣させ、カサから大量の粉を吹き出した。その緑色の煙もまた、次の瞬間には一緒に消えて、実験場には酸で焼けた地面と刺激臭が少し残った。


「あの動きは胞子を出すための予備動作。胞子には神経系の毒があって吸い込むと、少しの間動けなくなるんだけど、摂取したまま死体になったりすると、死骸を苗床にあの怪物モンスターが育つわ。想像力逞しいのはいいけど、怪物モンスターの行動を人の尺で測ると危険よ。とりあえず今日はあんた何回か死んでるからね?」

 呆れを通り越してマクシミリアンの声は諭すようであり、バールは返す言葉もなかった。

「師匠はあんな雑魚っぽいモンスターのことも詳しいんですね」

 その雑魚に軽く葬られそうになったのは誰よ、と思ったが、口には出さない。

「知ってるつもりでも、知らないことがあるかもしれない。人と同じ、そう考えるくらい慎重でもいいのよ。あのキノコマンは、私が召喚を成功させた最初の召喚獣だから、付き合いだけは長いのよ」

「えっキノコマンが!? …お、思い出深いキノコマンを見せてもらって、その、なんていうか」

「無理に取り繕わなくていいから」

「おっかしー」

 あひゃひゃひゃと遠慮なく笑ったら、師匠に砂をかけられた。


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