21


 廊下に置かれた古い振り子時計が隠し扉になっていた。

 僕とクガイが中に入ったのを確認し、扉が閉まる。さらに引き戸を閉め、厳重に鍵がかけられた。

 暗がりに明かりが点くと、金色の燭台に火をつけたルニスが立っていた。

 ルニスの首にはクガイが杖の先端を突き付けている。ぼんやりと曖昧な光の中に、瞳と同じ緋色のスピネルが浮かび上がる。


「君を助けたのは少年のついでだ。不躾なやつだな。杖を引っ込めろ、魔術師はキライなんだ」


 ルニスは端麗な顔を不快そうに歪めた。

 眉をぎゅっと眉間に寄せ、緑玉のような瞳を闇の中で怒りに輝かせ、閉じた唇から八重歯を覗かせているその表情は獣じみている。


「どういうつもりだ?」

「どう、だと? お前なんぞ豚の餌になっても構わないが、少年は特別なお客様なのです。この秘色屋敷のくだらないゲストどものなかで、ただひとり、私が手ずから招待状を差し上げた


 なんだって。

 あの招待状はリリアンが届けに来たんだと思ったけれど。

 言いたいことがあるにはあるが、発声不可能なので何も意見を表明できない。


「お前の言っていることは理解不能だ」とクガイ。


 はっきり言って僕も同じ意見だ。


「ですから君らの客室は連中のなかでも危険が少ないヒプノスの部屋に割り当てた」


 うーん、その気遣いはわかりにくい。

 クガイはこれ以上押し問答を続けても仕方がないと判断したらしく、杖を引っ込めて上着の内側に戻すと、僕を抱え上げて真正面から覗き込んだ。

 破魔の力を宿した黄色い瞳がぼんやりと輝く。

 見つめていると、少しだけ呼吸が楽になってくる。


「……僕を招いたってどういうこと?」

「招待状を差し上げたでしょう」

「それは、君には不可能だよ。僕の住居は魔術で守られてるし、それに」


 過去の存在である秘色屋敷のルニスがリリアンの体で過去を覗き見しているだけの僕のもとに招待状を届けることは、普通に考えれば不可能だ。

 この状況が普通と言えるかどうかは議論が必要だけど。


「お話は奥で。カミーユのことは、しばらく猫たちが押しとどめてくれるでしょうが通路のことに気づかれたくない。会いたいお客様がいるのでしょう? ご案内します」


 振り子時計の裏側は廊下と細い階段になっている。

 ルニスはすでに階段を半分ほど降りつつあった。


「――――コチョウがいるのか、ここに」

「さあどうでしょう。貴方を釣り上げる餌はそれくらいしかありませんから。しかし、餌を与えるのはすべて少年のためなのです。そこのところを何卒ご理解ご了承くださいませ、お客様」


 クガイは僕をじっと見つめる。


「お前、本当に何者なんだい? リリイちゃん」

「誤解だ。――いや、誤解じゃないかも。わからないんだよ、何がなんだか。けど、それは最初から了承済みだろ」


 怪しいと思いながらも、クガイは僕がついて来ることを拒まなかった。


「まあね。俄然、お前の正体に興味が湧いてきたよ」


 クガイは溜息を吐いて、まだ体がふらつく僕に手を貸してくれた。

 階段を降りると、また先のわからない細い通路がある。

 暗さは相変わらずだが、床は板張り、壁の一部は基礎がむき出しになっていてみすぼらしい。

 空気には湿り気があって、どこにいてもどこからともなく水音がした。





 ルニスは右手に燭台、左手に白いシーツに包まれた大荷物を引きずって迷いなく歩いて行く。荷物の大きさは全長百五十八センチほど。下の方から赤黒い液体が染み出して床を汚していく。


「厨房! 新しい食材が届いたぞ! デザートの時間だ!」


 荷物を陰鬱な倉庫に放り込むと、不気味な腕がむんずと掴んで引き入れた。

 タイミングよく少し離れた扉が開く。炎が揺らめき、白い煙とともに、吐き気を催す醜悪なにおいが廊下に立ち込める。

 そして鉤爪の生えた真っ黒な腕が銀色の大皿が乗ったワゴンを押し出した。

 ルニスは冷たい目で銀色の蓋を外し、中身を確認する。ワゴンに載っているのはふっくらと狐色に焼きあがったケーキだが、どうみても人の目玉らしきものだとか、指のようなものとかが添えられた生クリームやジャムから突き出している。


