19 縞瑪瑙の館
「おふたりとも無事に交霊会へと参加できたようで何より。こちらも一安心です。何事もはじめが大事だと言いますから」
ルニスはどこからともなく本格的な茶器セットを運んできて、大量のベッドに囲まれ、誰とも知れない寝息をBGMにしながら紅茶を淹れはじめた。
異常な光景だ。
はじめ色鮮やかなカップのなかで湯気を立てていた真っ赤な紅茶は、数秒もせずに氷の温度へと冷えて、薫り高い茶葉を台無しにしてしまう。あと背後でシーツがモゾモゾ動いていて、すてきなティータイムという気分からはかなり遠い。
「ここはどこ? 僕らは自分たちの部屋にいたはずだけど、その背後に寝てる奴はなんなの」
「ご紹介しましょう、彼はヒプノス」
「旧神のやべえ奴じゃん」
「さすがのご見識、感服いたします!」
ルニスはやや興奮気味で言い、最悪のセリフを付け加える。
「それからヒプノス氏にこの地へと連れて来られ、寝台の姿にされてしまった犠牲者諸氏。皆様、こちらの部屋の住人です」
僕は尻の下に敷いていた寝台のひとつから離れ、クガイが座っているソファに掛けなおした。
ヒプノスとは、ギリシャ神話に登場する眠りの神だ。
クトゥルフ神話にも同名の神が登場する。ただし、そっちは夢の中へと不意に現れ、人の姿を別のものに変身させて永遠に閉じ込めてしまう邪悪な神格としてだ。
「本当にひどい話ですよねえ。哀れな被害者を誘拐し連れ帰って弄ぶ趣味はともかく、自分の部屋からはみ出すほど集めてくるのはマナー違反ですよ」
「いや、哀れな被害者を誘拐する時点でマナー違反だから」
そう言うと、執事は不思議そうに首を傾げた。
「え? なぜです? 重大な人権侵害であり、法律にも違反するからですか……?」
「正解がわかってるのになんで疑問顔なんだよ」
「ここは《
事も無げに言う。初代翡翠女王が神という超越的存在と、人界を決して混ざらないように分けた理由が目の前にあった。
ルニスの倫理観の薄さは、オルドルや、校内戦の司会役なんかの魔法生物にものすごく似てる。生き物ではあるが、人と同じ情動がない。
きっとルニスもクトゥルフ神話由来の何かで、人間じゃないんだ。
それが何なのかが問題だ。ニャルラトホテプではないとか言ってたけど。
「知らないのか、女王国に女王陛下が君臨するかぎり、神は存在しない」と、クガイが薄ら笑いを浮かべながら言う。「それとも無知なのか?」
クガイはひらりひらりと意見を変えてみせる。考えが変わったわけではないだろう。ただ真実を引き出すために立場を変えて揺さぶりをかけてるだけだ。
まるで悪魔と交渉する魔術師みたいに。
それよりも、琥珀色の酒が入ったグラスのほうが気になる。
風邪をひいているのに、酒なんて飲んで大丈夫なのだろうか。
「信じないというならそれでも良いのです。どちらにしろ、彼らがヒトにとって脅威であるという事実は変わらない。どうぞ今宵を、この豊かな一夜をお楽しみください、私はそのお世話をするだけ」
ルニスは貶されても、怒ったふうではない。ただ、冷たい目でクガイを見据えて肩を竦めただけだ。
「で、肝心の交霊会っていうのは……」
「ようこそお聞きくださいました! お利口なお客様!」
さっきと表情が一転する。僕が質問したときだけ、ルニスは上機嫌だ。
ヒプノスが起きると困るから静かにしゃべってほしい……。
「それこそが秘色屋敷の神秘。魔術師たちの求める秘中の儀。どなたとの面会をお望みですか? 生き別れた恋人? 愛しい母親? 娘でも息子でもご友人でも、誰とでも……途中参加のお二方にご説明申し上げる喜びに感謝します。この屋敷に秘められた力を使えば、どなたとでもお会いになれるのです」
「死者蘇生の魔術が手に入るって解釈でいいの?」
