25 魔術師たちの饗宴
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魔術学院の学生寮にクガイとコチョウを呼び出したのは菫青ミズメだった。
卒業後は表舞台に立つこともなく、菫青家に引きこもったままだったミズメがどうして突然そのようなことを思いついたのかもわからないまま、二人は久しぶりにその場所を訪ねた。
寮は幽霊屋敷のようにボロボロだ。
来年には改装して女子寮になるため、寮生たちは別の場所にうつっている。
家具も人気もない寮はますます薄気味悪い。
ミズメは学生時代にクガイとコチョウが使っていた一室で待っていた。
久しぶりにしてはあまりにもいつもと変わらない様子だった。肩の少し上で切り揃えたサラサラした青い髪も、冷たい氷のような瞳も、記憶にある頃と何一つ変わらない。
閑散としたその部屋で、ミズメは古びた椅子に腰かけたまま亡くなっていた。
服毒したのだろう。口元から垂れる血は既に乾きはじめていた。
旧友の死に驚くよりもまず先にしなければいけないことがあった。
ミズメの死体を運び出し、痕跡をすべて消さなければいけない。
それも死体があったその事実ごとだ。
彼の死は自殺だが、世間はそうは思わない。
あとから考えてみれば、それは仕組まれていた自殺だったような気がする。
死の現場に三人の騎士がそろっていること、そしてミズメの死を公表するよりも、誰もいない廃墟のような場所で、月のない新月の夜で、人をひとり消してしまうほうが楽だった。
クガイは、ここにコチョウがいることを知っているだろうすべての人物を頭にリストアップしながら、友人の突然の死に驚きが隠せない、という演技でコチョウのようすをうかがった。
コチョウはただただあっけにとられ、呆然としていた。
その心が安易に読み取られるような表情をうかべることさえ、この男にとってはめずらしいことだった。指先がかすかに震えてさえいた。
クガイは悲しい、と感じた。コチョウと共にいて、はじめてのことだ。
ほかのどんなときも、コチョウがクガイをないがしろにしているどんなときでも、悲しいとは思わなかった。彼の隣にいる自分がみじめだとも思ったことはなかった。
証拠隠滅を手早くすましたとき、コチョウは消えていた。
ミズメの遺体といっしょに。
その後、一週間ほど経って、伝手のいくつかを使って、コチョウが秘色屋敷の交霊会に呼ばれたことを知った。そしてイキシアが既に死んでいることも突き止めたのだった。
*****
「コチョウはミズメを生き返らせるつもりだ」
「信じられない。コチョウにも人並みの感覚があっただなんて」
彼らがミズメの死を隠したことよりも、驚くべき事実だ。血を分けた実の息子が消えても、眉ひとつ動かさなかったコチョウが。ライバルである騎士に、魔術師として自分よりも秀でていると嫉妬心を隠さないでいた相手に対して、人間らしい心の動きをみせた。
そして、もうひとりの騎士には残酷にも「死ね」と命令した。
「あいつにとって心を動かすのに相応しい人間はミズメだけだったというだけなんだ」
俺ではなかった、とクガイは寂しそうに言う。
「そんなの、勝手だよ。自分がしてもらったことには無頓着で、何もかもめちゃくちゃにして、自分のしたいことを押し通すなんてただのワガママだ」
コチョウが何か少しでもちがっていたら。
その思いが頭から消えてくれない。
クガイはじっと僕を見つめている。
「俺がコチョウのために何かをするのは、俺のワガママだ。それに、たとえ誰かから好意を受けたとして、その人のために何かするべきだなんて、そんなルールはどこにもない」
「僕は、僕に期待してくれる人のために、僕の周囲にいる人たちのために、できる限りのことをしたい。それが普通だよ」
「いい子だ、少年。君は、他人に何か奉仕してやらないと、自分は愛されない存在だと思っているんだな」
僕は黙りこんだ。
「その反対に、奉仕してやったのだから、他人は自分のことを好きになるはずだとも感じてる。違うかい」
何も言えなかった。普通、というチープな言葉の裏に、クガイが言った通りの感情が隠れているのを感じたからだ。
そしてそのことが、たまらなく恥ずかしかった。
だって、そうじゃないのか。
何もしない人間が、他人を傷つけるだけの人間が、好かれるはずがない。だからこそ、必死に戦わなければ。自分の価値を見せつけなければ、僕は存在できない。そこがどんな世界であれ、僕はそういう《普通》を生きてきたんだ。
「…………いきなり、教訓めいたことを言うんだね」
「まじめに聞け。何しろここでサヨナラかもしれないからな」
クガイはたぶんはじめて、茶化しもせずに言葉を紡いでいた。
コチョウの命令を聞くつもりなのだ。
「お前は自由に生きていいんだ。誰かのためでなくとも、存在できる。自分の人生を生きていける。孤独は恐ろしいものではない。そういうお前を好きになる人間がいつか現れる。お前が醜くとも、お前が役立たずでも」
「……そんなわけない」
「俺はコチョウのことが好きだ。たぶん、これが愛だろう」
「魔眼の力だけで神々に勝てるとは思えない……」
「いいや、勝つさ。俺にあるのは魔眼だけではない。この体の中に、別の力が埋まってる。どうしようもない呪いの力が。この館に来てから力を増しているのがわかる。妙に調子がいい」
出会った頃は、風邪を引いたと言って毛布をかぶっていた。
でも今はそれもない。酒や煙草を好き勝手に嗜んでもいた。とても病人の取る行動ではなかった。
調子が悪かったのは、角が人間の体に合わなかったから? 今、その力が増しているのは、邪悪な神々の力を呼び込んでいるからだろう。まさか、それでか? それで、クガイは魔人になるのか?
コチョウに命じられた通りに神々を倒すために。
クガイが語る言葉が、歯がゆい。クガイを形作る信念は、まちがいなく破滅に向かってる。そして僕は、クガイが魔人になると知っていても、そうなってほしくないと感じる。短いけど、一緒にいからだろうか。見捨てられない。それよりもアマレを消して、友人たちを葬り去ったコチョウを見捨ててほしい。過去を変えて、未来を変えてほしい。
「広間には、僕が行く。僕が戦う……!」
「言っただろ、少年」
クガイは悲しそうだった。
「そういうふうに自分を犠牲にしても、誰も愛してはくれないんだ」
クガイの肩から、染みのように黒いものが広がっていく。
それは肩から腹部、大腿部、そしてつま先に滴り落ちて満ちていく。炎のように揺らめきながら、その肌を這いまわり、指先も表情も覆い隠していく。
「じゃあな」
それが最後の言葉で、僕の目の前には魔人がいた。
それでもなお、クガイに向けて歩き出そうとしていた。何かできないかと。
それを止めたのはルニスだ。コチョウの姿をしたルニスが、僕の腕を掴んで引き留める。
「――――言っただろ、《何も変わらない》と。このふたりは絶対に何も変わらないんだよ。私はイスなんだ、未来に起きていることも観測できるのだから」
「だって」
続きが言葉にならない。
だって……。
だって、
そんなの、ひどいじゃないか。
誰も選んでくれないなんて。
アマレも、僕も。
なんのために存在しているのだろう。
見捨てられて、そして、あとは消えてしまうだけ。
そんなのって、あんまりだ。
そのとき、声がきこえた気がした。
たぶん、心の奥底のほうから。
ツバキ、わたしがいるわ。
わたしはあなたをあいしてるのよ。
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