24
秘色屋敷のどこかで、盛大な破壊音が上がった。
その響きはこの館が上げた血まみれの断末魔の音のようで、実際に館に蠢く悍ましい何かの断末魔だっただろうと思う。
微かな振動が断続的に続く。それは徐々にこちらに近づいて大きくなっており、図書室全体が微かに揺れ、天井から埃が落ちてきた。
それらの音響の発生源はおそらく、カミーユだ。どう考えても彼女が僕らを諦めた気がしない。彼女は自分自身のことを強者だと思っていて、僕らを逃がしてやる理由なんてないと考えているだろう。
途中でカミーユが神々にやられてくれていたらいいのだけど、地下通路には神々のようなやんごとなき方々は入って来ないらしいし、グールでは相手になるかどうか。無機物の鎧は《恐怖》することはない。
だいたい、僕の《こうなったらいいな》は下方向に修正されがちだ。
「怒り狂ったカミーユがここに気がつくのも時間の問題だよ」
「これまで通り、図書室は私の魔術で封じる」とコチョウが言う。
「籠城するにしても限度があるだろ」
カミーユは魔術師を皆殺しにするつもりだから、どうやってでもこじ開けてくる。
コチョウは唇に親指を当てて考えていたが、ふと顔を上げる。
恐ろしいほどに白い、染みも汚れもない磁器のような肌の上で銀髪が流れる。
「――――クガイ、お前、私のために死ぬ気があるなら、命令を聞いて死ね」
薄い唇が無茶苦茶なセリフを吐く。
クガイが否定するとは微塵も思ってない顔で。
「晩餐は全て広間に運ばれる。そこには、館の中をうろつく魔物どもとはべつの、その上位のものとみられる者たちが食事を楽しんでいる。行って、奴らを殺せ。奴らを食材にしろ」
僕は呆気に取られていた。
友達を友達とも思わないひどい言い草も相当ひどいが、発想が正気じゃない。
「何としても、私は館の秘儀を手に入れる。欲しているのは《館の秘儀》だ。執事、《コースを館に捧げろ》と言ったな。《館がコースを求めている》と。《館に奉仕せよ》と。お前は神々が晩餐を食らうとは言ったが、秘儀を行うのが神々だとは言わなかった。そして、神々も我々も、どちらも《お客様》だと言った」
「左様でございます」
ルニスは青白い顔で答える。
「であれば、食材が魔術師である必然性は無い。食材は神でも構わない。集う神々が真に《神》だというのなら、魔術師ふぜいのちっぽけな魔力よりもさぞ豪勢な晩餐になるだろう。神を一柱残し、皆殺しにしろ。止めるか、執事?」
「いいえ、皆様の奉仕者ふぜいが、お客様のお考え、そして行動をお止めする道理がございません」
僕は呆気に取られていた。
魔術師って頭がおかしい。
本気でそう考えた。もしもこれがTRPGのなかで、僕らがただの探索者だったなら、そんな発想には至らない。ゲームで遊ぶ者たちは人間で魔術師ではないからだ。でも魔術師たちは違う。彼らは平気でルールに干渉してくる。自分たちに世界のルールを形作る鍵があると思ってる。
「自分を何様だと思ってるんだよ」
「何がいけない? こいつは生まれながらにして、廃屋のような尖晶屋敷に打ち捨てられて、世間から見捨てられた存在だった。魔術禁止のこの時世に誰も魔眼の力など欲しない。それに私が意味を与えてやると言っているんだ。生きる意味を、理由を!」
コチョウは百合白さんが言った通りの人間だ。
何をしても、心のどこかに穴が開いた人間。
決して満たされることのない人間。
「そしてあいつは私に頼られるたびに、私を見下しているんだ。弱くて愚かな人間の守護者であるという幻想に浸っていられるからだ。そうだろう、クガイ」
居丈高に命令していながら、クガイがその命令に従えば従うほど、弱者としての立場を自覚して己を責める。負の永久機関のような精神構造に眩暈がしそうだ。
そしてコチョウのセリフは、僕にとってどこかで聞いたことがあるものだった。
