20 Be Our Guest!



「さあ、お客様。お客様のサーバントとして精一杯に仕えさせてくださいませ」



 これはやばいことが始まったぞ、という実感が胸に押し寄せる前に、金切り声とともに廊下側の扉が開け放たれた。

 薄緑色のドレスをまとった女性客が部屋に飛び込んできた、と認識するのと、室内に飛び込んできた赤い鎧が、絵に描いた餅みたいなロングソードで女性を背中からぶった斬り、勢いのままベッドのうちの一台を両断したのが同時だった。


「オリエンテーションの時間は終わったみたいね、さっそく実践に入りましょうか!」


 教団の使徒カミーユが高らかに宣言するが、室内の混乱はそれどころじゃなかった。目の前で行われた殺人もかなりのショッキングさだが、彼女が赤のヒールで足蹴にしている寝台が鮮血を噴いたのである。

 破断された木と綿とスプリングとシーツのその断面から、勢いよく天井めがけて真っ赤な液体が噴出して止まらない。

 そのシャワーのせいで犠牲者の姿が見えないくらい、もうめちゃくちゃだ。


「カミーユ様、ごきげんようございます」


 ルニスは顔や髪をぐっしょり濡らしながら、何でもないように挨拶する。


「見てたでしょ。客が食材に変わったのよ。ホラ、食材をとっとと運びなさい! 晩餐はもう飽き飽きだわ。わたくし、とっととこれを終わらせて海市に帰りたいの」

「仰せのままに」


 カミーユはこちらに向くと、「そこの二人もまとめて運んで頂戴!」と言い放つ。


 彼女はハイテンションで機嫌がよさそうだったが、みるみるうちに眉間にしわを寄せていく。


「そこの女、何を笑っているのよ」


 暴力に飢えてギラついている瞳を前に、僕は優しく微笑んでいた。


「広間で会ったときから、そういう感じで来るんだろうな、と思ってたから……」


 ツインテールは残虐。知ってる。さすがに慣れる。

 入ってきたと同時に殺されなかっただけ、カミーユは優しい性格と言えるだろう。少なくとも初見殺しじゃない。


「何よ、どういう意味、それ。カミーユの殺し方にオリジナリティがないっていうの!?」

「ああ、うん。そういう捉え方もあるかな。でもそれは僕の出会いが不幸すぎただけで君が悪いわけじゃないよ」


 カミーユは瞬時に真っ赤に頬を染め、あきらかに激高した。

 そして震えながら叫んだ。


「こま切れ肉にしてやる!!」


 力強い決意だった。一部の人間たちの、他者から《恐れられたい》という感覚はなんなんだろう。普通の人間は他者と分かり合いたいと思い、良い人間だと思われたいはず。支配したい、という欲望でコミュニケーションを取ろうなんて異常だ。

 …………と諭しても、カミーユは怒り狂うだけだろうが。

 クガイが僕の耳元で、イイ声で囁く。


「彼女を怒らせたのは、何か理由がある?」

「…………無いです」

「だろうね」


 クガイは僕の腰を抱くと、素早く脇に飛び退く。

 全身を躍動して跳ねた鎧が、座っていた椅子を叩き割る。今度は、木材とクッションが飛び散るだけ。

 鎧と同じ赤い刃は、背後の壁を左右に分断して突き刺さっている。


「お客様、そのように騒がれますと、お部屋でお休み中のお客様が起きてしまわれます」


 ルニスが「やれやれ」という風に言う。

 頭から血糊をかぶっておいて、やれやれで済ませるなんて本当にやれやれだ。

 めちゃくちゃは続く。

 ルニスの背後で、起きてほしくない最悪の事態が起きていた。

 血潮の飛び散った、かつては汚れのない純白だったシーツがゆっくりと持ち上がる。

 部屋の主が目覚め、半身を起こしたのだ。


「ベッドにされないうちに、逃げよう!」


 鎧は向きを変えると、壁面を切り裂きながらこちらに向かってくる。非常識なほどの怪力だ。


「あの鎧は何なんだ!?」


 出口にはカミーユがいる。僕とクガイはヒプノスからは死角になるルニスの背後を通って寝室に飛び込んだ。

 その後を追って鎧が突っ込んでくる。全身を小さく畳み、地面を蹴ったかと思うと、弾丸のような凄まじい速度で突っ込んでくる。

 僕らはそれぞれ左右に別れた。鎧は寝室と居間の間の壁をぶち抜いて、さらに勢いあまって隣室の壁をも貫いて、視界からも消えた。

 僕は唖然として壁に空いた大穴を見つめていた。

 隣室は留守なのか、暗闇だ。

 しかしその闇の中に、何か……金色の光が灯る。

 瞳だ。

 輝く瞳には、縦長の瞳孔が開いている。

 暗黒の中、電灯のスイッチを入れたように瞳は次々に開いて、今や数えきれない。


「お隣にお住まいのお客様は、バステト様とそのお連れ様にございます」


 ルニスの呑気な声が聞こえてくる。

 早く逃げなければ、と思うのだが、足が動かない。みると、たくしあげたスカートの下で足が震えている。


 恐怖?


