23


 繊細な絵付けが施された破片の中で、ルニスが咳き込む。酸素が足りず喘ぎながらも懸命にコチョウの問いに答える。執事の役目というより、執念のようなものを感じさせる。


「簡単なこと……館が次のコースを求めているのです、お客様。コースが終われば、次のコースが、次が、そしてその次が……。神々の晩餐に終わりはない。人間の都合で終わらせられるものではないのです」

「最初の説明と話が違うぞ」

「何も変わりはありません。館に奉仕するしかないのです、お客様。館の秘儀を求めるのなら、魂との交流を求めるのなら、神々が満足するまで晩餐を続けるのです。幸いにして


 コチョウのハイエナみたいな目が僕を見る。

 館にどれだけ魔術師が生き残ってるのかは知らないが、その目には僕だけでなく、カミーユも映っていると信じたい。

 その視線を、クガイの広い背中が遮る。


「コチョウ、何度も言うようだが諦めて帰ろう。このような邪法に手を染めたと知れれば、星条の後ろ盾があるとはいえお前の立場も危うくなる。乙女様もお許しにはなるまい」


 女王の名を出した途端、コチョウは手にした杖で、クガイの肩を乱暴に叩きつけた。クガイは打擲を顔に当たらないよう逸らしただけで、ただ受け止める。


「お前に何がわかる! 女王の寵愛を受けているお前に!」


 やはり、コチョウは今も昔も変わらない。

 それどころか、胸の内に抱えた黒い感情を、隠そうともしない姿はさらに傲岸不遜にみえる。

 僕にとっては反吐の出るような光景だが、クガイはそれでもなお、噛んで含めるように落ち着いた声音で語りかける。


「乙女様は俺のこともお前のことも平等に考えておられる。それに、俺はたとえ何があっても君の味方だ。だから帰ろう」


 クガイはこちらが驚くほど真摯な眼差しでコチョウを見つめている。この身勝手で自己中心的で、他人に情けをかけない男をそういう目で見つめられるのは、この世界に他にはいないだろうってくらいに。

 でもそうすればそうするほどコチョウの心はクガイから離れていく。

 当然だ。コチョウにとっては、クガイは憎くてたまらない嫉妬の対象だ。たとえ、こいつが似姿でもそれは変わらない。


「では、この館に生き残っている魔術師を全員殺せ。使徒カミーユとその従者、獣に変身する男、そして――――リリアン・ヤン・ルトロヴァイユを血祭に上げろ」

「リリアン……?」

「知っているだろう、お前が連れてきたその女はウィクトル商会の三大魔女だ」


 体が自然と緊張する。

 クガイが本気で僕を殺そうとしたら。あの模倣の力に打ち勝つのは厄介だ。

 だけど、クガイはコチョウのことを盲信してる。

 僕は金杖を握り直し、恐る恐るクガイのことを見上げた。

 だけど僕を見返した魔眼の持ち主の表情には、はっきりと戸惑う感情があった。


「それは、できない」と、クガイが言う。

「できないだと?」

「彼女には《魂》がない。魂のない人形には魔力は発生しない」


 それはどこか言い訳めいた言葉だった。


「それに、コースを完成させるには五人必要になる。変化する男、カミーユ、その連れ……そしてリリアン嬢を入れたとしても足りない。コースが終わる保証もない。最初から、生存者を出さないゲームとして設定されている儀式かもしれない」

「それがお前の言う、《味方》なのか。笑わせてくれる」


 コチョウは嫌悪感を丸出しにした苛々した態度で舌打ちし、踵を反して階段を降りていく。

 落ち着いてきたルニスをその場に置いて本棚の間を抜けて、手すりから下の階を見下ろした。図書室は円形になっていて、書棚が放射状に並んでいる。マスター・サカキの研究室と少し似てる。

