#1 家出

バーレイ・アレクシア

 いつも通り庭に住む豚の第一声でぱちりとバールは目を覚ました。

 とりもいるのだが、ブキィイイイという断末魔のような鳴き声で豚とともに起きるのだった。

 階下に降りていっても特にすることはない。祖父たちは庭での寒風摩擦を終えて家畜をからかい、祖母たちは花の手入れをしている。回収された卵はすでに母親たちの手に渡って厨房は慌ただしい。

 バールはいつもどおり祖父母の邪魔をしないよう、庭先に立って本日の空模様を読んだ。

「……今日はくもりかな」

 季節と違う風向きと、しけた空気にそう断じる。

「晴れるに決まっとろー」

「風が戻って雲が消えるからのう」

「気温は上がらんがな」

 三人の祖父たちはふぉふぉと笑って、家の中に戻って行った。

 バールは残念そうに重く雲が垂れ込める海の上の空を眺める。

 そうこうしているうちに男たちが起きてきて、それぞれの家長が主だった者を連れて仕事場に向かっていく。

 子供たちも次々と起き出し、思い思いに過ごし始める。急に朝がにぎやかに活気を孕んでいく。

 祖父の言った通りに風向きが変わり、湿った空気を払っていった。風にさらわれる砂漠色の髪を明るく照らし雲間から日が差し込んでくる。

 くすんだ水色の目を細めてバールは輝き出す港町に背を向けた。


「バール!」

 年子の従兄いとこと顔を合わせているところに怒鳴るようにお呼びがかかる。バールは嫌な顔ひとつせずにいそいそと厨房に顔を出した。

 バールより下の子供たちは手がつけられないし、年上の子どもたちはまだ欠伸を噛みしめているから、この時間に声がかかるのは決まってバールだ。

 のほほんとやって来たバールに最年長の伯母が指示を出す。

「配膳に三人よこして、それから全員に席に着いてもらってちょうだいな」

「わかった。祖父ちゃんたちのお茶だけ先に運んでおこうか?」

 空手で戻るのもなんなのでそう提案する。

「そうね。アミー、父さんたちのお茶は?」

「今沸かしてるとこ!」

 奥から帰って来た声にバールの伯母は肩をすくめた。

「あんたの母親はすっとろいわねバール。とりあえず水でいいわ、持っていってくれる?」

「いいよ。この水差しもらってくね。いい匂いがする、今日は揚げ物?」

 琺瑯に水を汲みながら尋ねる。

「そう。子供たちが取り合って不平等にならないように見張ってやって」

 その頼みにも頷いて、部屋を横切りながら少し離れた掃き出し窓近くにいる従兄弟いとこたちに声をかける。

「ジィト、ノロイ、クラウド、工房にいるおじさんたちに声かけて、それから厨房に行って。もう朝食できるって」

 あいよー、と返事があって一人が部屋の外に走って行った。

「アシュリィ、店まで行ってイーグル伯父さんたちを呼んできて」

 今のやり取りを聞いていたであろう、別の従姉いとこに声をかける。

 かたわらの長椅子ソファで髪を編んでいた三つ年上の女の子が目をつり上げた。

「なんであたしが!」

「おれが行ってもいいけど、代わりにユールさんとこの四兄弟集めてくれる?」

「っ行くわよ」

 背中で跳ねるアシュリィの三つ編みを見送りながら、庭の腰掛けベンチで日なたぼっこしている祖母たちに朝食を告げると、食卓に水差しを置いて奥の部屋まで足を延ばす。

 祖父たちはそこで盤上の遊戯に興じていた。

「祖父ちゃん、朝ごは……」

「まった」

「待ったはなしじゃて」

「いやぁそこを。朝飯の後で仕切り直そうや、な?」

「んだ、んだ」

「うんにゃ、ここは潔く、わしの勝ちでいいな?」

「んだ、んだ」

「まだ勝負ついとらんが、勝ちなわけあるか」

「んだ。引き分け、引き分け」

「「引き分けではぬぁいっ」」

 対局していた二人が中立する一人に向かって同時に叫んでいた。

 盤上にすっと別の手が降りる。

「セイオンさんが次ここに打つと、サンダーさんの駒はどうあがいても五手で詰んじゃいます、よ……」