 いや、そんなはずない。獣たちの瞳からは竜ほどの圧力を感じない。まだ切り抜けられるピンチだ。


「それがこの物語の規律なのです、お客様。邪なるものの持つ力、それが恐怖。お客様が何者であろうと、それを恐れ、畏怖するのがさだめ。避けられぬ絶対なのです」


 つまり僕が相手を恐れるか否かという個人的な感情には全く関係なく、この館の存在は僕を絶対的に、確実に恐怖させるということだ。恐怖は取り除けない。自分の内側で起きることだから、手術して取り除くというわけにはいかない。

 そして僕にとってはオルドルの魔術が使えなくなるという致命傷になる。


 どうする?


「考えろ、考えなかったら、僕は死ぬ」


 少なくとも、心の声を駄々漏れにする発声機能は残ってるらしい。


「君は死なないさ、俺が守るから」


 凍りついていた足が地面から離れる。


「女王陛下の騎士だぜ、期待してくれよな」


 クガイが僕の、リリアンの体を抱きあげていた。

 緋色の瞳の片方が黄色く変化してる。

 破魔の力がこんなにも頼もしいとは思わなかった。





 バステト、言わずと知れた猫頭の神様。各種ゲームで超有名なエジプトのやつだ。それをクトゥルフで再生すると、猫頭女神から削除されたはずの残虐な精神が復活する。生贄を要求するのだ。

 で、生贄自体も深刻な人権侵害として裁かれるべき犯罪行為なのだが、それよりもヤバいのは、バステトの盲信者たちが神を模した似姿として作りだした半人半獣の改造人間、通称ブバティスの子とかいう奴らだ。

 奴らがどんな風にヤバイのかと言うと、まさに今、必死に暗い廊下を走る僕とクガイの後ろを、《猫と人間のサンドイッチ》が追いかけて来ていることから推察してほしい。ちなみにサンドイッチは二種類だ。

 これだけだとわかりにくいから、もう少し解像度を上げていこう。

 クガイの解説によると、猫の体から手足を捥いだものに人間の手足をくっつけたヤツと、その逆だ。

 数は、大渋滞中。


「ねっ、ねねねね猫の手足は人間の胴体のじゅじゅじゅ重量を支え切れないと思うけどっ!?」


 強制的な恐怖に駆られて舌がもつれる。


「ああもちろんだ。だがヤツらの両脚はすでに間接からへし折れていて――」

「か、かかかかっ、っぱえびせん!!」

「これ以上の説明はやめておこう」


 妙な悲鳴を上げたのは一時的な恐慌状態パニックに陥ったためで、僕の意思とはかけ離れている。ダイスの女神に見放されたらしい。

 魑魅魍魎との百鬼夜行の先頭は僕ら。その後方は猫人間でギュウギュウ。「わたしはねこ」という鳴き声が合唱となって聞こえてくるが、あまり深くは考えまい。カミーユは見当たらず、しかも猫人間たちの後方は現在進行形でベッドになりつつあるらしい。眠りを邪魔された上、自室にいろんな騒がしいやつらが侵入していて、さらに家具が真ん中からへし折られていたら、そりゃ無理もない話だ。

 廊下の両側には客室が並んでいるが、飛び込む気にはなれない。

 そこはおそらくほかの旧神の居室になっているはずだ。秘色屋敷では僕たち人間の客の部屋だったが、ここでは神々がその主であり、僕らは客は客でも招かれざる客なのだ。ややこしい。

 そのとき、廊下の端の部屋の扉が弾け飛び、赤い鎧が飛び出してきた。


「ちょこまか逃げるんじゃない、ひき肉共!」


 カミーユがその肩に乗ってる。こちらから微妙に視線を外しているのは、恐怖対策だろう。猫をぶつけてやりたい。

 鎧の間合いに入る前に、クガイがブレーキ。


「僕が魔法を使う!」

「お嬢ちゃんはまだ寝てていいぜ。これを試してみよう」


 クガイの手のひらから何かが、煌めく粒子が放たれる。小さなさざれ石。

 そして瞳が赤く輝きを放つ。


 鉱石魔術、という四文字が頭の中で形になる前に、薄暗い廊下が電撃の白い閃光と衝撃、そして煙で満たされた。


「お客様、こちらです」


 物理的に視界が見えなくなり、混乱の極致というべき状況の中、僕の首根っことクガイの腕を誰かがつかんだ。

 誰かがっていうか、ルニスだろうけど。


 でも、なんで、狂った館の狂った執事が?

 

 答えがまとまる前に、意外に強い力が僕らをあらぬ方向へと引き込んだ。


 

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