「……食材の末路はマジで《晩餐》ってわけね……」


 カミーユが殺した客のひとりも、いずれ神々の食卓に供される運命なのだろう。厨房の扉が閉まるのを見届け、ルニスは廊下の奥で息を潜めた僕らに合図した。

 廊下を歩いているのは僕らだけのはずだが、時折、燭台の炎が照らす壁に人の影がうつりこんだ。それに強い人の気配を感じる。


「ご心配なく、お客様。彼らはこの館に仕える者たち、神々に選ばれた奉仕者たちです」

「君と同じ立場……ということ?」

「半分はそうです」

「半分」

「そう、半分は間違いです」


 神々の正体を知ったか、神々の興味を引いたせいでカダスに連れて来られて世話を強制されている哀れな犠牲者だろう。肉体はどこに行ったのか聞きたいけど、たぶん、聞いたらまた体が動かなくなったり、奇声を上げたりとかいう状態に追い込まれる。やめとこ。


「ここは使用人専用の地下通路。地下には先ほど見て頂いたパントリーや厨房、洗濯室やごみ処理場があります。大広間や客室に抜ける秘密の出入口に、誇り高い旧神たちかたがたが出入りすることはありません」

「その代わり、ごみ処理場には屍食鬼グールがいるんだろ」

「大正解でございます、さすがは私の見込んだお客様」


 ルニスの緑色の瞳が僕を見下ろす。


「本当にこの先にコチョウがいるんだろうな」

「ええ。コチョウ様は、交霊会が始まって以降ずっと、こちらにいらっしゃるのです」


 どんな方法かはわからないが、睡眠状態を維持しているということか。こんな危険な場所にずっといられるなんて信じ難いことだけれど。

 信じ難いことは他にもある。


「クガイ……風邪の具合はどう?」


 ここに来る最中は悪寒が止まらない様子だった。

 なのに、今はそのそぶりもない。


「何故か、自分でも不思議なくらいに気分がいいんだ」

「……本当に彼に会うの?」

「ああ、もちろんだ。あいつを連れて帰るのが俺の役目だから。長い付き合いだからわかるんだ、あいつは俺の力を必要としてる」


 それはそうだろう。《魔眼の尖晶家》の力は本物だ。おまけに行動力と判断力がある。コチョウには感じられなかった力を、そして才能を感じた。


「どうして、そこまで……何故、そこまでしてコチョウを助けようとするんだ」


 僕には理解できない。

 地位や名誉に固執し、自らの息子を、そして妻を救わなかった男だ。しかもその妻はクガイの実の妹だ。その邪悪さを、冷酷な心を知りながら、目の前の《尖晶クガイ》はコチョウを助けようとしている。

 もし、コチョウがこの館にいるとして。

 遠からず使徒カミーユはコチョウと敵対し、邪悪な牙でかみ砕くだろう。

 もし、ここでクガイがそれを見過ごしてくれたら。

 僕は今まで考えないようにしていたことが思考に溢れだすのを止められない。


 アマレは消えないで済むかもしれない……。


 そうすれば、未来は変わる。

 ほんの少しだけの変化かもしれない。でも。


「変わりませんよ、何も。お客様――お客様は囚われておいでです。けれども人間にはそれが必要なのです。自らを拘束する枷が。己を自由から遠ざける罪と罰が。それが人を人たらしめ、お客様をお客様たらしめる。その才能を担保し、その心の枠組みを形作る。悲劇と喜劇に彩られた一葉の美しい物語がこそ人間の本質なのです」


 否定は、妙なところから訪れた。

 先導するルニスが、滔々と語る言葉は何か知っているようでもあり、気狂いの妄言のようでもある。

 ルニスは階段と、ドアの前で立ち止まった。


「この先の図書室で星条コチョウ殿がお待ちです。私はデザートをエレベータで運びますので、お先に合流されるとよろしいでしょう」

 

 今度はかなりがっしりとしたつくりのドアだ。

 クガイが先頭で、ドアに入っていく。


「待った。君がコチョウに会うと何かとややこしい」


 後に続こうとした僕の肩に、ルニスが不意に触れる。

 その瞬間。

 僕の意識が、リリアンという体から押し出される感覚がした。


 

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