 コン、コココココンッ、バールの手が動くと盤面が様変わりした。

宣誓チェックです––––––やり直しは朝食の後でお願いします」

 祖父たちは笑いながら席を立ってバールの後に続いた。

「腕を上げたのう、わしらのおかげじゃのう」

 ふぉふぉふぉと食卓に移動した頃には配膳は半ばまで終わっていた。厨房を出入りする者たち以外はあらかた席に着いているようだった。

 バールは部屋を見回して、定位置が空いたままになっている四人の小さな従兄弟いとこを大急ぎでかき集めた。

 一人、二人、三人と座らせるが四人目が見当たらない。

「ライア、きみのすぐ上のお兄さんはどこ行った?」

「あたし、ひとりっ子だもん」

(いや、うそつけよ)

 今ここでひとりっ子に幻想を抱かれても困る。

「ちょっとだけ、ちょこっとでいいから知ってたら教えて?」

「『つ』っておいしい?」

「は?––––––おいしくもまずくもないと思うけど、そもそも『つ』ってなに?」

 ライアはバールの問いかけが聞こえないのか人形とひそひそ話しを始めてしまった。

(『つ』を食べるってこと? 『つ』を食べるものってなんだ、つ……食う、つくう? 『つ』食え?)

 食卓の掛け布クロスをめくると、小さな腕が見えた。がしっとそれをつかむ。

「くっ、やめろっ、光を浴びるとおれはっ、おれはあああっ」

「そういうことは後で思う存分やっていいから、今は朝ごはんの時間だよ」

 左隣の席に押し込んだと思ったら、右隣では双子のケンカが始まっていた。

「ジーモス、てめ、このっ、このっ、このっ、このっ」

「やめろよティモスぅぅぅううう」

「ああもう、ケンカするなら、おれが二人の間に座るから」

 全員が席に着いたのと食卓の配膳が整ったのはほぼ同時だった。

 古き土着の民であるチャズナ家のリゲル老の号令がかかり、朝の祈りが始まった。

 バールはゆっくり息を吐く。

(今日もなんとか間に合った……)


 バーレイ・アレクシアには兄弟がいない。

 しかし彼は両親の他に六人の祖父母と六人の伯父(叔父)と五人の伯母(叔母)と十六人のいとこたちと暮らしている。

 同居する大家族は三つの姓に別れていた。

 海運交易の要衝であるバルトリア半島は大陸の南に位置している。この地には神域の森が広がり、信奉する土着の民の血を受け継いでいるのがチャズナ家だった。

 チャズナの一人娘ユールの夫がバールの父親の下の弟ブラウ叔父さん。

 最も古く半島に入植し土着の民と手を結んだのがエバーオール家で半島でも一、二を争う大商家になっている。

 エバーオールのサンダー老には四人の子供がいたが、末の妹がアレクシアのセイオン老の四人の息子たちの一人に嫁いだ。

 これがバールの両親だった。

 アレクシア家は海路を通じて一番古く入植した一族になる。エバーオールと一、二を争っていた商家だったが、近年発生した婚姻関係と、利害の一致、土地に対する愛情から三家はひとつ屋根の下に同居することを選んだ。


 商売の規模は以前に増してぐっと拡がることになった。まだバールは小間使いや下働きをしながら商売のイロハを覚えているところだが、年上の男の従兄弟たちは大人に混ざって将来を見据えた話をしている。

 商売を受け継いで家を支えていく気持ちを当たり前のように自然に持っているようだった。

 自分もそのうち加わるようになるのだろうと、バールは考えていた。


 ふいに赤ん坊の泣き声がしてバールははっと我に返る。

 気がつくとバールを挟んで双子の兄弟がしきりに話しを交わしていた。

 伯母が先月生まれたばかりの我が子の元に席を立って行く。

「おれはじゃあ、聖騎士だ」

 胸をそらせて双子の兄の方ティモスが言った。

(なんの話しだ、これ)

「じゃあ、じゃあおれは国王。なんでかっていうと王さまは聖騎士に命令できるから」

 負けずに弟のジーモスが言い返した。小さな手が衣がついた食べかけの鶏の脚を振りかざしている。

(ふたりとも食べるのに飽きてきたな?)