 一階にはくつろげるようソファと書き物机、それからピアノが置いてある。しかもグランドピアノだ。誰かが弾いたままなのか、楽譜が開きっぱなしだった。

 コチョウはソファの近くにいる。

 傍らには彼の持ち物だろう、純白の旅行用トランクが置いてある。


「うわっ、いかにも謎解きがありそうだな……」


 だんだんゲームじみてきた。

 僕は階下におりて、ピアノに近づく。

 なんでこんなとこにあるのか知らないが、確かに地球産のピアノだ。楽譜もそう。タイトルは読めないけど音楽の授業で習う五線譜だ。


「弾けるのか?」


 クガイがやって来る。


「君は?」

「俺たちの知識にない楽器だな。似ているが微妙に違うものはある」

「こっちは知ってはいるけど、弾けるわけじゃないってとこ。楽譜が読めないし……どうにかして弾いてる姿が見れるならやれるんだけど」

「弾いてる姿?」

「そう。動きを真似できると思う。僕の特技なんだ」


 天藍いわく、そうらしい。自分ではあまり、そういう意識がなかった。

 なんとなくできるような気はしていたけれど、運動はあまり好きではなかったし使う機会がなかった。


「それは素晴らしいな。じゃあ、これでどうだい」


 クガイは久しぶりに彼らしい《ニヤリ》を見せて、瞳の色を再び変えた。

 今度は鮮やかな群青だ。

 瞳が輝き、床のほこりが不自然に舞い上がるり、青く輝きながらひとつの像を結んでいく。それは最終的にピアノを弾く華奢な影になる。

 イキシアの姿だった。


「過去視の一種だ。コントロールが難しくて効果範囲が狭いが、こいつを弾いた最後の人物を《再生する》くらいは訳ないさ」

「すごいな。何度か繰り返してくれる?」


 指の運び、ペダルの踏み方を観察する。曲の長さは五分くらいだろうか。あまり長くなくてよかった。

 三回ほど繰り返してもらい、席に座る。

 両手を最初のポジションへ。

 右足をペダルにかけておく。

 呼吸を整えて指を下ろす。

 ピアノ、弾いたことないけど、鍵盤がけっこう重いんだな。

 イキシアの演奏を再生する。

 クガイの魔術だと音までは聞けないから、正解のわからない未知の曲が流れ出した。

 少し調子外れの音がまとまって旋律になり、音が重なって盛り上がり、転調し、緩やかな曲調を奏ではじめる。再び盛り上がって、余韻を残すラスト。

 集中し、最後の一音を奏でると《カチリ》と何かが動く音がした。


 演奏が終わり、クガイと、コチョウもどちらもが僕を見ていた。


「見事な演奏だが…………それ、魔術か何かか?」

「いや、ただの特技。見て覚えてるだけだよ」


 クガイは何も言わなかったが、コチョウの僕を見る目つきに嫌悪感が混ざりはじめた。

 こいつの機嫌を取ってもいいことないから、無視するに限る。


「それより、何か小さな音がするんだけど……」


 言葉にすると、キリキリ、とか、発条を巻くときの音がする。

 音の発生源は机からだ。

 華奢な脚と蓋つきの机が、ひとりでに開き始めている。

 蓋が開くと、置かれたランプに自動的に火が灯る。

 そしてテーブルの面が二つに割れて書見台がせり上がってくる。

 台の上には革張りの本。

 触れるとしっとりと滑らかだ。

 表紙を開くと、古臭いインクで書かれた文字。ミミズがのたうったような字で、まったく読めない。だけど、ヒプノスやブバティスの子らと対峙したときのような気配を感じる。知らないうちにこっちを支配してこようとする、不可視の働きだ。


「クガイ、読める?」

「女王国の汎用共通語でもなければ、古語でもない。近隣諸国のものとも違う」

「そう……残念だ」


 でも僕は、たとえ読めなくともこれが何なのか見当がついていた。

 ルニスに確認すればはっきりと言えるようになるだろうけれど、このことをコチョウには知られたくない。

 クガイは本よりも別のものに興味を引かれたようだ。

 テーブルの上から、写真立てを取り上げた。

 それは館の庭園で撮影されたもので、イキシアは純白のドレスを着ている。どう見ても花嫁衣装だ。

 そして、その隣にいるのはルニスだった……。

 この写真のルニスは、イキシアとおそろいの指輪をつけている。

 普通、執事がこの館の主とおそろいの指輪なんてつけないだろう。


「イキシアは結婚していたの?」

「それも、ルニスとな」


 クガイは奇妙な顔つきだが、僕には事情が読めた。

 ルニスは精神生命体で、こちらに存在するにはその精神の器となる肉体が必要となる。そのために選ばれたのが、この写真の男なのだろう。

 この本の正体と合わせると、館で起きた出来事の影が少しだけ見えてくる。

 ただ、大事なピースが抜けているのも感じる。

 そのピースがどんな形をしているか、答えはひとつしかない。


「青海文書が出てきそうな気配がする……」


 僕はつぶやき、溜息を吐いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る