「お客様、《死者》でなくても良いのです。望みの魂とお会いになれます。誘拐され、どこにいるかはわからないものの生きている子供だとか、脳死状態で意識を回復しない患者だとか、ストーカー行為を繰り返し、裁判所から接近禁止命令を受けてしまい、会えなくなった愛しい女性だとか、現世では不可能と思えるありとあらゆる魂との面会が叶うのです。あ、そうそう。もちろん、動物でも悪魔でも、いっそ何なら非・実在の人物でも構いません」
「だから、交霊会なのか……」
「そう。ありとあらゆる万物の霊魂と戯れる夜です。魔女と魔術師のための」
それはすごい。クガイが言った通り、これは普通の交霊会じゃない。
ルニスの言うことが確かなら、ここでは何にでも会える。現実では存在しないものにも会えるとしたら。
リリアンが言っていた、現実には存在しない《幻獣》にだって会える。魔術師にとっては魅力的だ。
だけど、僕は違和感を持った。
でもそれは、《カダス》ではない――。
カダスは神々が人から隠れ住む場所であって、魂との面会所ではない。
死者復活のシナリオはいくらでもあるが、旧神が集うカダスを舞台にする必要はない。
「なぜ、神々が魔術師を集める? そして交霊会を主催するんだろう? ――――って思いました?」
顔を上げると、ルニスが暗がりで邪悪な笑みを浮かべていた。
ルニスは人の好さそうな感じで笑ってる。恭しく丁寧な物腰でしゃべる。
でもそこにはまったく感情が伴っていない。楽しさや悲しみも、うれしさもない。ただ状況に応じた振舞いをしているに過ぎないのだ。
そのロボットみたいな不気味さが、無感動を通り超して冷酷な印象を与えている。
「そのような些末なこと、何ひとつ気になさることはありません。確かにここには、ありとあらゆる霊魂と対峙する術が眠っているのです。ほかにも魔術師にとって興味深いことがいろいろ。手に入れてから考えればいいハナシです。難しいことじゃありません。その通りでしょう?」
「どうやって」とクガイ。彼の緋色の瞳が、暗く輝いた。
「簡単です。お客様。ディナーに招かれたら、お客様はいったい何をします? ――そう、何もしません。すべてを給仕係にゆだねて、ただ楽しむだけ。そうでしょう? 前菜にスープ、パンを少し、そしてメイン、デザートまでゆっくりと……食べられるのをただなすがまま見ていればよろしいのです」
冷たい部屋に澄みわたり、それでいて深い声の語りが響く。秘められた語りは詩のように、邪悪な呪文のように、するすると心の襞に入りこむ。
「祝宴は七日七晩続くでしょう。その最後の晩餐まで、ただご自身が、我らが館の秘儀を見る瞳を持ち、両足で立ち、そして理解できる脳みそを持っていればそれだけで結構です。つまり、お客様がお客様でいることです。正気を保ち、お客様が食材になることを避けるのです。ほかのお客様を蹴落としてでも、最後の最後まで。そうすれば、自動的に目的は叶う」
つまり、と僕はくぐもった声で呻いた。
「食べられるのは、僕ら? 僕らを誰かに――カダスの神々のいけにえにするってことか?」
「その通りです、お客様。このために、我らはお客様をお待ち申し上げていたのです。晩餐のために。ただただ、今宵の晩餐のためだけに」
「客が食われたら、それはもう客ではない……ってことか」
「そうです、お客様。もとより、私にとって、カダスに集う神々も、そして秘色屋敷に集う魔術師たちも、等しく平等にお客様なのです。ですから、どうかお客様にお仕えさせてください。そしてお客様も、お客様におなりあそばしてくださいませ」
言っていることが無茶苦茶だ。段々狂気じみてきた。
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