「聖騎士やめた! やっぱおれよう兵にする」

(お金で雇われる傭兵なら雇い主を選べるから、王様の命令は無視できるかもね)

 思わずバールは頷いた。

 権威が失墜したジーモス国王は次の手に出る。

「じゃあ、おれはじゃあすごく強い盗賊になる」

「強い盗賊よりよう兵の方が強いぜ、こーんな大きい剣で切るから。ドラゴンだって斬る!!」

「うぅ」

 劣勢になったジムは食事の進まない唐揚げを手に握りしめたまま、目をギラギラとうるませた。

(どんな強い人も、うちの祖父ちゃんたちや、きみらの父さんたちには敵わないと思うよ)

 バールがそう言おうとした時、

「強い魔法使いなら、ドラゴンもよう兵も勝てないよ」

 ジーモスが言い放った。

「こっちには魔法をはね返す鎧があるぞっ」

「じゃあ、魔法で地面に落とし穴つくるっ」

 将来なりたい強いもの順位戦は、そこから魔法合戦にもつれ込んでいった。

「おち、落ちる前に空飛ぶ呪文を唱えるもん」

 ティムの必死の脱出劇を聞きながら、バールは口を開いていた。はっきりした声が食卓に響いた。

「あのさぁ」

 食事をあらかた終えてくつろいでいた家族たちがバールに注目する。

「みんなの前なんだから、丁寧に喋ってちょうだい」

 離れた席にいる母の言葉に居住まいを正す。

 バールは立ち上がって全員を見渡した。

「あのね、おれ、冒険者になろうと思うんだ」

 はじめて家族に打ち明ける告白だった。

 バールはみんなの様子を伺う。

 いつからどうしてそう思っていたのかを伝える前に、耳を傾けてもらえる望みがあるかを確かめたかった。

 家族の大半がバールの言葉に続きがあるのか様子を見ていた中で、真っ先に反応したのは男たちだ。

「いいんじゃないか。世界を旅するんだろう?」

 アレクシアの伯父に続いてあちこちから声が上がった。

「ああ、おれも大陸の反対側とか行ってみたい!」

「見識は多いに越したことはないよ。ぼくらも助かる」

(ん?……助かる?)

 そこへ女たちが加わってきた。

「体力が必要よね、武器を使うことになるかもしれないわよ」

「言葉を覚える方が先じゃない? どんな相手と交渉することになるかわからないんだから」

(武器を使うとか、交渉とか……)

 やたら堅実的な旅の話が続く。

「まあ、でも、夢があるっていいことだわ」

 遠くで母親がざっくり話をまとめたその横で、バールの祖父が目をしょぼつかせながら話しかけてきた。

「冒険っつうのは楽しいのか、バール」

「あ、ええ。いや、どうかな。みんなが話してるよりもっと危険と隣り合わせだと思うよ」

 そう行った途端、エバーオールの伯父から鋭い声が飛んできた。

「お前、ちゃんと鍛錬してるのか?」

(あんまり、何も……)

 バールは目をそらした。

「やだもう“竜の巣穴に卵をとりに行く”ようなこと言わないでよー」

 笑い上戸の伯母が声を立てて笑う。命知らずな豪胆さを表す慣用句に食卓は笑いに包まれた。

「面白いわねバールは」

「勇者になりたいなら、私たち応援するわよ」

 勇者ヒーローにあこがれるのは子供の特権だと言わんばかりに家族はみなバールに優しかった。

「わしも昔は怖い目にあったな……」

 遠い日の記憶を思い起こすように祖父の一人が虚空を見つめた。サンダー老が語り出した若かりし冒険譚は軽く一大叙事詩の迫力がある。

 バールはゆっくり席につくと、小さな従兄弟たちの残飯を処理しながら、祖父が体験した不思議な話に耳を傾けた。



 それから二年の月日が経ったある朝、大家族の家の玄関に置き手紙が残されていた。


『 冒険者になることにしました

  探さないでください

  後のことは頼みます

  みんな元気で     バーレイ  』


 十五歳になったバーレイ・アレクシアは、王都を目指す。

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