誰かに頼られること、必要とされること。
それって気分がいいでしょう? と、彼は僕に向かって言ったのだ。
強い魔術があっても、何もかも自分の思い通りになると確信していても、どこか寂しそうだった。
「――――誰からも必要とされていないのは、自分じゃないか」
気が付くと、言葉として口から出ていた。
怒りが、焼けつくような感情が胸の中にある。
「自分自信の存在に意味を見出せないのは。だから他人を見下して命令することでしか、自分の存在意義を感じられないんだろ」
ようやく気がついた。
コチョウは自信過剰なようでいて、その裏側はコンプレックスの塊なのだ。いつもほかの騎士ふたりと自分とを比べて、能力が劣っていると自らを責め苛んでいる。
そして他人に優しく振舞うことができない性格から、他者とまともな関係性を育むことができず、社会の中で居場所を見出せずに孤立してる。
その孤立感がさらにコンプレックスを頑ななものに成長させて、今や、他人に対して尊大に振舞うことでしか自分自身を認識できなくなった。暴力でコミュニケーションを取ってくるカミーユみたいな奴と同じ構造のバケモノだ。
「クガイは、それでも――――…………!」
クガイはそれでもコチョウを友と呼んで彼の手を離さなかった。
完全に孤立させなかった。誰にばかにされても、友人自身にゴミのように扱われても、コチョウを繋ぎ止めようとしていた。
クガイの言う「そうだったらいい」というのは、コチョウを人に繋ぎ止めるための願いだったんだ。
だけど、言葉の続きは形にはならなかった。
僕は突き飛ばされ、床の上に引き倒されていた。
コチョウは無言で僕の体の上に跨り、首を絞めている。激情に駆られた風でもなく、全くの無表情、何の感情も浮かばない顔だった。
息が苦しいよりも、その無表情が怖い。
死ぬかもしれない、とは思わなかった。
視界の隅でルニスが動くのが見えていたからだ。
「だから言ったでしょう、何も変わらないと…………」
白手袋をはめた手の平で、コチョウの肩をうしろから叩く。
コチョウは一瞬眉を顰めたあと、僕から手を離し、反対に意識を失ったルニスの体を小脇に抱えて立ち上がる。
「助けてくれてありがとう、ルニス」
「礼には及びません」
「便利そうな魔術だな」とクガイが言う。
彼は魔眼によって他者の魔術を模倣する。
模倣できるということは、その仕組みを魔眼を通して理解できるということでもある。
「コチョウの意識はどうなってるんだ?」
「さて。しかし戻ってくるときには、体を交換している間の記憶は消えておりますので問題はありません。知る必要もありません」
「っていうか、それって、魔術なの?」
「そういうふうに俺からは見えている」
僕が質問を差しはさむと、クガイは頷いた。
そして、少し困ったような顔を僕に向けた。
「悪かったな。あいつはああいう奴なんだ、代わりに謝っておくよ」
「君が甘やかすからあそこまで人格が破綻したんじゃないの」
「おおむね君が言ったことは正しい。だが、あいつにも複雑なところがあるんだよ」
クガイはコチョウのものと思しき
留め金を外し、蓋を開ける。
僕は中身を覗き込み、思いっきり顔をゆがめた。
「――――な?」
そう言ってクガイは笑顔で首を傾げてみせるが、僕には何がなんだかわからない。
広げたトランクの中には、《人の死体》が押し込められていた。
鮮やかな青い髪をした人物だ。トランクにすっぽりと収まるほどに小柄で、少女にも少年にもみえる中性的な容貌をしていた。
ただその体に生命の脈動はなく、口元は乾いた血で汚れていた。
微かに漂う死臭は、この人物が既に息絶えていることを示している。
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